2017-12-25の補記
数字の7
七 7は聖書の中で“完全”さを示すのによく用いられています。業を完成させることに関連している場合もあります。
あるいは、神により定められた、もしくは許された物事の完全な周期を指すこともあります。
神(YHWH、ヤハウェ、エホバ)は地に対するご自分の業を創造の六日間で完了し、七日目に休まれることによって、
七日間の週から7年を7回繰り返した後に来るヨベルの年に至るまで、安息の取り決め全体の型を残されました。
「しかし七日目は、あなたの神、主の安息である。あなたはどんな仕事もしてはならない。あなたも、あなたの息子、娘、それにあなたの男奴隷や女奴隷、家畜、また、
あなたの町囲みの中にいる在留異国人も」。
(出エジプト20:10)
「しかし、七年目には、その地のために全き休みの安息、神(ヤハウェ、エホバ)に対する安息が設けられるべきである。
あなたの畑に種をまいてはならない。あなたのぶどう園の刈り込みを行なってはならない」。
(出エジプト25:4)
「そして、土地の安息はあなた方にとって食物のためとなるのである。すなわち、あなたと、あなたの男奴隷や女奴隷、あなたのもとにいる雇われた労働者や移住者、
外国人としてあなたのもとに住む者たちのため、またあなたの家畜のため、あなたの地にいる野獣のためである。その産出するものはすべて食用としてよい。
『また、あなたは自分のために安息の年を七つ数えるように。七年の七倍である。年の安息七つの日数はあなたにとって四十九年となる』」。
(出エジプト25:6~8)
種を入れないパンの祭りと仮小屋の祭りはそれぞれ七日間の長さでした。
「あなたは除酵祭を守りなさい。七日の間、アビブの月の定めの日に、わたしが命じた酵母を入れないパンを食べなさい。アビブの月に、あなたはエジプトを出たからである」。
(出エジプト34:18)
「イスラエル人に告げて言え。この第七月の十五日には、七日間にわたる主の仮庵の祭りが始まる」。
(レビ記 23:34)
聖書の歴史的な部分では、7が完全さ、もしくは業を完全に行なうことを表わすものとして頻繁に出て来ます。
イスラエル人はエリコの周囲を七日間行進し、七日目には7回包囲することによって全き信仰と従順を示しました。都市の城壁はそのあと崩壊しました。
「そのとき、主(神)はヨシュアに言われた。「見よ、わたしはエリコとその王と勇士たちをあなたの手に渡す。あなたたち兵士は皆、町の周りを回りなさい。町を一周し、
それを六日間続けなさい。七人の祭司は、それぞれ雄羊の角笛を携えて神の箱を先導しなさい。七日目には、町を七周し、祭司たちは角笛を吹き鳴らしなさい」』。
(ヨシュア6:2~6:4)
「次いで七日目になり、彼らは早く、夜が明けるとすぐに起き、これまでのようにして都市の周りを七回行進していった。その日だけ都市の周りを七回行進した」。
(ヨシュア6:15)
カルメル山上でエリヤはその従者に、雨雲が現われるまで7度行って空を見るようにと命じて、神に対する自分の祈りの効力に全面的な信仰を示しました。
「アハブは飲み食いするために上って行き、エリヤはカルメルの頂上に上って行った。エリヤは地にうずくまり、顔を膝の間にうずめた。「上って来て、海の方をよく見なさい」
と彼は従者に言った。従者は上って来て、よく見てから、『何もありません』と答えた。エリヤは、『もう一度』と命じ、それを七度繰り返した。七度目に、従者は言った。
「御覧ください。手のひらほどの小さい雲が海のかなたから上って来ます」エリヤは言った。「アハブのところに上って行き、激しい雨に閉じ込められないうちに、馬を車につないで下って行くように伝えなさい」。
(列王上・列王記第一 18:42~44)
らい病人のナアマンはヨルダン川で7回水浴しなければなりませんでした。
シリアの力ある将軍であったナアマンは、預言者エリシャに勧められたこの手順を実行するのに少なからず謙遜さを示さなければなりませんでしたが、
彼が従順にそうしたために、神は彼を清められました。
『ところが、エリシャは彼に使者を遣わして言った、「ヨルダンへ行って、あなたはそこで七度水浴しなければなりません。あなたの肉が元に戻り、清くなるためです」』。
(列王下・列王記第ニ 5:12)
神のことばの浄さ、完全さ、完璧さ、優美さは、詩趣に富む力と感動を込めて、溶鉱炉で精錬され、7度純化された銀になぞらえられています。
「主(神)のことばは清き言葉である。地に設けた炉で練り、七たびきよめた銀のようである」。
(詩編12:6)
神の憐れみは、「義なる者はたとえ七度倒れても、必ず立ち上がる」という言葉によって大いなるものとされています。
(箴言24:16)
神(YHWH、ヤハウェ、エホバ)があらゆる賛美を受けるに値することは詩編作者の、「わたしは日に七度あなたを賛美しました」という言葉に明言されています。
「あなたの義にかなった司法上の定めのゆえに、わたしは日に七度あなたを賛美しました」。
(詩編 119:164)
一つの数の中で7を繰り返した77は、「定めなく」、または「無制限に」と言うことに相当しました。イエスはクリスチャンに対し、自分の兄弟たちをそこまで許すよう助言しています。
『その時ペテロが寄って来て、こう言った。「主よ、兄弟がわたしに罪をおかすとき、わたしはその人を何回許すべきでしょうか。七回までですか」。
イエスは彼に言われた、「あなたに言いますが、七回までではなく、七十七回までです」』。
(マタイ18:21、22)
殺人者カインを殺す者はだれでも「七倍の復しゅうを受ける」と神が定めておられたので、身を守ろうとして人を殺したと思われるレメクは、
「カインについて七倍の復しゅうがあるなら、レメクについては七十と七倍」と言いました。
『主(神)はカインに言われた。「いや、それゆえカインを殺す者は、だれであれ七倍の復讐を受けるであろう」。主(神)はカインに出会う者がだれも彼を撃つことのないように、
カインにしるしを付けられた』。
(創世記 4:15)
『さて、レメクはその妻たちに言った。「アダとツィラ(チラ)よ。私の声を聞け。レメクの妻たちよ。私の言うことに耳を傾けよ。私の受けた傷のためには、ひとりの人を、
私の受けた打ち傷のためには、ひとりの若者を殺した。カインに七倍の復讐があれば、レメクには七十七倍」』。
(創世記4:23,24)