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ユダの王ヒゼキヤの病気、歌、癒し・・・聖書

2018年06月03日 | 日記

 

「ユダの王ヒゼキヤの病気、歌、癒し」

 

そのころ、ヒゼキヤは死の病にかかった。
預言者、アモツの子イザヤが訪ねて来て、「主(神)はこう言われる。
『あなたは死ぬことになっていて、命はないのだから、家族に遺言をしなさい』」と言った。
ヒゼキヤは顔を壁に向けて、主(神)にこう祈った。
「ああ、主(神)よ、わたしがまことを尽くし、ひたむきな心をもって御前(みまえ)を歩み、
御目(みめ)にかなう善いことを行ってきたことを思い起こしてください」。こう言って、ヒゼキヤは涙を流して大いに泣いた。
主(神)の言葉がイザヤに臨んだ。
「ヒゼキヤのもとに行って言いなさい。あなたの父祖ダビデの神、主はこう言われる。
わたしはあなたの祈りを聞き、涙を見た。見よ、わたしはあなたの寿命を十五年延ばし、
アッシリアの王の手からあなたとこの都を救い出す。わたしはこの都を守り抜く」。
ここに主(神)によって与えられるしるしがあります。それによって、主(神)は約束なさったことを実現されることが分かります。
「見よ、わたしは日時計の影、太陽によってアハズの日時計に落ちた影を、十度後戻りさせる」。
太陽は陰の落ちた日時計の中で十度戻った。
病気であったが、その病気が治って命を得たユダの王ヒゼキヤの記した歌、ミクタブ。
わたしは思った。人生の半ばにあって行かねばならないのか。陰府の門に残る齢をゆだねるのか、と。
わたしは思った。命ある者の地にいて主を見ることもなくなり、消えゆく者の国に住む者に加えられ、もう人を見ることもない、と。
わたしの生涯は羊飼いの天幕のように、引き抜かれ、取り去られてしまった。
わたしはわたしの命を織物のように巻き終わり、糸から切り離されてしまった。昼も夜も、あなたはわたしの息の根を止めようとされる。
夜明けまでわたしはそれを甘んじて受け、獅子に砕かれるように、わたしの骨はことごとく砕かれてしまう。
昼も夜も、あなたはわたしの息の根を止めようとされる。
つばめや鶴のように、わたしはすすり泣きの声をあげ、鳩のようにわたしは呻く。天を仰いでわたしの目は弱り果てる。
わが主(神)よ、わたしは責めさいなまれています。どうかわたしの保証人となってください。
わたしは何と言えば答えてもらえるのか、そのようなことをなさる主(神)に。
わたしは心に苦痛を抱きながら、すべての年月をあえぎ行かねばならないのか。
主(神)が近くにいてくだされば、人々は生き続けます。わたしの霊も絶えず生かしてください。わたしを健やかにし、わたしを生かしてください。
見よ、わたしの受けた苦痛は、平和のためにほかならない。あなたはわたしの魂に思いを寄せ、
滅びの穴に陥らないようにしてくださった。あなたはわたしの罪をすべて、あなたの後ろに投げ捨ててくださった。
陰府があなたに感謝することはなく、死があなたを賛美することはないので、墓に下る者は、あなたのまことを期待することができない。
命ある者、命ある者のみが、今日の、わたしのようにあなたに感謝し、父は子にあなたのまことを知らせるのです。
主(神)よ、あなたはわたしを救ってくださった。わたしたちは命のあるかぎり主(神)の神殿で、わたしの音楽を共に奏でるでしょう。
イザヤが、「干しいちじくを持って来るように」と言うので、人々がそれを患部につけると王は回復した。
ヒゼキヤは言った。「わたしが主(神)の神殿に上れることを示すしるしは何でしょうか」。
(イザヤ38:1~38:22)

 

 

 

 


