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日本の「花」に見た幸せ 死を覚悟して船に乗り込んだ彼女がいま思うこと
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一部引用
「二度と母国に戻れないと覚悟して、手作りの船に乗りました」
彼女は時折、深い息を吐き出し、辛い過去を語った。
母国のベトナムを離れ、死との恐怖と戦いながら、彼女が難民として家族とたどり着いたのは日本だった。
1975年、ベトナム戦争が終結した。ベトナム、ラオス、カンボジアのインドシナ三国では、社会主義体制に移行。
迫害を恐れる人や新たな体制を受け入れられない人が、漁船などの小型船による航路や、陸路で周辺国に次々と逃れた。
船に乗り込んだボート・ピープルの中に、チャンさんはいた。
当時、まだ12歳の少女だった。
海賊によるレイプや船の沈没、餓死といった恐怖に苛まれながら、すし詰め状態の船にいたという。
来日してできる2つのすごいこと
「父が『日本に着いたら、チャンは2つのすごいことが必ずできる』と言ったんです」
1つ目は学校に通えること。当時のベトナムでは考えられず、とても嬉しかったそうだ。
「2つ目はなんだと思いますか?」。
彼女は、会場に集まった200人以上を前に問いかけた。
「花」に込められた意味
自信がなくなっているとき、父親にいつも言われた言葉は「チャンは花だよ」だった。
どんな意味か。
「花はそれぞれ香りも形も違います。そして花は必ず咲く。
人間もみんなひとつひとつ一輪の花なんです。だからみんな花で、それぞれ違っていい」。