石野真琴のなんでもあり?

多趣味な石野真琴が、普段感じている事、将棋、祭り、甲冑等々、趣味の内容を描きます

日本最古、室町時代の将棋盤出土

2010-12-25 22:55:03 | 趣味
 本日の東京地方の天候は快晴でした。早朝から良く晴れ渡った青空が広がり、一日中良く晴れ渡ったようです。都心部の最高気温は9℃、最低気温は3℃。三多摩地域の最高気温は10℃、最低気温は氷点下3℃でした。いよいよ来ましたね真冬が、冬将軍の到来です。最低気温もさることながら、最高気温が10℃前後というのはさすがに寒い。手がかじかんで来ます。このくらい寒いと早朝の散歩がまた気合いが入るのですが・・。週間天気予報によると東京地方の明日は晴時々曇、明後日以降元旦まで晴れマークが並びました。関東地域は穏やかな年の瀬、そして正月を迎える事が出来そうです。ただし気温は今日と同じような寒さとなる予報です。

 島根県出雲市の高浜I遺跡で、15世紀半ば~16世紀初め(室町時代)の将棋盤の一部が出土し、県埋蔵文化財調査センターが22日、発表した。現存する将棋盤では最古とみられる。
 出土したのは盤の4分の1にあたるスギ板2枚。いずれも盤の両端部分で、赤外線を当てると表面に約4センチ四方と、現在の一般的なサイズ(約3.3センチ)より大きいマス目が9つ確認できた。側面にくぎを打った跡があり、脚や台座付きだった可能性が高い。表面には刃物による傷跡もあり、まな板などに再利用されたとみられる。
 大規模な建物跡近くのゴミ捨て場とみられる穴から漆器や木簡などと見つかり、木簡に書かれた「永正3(1506)年」の文字から年代を特定した。また、柱穴からは五角形の駒2枚も出土したが、文字は判読できなかった。
 将棋盤は東京都の溜池遺跡で発見した18世紀(江戸時代)のものしか残っておらず、出土はまれ。将棋の記述がある最古の文献資料には藤原行成の「麒麟抄(きりんしょう)」(11世紀初め)だが、形状などの実態はほとんど分かっていなかったという。
 将棋盤と駒は県立古代出雲歴史博物館(出雲市大社町)で23日~1月10日まで展示される。

 出雲で室町時代の将棋盤が発掘されたようです。これが室町時代の将棋盤と特定されれば、大発見となる可能性は高いです。駒も2枚、文字が判明すれば、これも大発見なんですが、残念です。
 前にもこのブログに書いたかも知れませんが、意外と将棋のルーツやその伝搬状況などはっきりしない事は多々あります。
 将棋は印度で生まれました、これは間違いありません。その後、どう言ったルートで日本まで、このシルクロードの終点まで伝わったのか、はっきりしないのです。
 陸上を伝わったとすればシルクロードで中国大陸を経てとなります、しかしその伝搬ルートには海もあり、船員が風待ちの時に暇つぶしにやっていた、それが伝搬したと言う説もあります。
 しかも、日本へ伝わった将棋の伝搬は、恐らく数回あったと考えられています。
 将棋が伝搬される度に、大きくあるいは小さく変わって行ったとされますが、むろん、すべて謎です。

 日本の将棋には大きく分けて中将棋(大将棋を含む)、小将棋、そして少将棋(現行将棋)があったとされます。中将棋は駒数を増やした大将棋となり、駒を減らした少将棋となり、小将棋は少将棋となって現代に至ります。特に少将棋となって駒の取り捨てから再利用となり、少将棋は爆発的に複雑となり人気が出て、江戸時代以前から流行し、明治、大正、昭和と伝わって来ます。
 それでも江戸時代に将棋と言えば、中将棋であったとされます。今ではほとんど中将棋を指す人はおらず、将棋の大山名人が研究した中将棋が残っていて、細々と指す人がいる程度となっています。

 室町時代の将棋であれば中将棋か小将棋、9マスと言うことなので小将棋でしょう。小将棋は今の現行将棋に比べて猛豹2枚と酔象と言う駒があったと言う説と、猛豹と言う駒がない将棋とありますと言うか、自分は猛豹という駒がある小将棋しか知りません。
 他にも平安小将棋と言う小将棋もあったとされ、こちらは9マス×9マスなのか、9×8なのか8×8なのかさえはっきりしません。
 平安小将棋には角や飛車と言った駒が無く、非常に地道に駒を動かして行く将棋であったと推測され、これに駒を加えて行ったのではないかとされます。

 小将棋に酔象の駒のみ加えた形があったかも知れない。実はこれは昭和四十八年の夏、越後朝倉氏遺跡から将棋の駒百七十七枚が出土した。なかに、酔象の駒が一枚混じっていたのです。この時酔象の駒が1枚も発見されていません。
 もし、室町時代の将棋の駒に猛豹はあったなら、小将棋の定義が変わる可能性さえあるのです。

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