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神様にしてみたい3つの質問Ⅱ 「なぜ宗教は偽善に満ちているのですか」~聖書~

2018年12月06日 | 日記

 

私は,エホバの証人ではありませんが,時々,
エホバの証人より配布いただいてる,「目ざめよ」誌・「ものみの塔」誌
パンフレット等より引用の記事もあります。
(どこの宗教,宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました
(立正佼成会,創価学会,キリスト教のカトリック,プロテスタント等)
その中で,聖書に忠実に教えてるのは,エホバの証人と思います。

 


*私が用いる聖句は,新世界訳,新共同訳,新改訳,口語訳,回復訳(新約聖書のみ)



神様にしてみたい3つの質問

2 「なぜ宗教は偽善に満ちているのですか」

 

そう尋ねたくなる理由:

「もし神が誠実さを高く評価されるのなら,神を崇拝すると言う人たちの間
にこれほど多くの偽善が見られることはないはずだ」と考える人もいます。

考えてみてください: 息子が父親によるきちんとしたしつけを拒んで家を飛び出し,
身を持ち崩すとしましょう。父親は,息子の行動を良いと思っているわけではありませんが,
息子がそのような道を選ぶのを許します。
では,その後,息子と出会った人たちが,「父親が悪い」と決めつけたり,
「父親がいない」とまで言ったりするのは正しいことでしょうか。もちろん,正しくありません。
同様に,宗教に見られる偽善は,人が自分の歩みを自分で決めるのを神が許していることの証拠にすぎません。

聖書が述べていること: 神は宗教上の偽善を憎んでいます。
『「お前の長い髪を切り,それを捨てよ。裸の山々で哀歌をうたえ。主(神)を怒らせたこの世代を,主(神)は退け,見捨てられた」。
まことに,ユダの人々はわたしの目の前で悪を行った,と主(神)は言われる。わたしの名によって呼ばれるこの神殿に,彼らは憎むべき物を置いてこれを汚した。
彼らはベン・ヒノムの谷にトフェトの聖なる高台を築いて息子,娘を火で焼いた。このようなことをわたしは命じたこともなく,心に思い浮かべたこともない』。
(エレミヤ 7:29~31)

「その上,彼らはヒンノムの子の谷にあるバアルの高き所を築いた。自分たちの息子や娘をモレクにささげて,火の中を通らせるためであった。
そのようなことをわたしは彼らに命じもしなかった。また,ユダに罪を犯させるためにこの忌むべきことを行なうことは,わたしの心に上りもしなかった」。
(エレミヤ 32:35)


その一方で,人が自由意志を行使するのを許しています。
神を信じると主張する多くの人は,人間が作った教えや独自の倫理に従うことを選んでいます。
『偽善者よ! イザヤはあなたがたのことを適切に預言して言っている,「この民は,口先ではわたしを敬うが,その心はわたしから遠く離れている。
彼らは人の戒めを教えとして教えながら,むなしくわたしを礼拝している」』。
(マタイ 15:7~9)

それとは対照的に,神の是認する宗教は偽善的ではありません。
イエスはこう述べました。
「あなた方の間に愛があれば,それによってすべての人は,あなた方がわたしの弟子であることを知るのです」。
(ヨハネ 13:35)
この愛は「偽善のないもの」でなければなりません。
「愛には偽りがあってはならない。悪は憎み退け,善には親しみ結び」
(ローマ 12:9)

大半の宗教は,この規準を満たしていません。
一例として,1994年にルワンダで集団虐殺が起きた時,何万という人たちが,
単に自分と違う部族の人だという理由で,同じ宗教に属する人を殺害しました。
それに対して,エホバの証人はその大虐殺に加わらず,多くの証人たちが仲間の信者だけでなく他の人々も守りました。
時には命の危険を冒してまでそうしたのです。
そうした利他的な行ないは,偽善のない宗教が存在し得ることの証拠です。



「なぜ人は存在しているのですか」へ続く>>>>






 

                             