そのころ、ヒゼキヤは病気になって死にかかっていた。
そこで、アモツの子、預言者イザヤが彼のところに入って来て、こう言った。
「神(ヤハウェ、エホバ)はこのように言われました。『あなたの家の者に命令を出せ。
あなたは確かに死に、生きられないからである』」。
そこでヒゼキヤは顔を壁に向け、神(ヤハウェ、エホバ)に祈って、
言いはじめた、「神(ヤハウェ、エホバ)よ、お願い申し上げます。どうか、思い出してください。
私が真実のうちに、全き心をもってみ前に歩み、あなたの目に良いことを行ないましたことを」。
こうして、ヒゼキヤは激しく泣きだした。
すると、神(ヤハウェ、エホバ)の言葉がイザヤに臨んで言った、「行って、あなたはヒゼキヤにこう言わなければならない。
『あなたの父祖ダビデの神(ヤハウェ、エホバ)はこのように言われた。
「わたしはあなたの祈りを聞いた。わたしはあなたの涙を見た。いまわたしはあなたの日数に十五年を加えよう。
そして、アッシリアの王のたなごころから、あなたとこの都市を救い出すであろう。わたしはこの都市を防御する。
そしてこれが、神(ヤハウェ、エホバ)はご自分の語ったこの言葉を履行されるという、あなたのための神(ヤハウェ、エホバ)からのしるしである。
いまわたしは、太陽によってアハズの階段の段の上に下った段の影を,十段後戻りさせよう」』」。
すると、太陽はそれが下った階段の段の上を徐々に十段後に戻った。
ユダの王ヒゼキヤが病気になり、その病気から回復したときに記したもの。
わたしは自ら言った、「わたしはわたしの日のさなかにシェオルの門に入って行く。わたしは必ずわたしの残りの年を奪い取られる」と。
わたしは言った、「わたしは生ける者の地でヤハを ― ヤハを見ることはないであろう。
わたしはもはや人間を見ることはないであろう ― 停止[の地]の住民と共に。
わたしの住居は引き抜かれ、羊飼いの天幕のようにわたしから取り除かれた。わたしは機を織る者のように自分の命を巻き上げた。
人はわたしをまさに縦糸から切り断ちはじめる。日の光から夜に至るまで、あなたは絶えずわたしを引き渡される。
わたしは朝になるまで自分をなだめた。ライオンのように、神はわたしのすべての骨を砕きつづけ、日の光から夜に至るまで、あなたは絶えずわたしを引き渡される。
あまつばめ、ブルブルのように、わたしはさえずりつづけ、はとのようにくーくーと鳴きつづける。わたしの目はやつれ果てて高みを仰ぎ見た。
『神(ヤハウェ、エホバ)よ、私は虐げられています。私の味方になってください』。
わたしは何を話したらよいのだろう。神は実際、何をわたしに言われるのだろうか。
神ご自身も行動された。
わたしはわたしのすべての年を魂の苦しみのうちに厳粛に歩みつづける。
『神(ヤハウェ、エホバ)よ、それゆえに人々は生きつづけるのです。だれについても同じですが、私の霊の命もそれによります。
そして、あなたは私を健康に戻し、必ず私を生き長らえさせてくださいます。ご覧ください、私は平安の代わりに苦いものを、そうです、苦いものを得ました。
そして、あなたご自身が私の魂を愛慕し、崩壊の坑からそれを守ってくださいました。あなたは私のすべての罪をご自分の背後に投げ捨てられたからです。
あなたをたたえることができるのはシェオルではないからです。死があなたを賛美することはできません。
坑に下って行く者はあなたの真実さを望み見ることはできません。
生きている者、生きている者こそあなたをたたえることができるのです。私がこの日にそうすることができるように。
父があなたの真実さに関する知識をその子らに与えることができるのです。
神(ヤハウェ、エホバ)よ、私に救いを施してください。そうすれば、私たちは弦楽のために私が抜粋した曲を、私たちの命の日の限り、神(ヤハウェ、エホバ)の家で奏でることでしょう』」。
それからイザヤは言った、「押し固めた干しいちじくの菓子ひとつを取って、それをはれ物の上に塗り、彼が回復するようにしてあげなさい」。
一方、ヒゼキヤは言った、「わたしが神(ヤハウェ、エホバ)の家に上って行けるしるしは何ですか」。
(イザヤ38:1~38:22)


*ブルブル(Bulbul)[ヘブライ語、アーグール]
パレスチナを含めアフリカや南アジアに見られる、ツグミに似た中型の鳥の総称。
ブルブルの特徴は、短い首と短い翼,それに長い尾です。アーグールを「鶴」と訳している翻訳は少なくありませんが、
アーグールという鳥が『さえずる』と述べているヒゼキヤの言葉は、あの大きな鶴の出す、ラッパのように響きわたる太い声を描写しているとはとても思えません。
(イザ 38:14)
「旧約聖書辞典」(L・ケーラー,W・バウムガルトナー共編,ライデン,1958年,679ページ)は,アーグールをブルブル(Pycnonotus Reichenovi)と同定しています。