日米合作映画『レオニー』~イサム・ノグチの母の生涯~Voice of Leonie(レオニー) -01- 松井久子

2018年12月06日 | 日記

 

*知人より

日米合作映画『レオニー』~イサム・ノグチの母の生涯~

 

2019年2月1日(金)上映

小金井 宮地楽器大ホール 3F
JR中央線・武蔵小金井駅前

前売り券 1000円
当日券  1500円


予約・お問合せ
TEL 090-3592-6124(Mamademo)
メール・info@essen.co.jp
(株)エッセン・コミュニケーションズ

 

 

 

 


『レオニー』(Leonie)
2010年公開の日本・アメリカ合衆国合作の映画。


キャッチコピーは「お母さん、私はこの子を連れて日本という国に行きます」。

世界的な彫刻家イサム・ノグチを育てた母レオニー・ギルモアの物語。

ドウス昌代による「イサム・ノグチ 宿命の越境者」
に感銘を受けた監督である松井久子が、7年の歳月をかけて完成させた作品。

あらすじ
1901年、名門大学を卒業したレオニー・ギルモアは、詩人か編集者になりたいという夢を捨てきれないままだった。
そんなある日、一人の神秘的な青年詩人・野口米次郎と出会う。
しかし、ヨネとの出会いによって彼女の人生は波乱に満ちたものとなっていく。
レオニーはヨネを愛し妊娠するが、ヨネは一方的に日本へ帰国し、彼女を置き去りにしてしまう。

残されたレオニーは人目を避け、未婚のまま混血の男の子をカリフォルニアで出産。
子供の将来を想うレオニーは、ヨネからの誘いもあり、母の反対を押し切って日本行きを決意する。
明治後期の東京に2人を出迎えたヨネは、息子を「イサム」と名付け、人種差別が激化する困難な時代を生き抜いていく。
そんな中、ヨネに正式な日本人の妻がいることを知り、母の死を知らせる手紙も届き、
異国での生活はますます過酷で孤独なものとなっていた。
レオニーのお腹には新たな命が宿り、女の子を無事に出産したレオニーは「アイリス」
と名付けるが、父親の名は決して明かそうとはしなかった。

日本でも差別を受け、不登校となってしまったイサムの芸術的才能に気付き、成長した息子をレオニーはアメリカへ送り出す。
しかし、時悪く第一次世界大戦が勃発。やがて母子の連絡は途絶えてしまう。
数年後、アメリカへ戻ったレオニーは、2人の子供の成長を見届け、
自分自身のために生きようと、メリーランドの田舎へと向かうのだった……。

~Wikipedia~

 


Voice of Leonie(レオニー) -01- 松井久子 1/3


イサム・ノグチ(Isamu Noguchi) 1994

 

世界的彫刻家イサム・ノグチの生涯を追う。

 

 

レオニー・ギルモア(1873年6月17日 - 1933年12月31日)
アメリカ合衆国ニューヨーク生まれの作家、教師、およびジャーナリスト。
夫は詩人の野口米次郎、息子は彫刻家のイサム・ノグチ、娘はダンサーのアイレス・ギルモア。


1873年6月17日、ニューヨークで、アイルランド移民の父、
アンドリュー・ギルモアと母、アルビアナ・スミス・ギルモアとの間に生まれた。

労働者学校(後のエティカル・カルチャー・スクール)で教育を受け、
1891年にボルティモアのブリンマー高校を卒業し、ブリンマー大学への全額給費生奨学金を獲得し入学。
三年上には日本からの留学生、津田梅子が在校していた 。
ソルボンヌ大学へ1年間留学。
ドウス昌代の『イサム・ノグチ 宿命の越境者』によると、ブリンマー大学の卒業生記録に、
歴史および哲学専攻学生として、レオニー・ギルモアの名前が確かにあった、とある。
エドワード・マークスによると、彼女は4年間の授業料、生活費を保障されていたが、
ソルボンヌ大学へ1年行ったので、ブリンマーへもう1年通うお金がなく、結果的に正式には卒業はしていない、とある。
1894年に、ブリンマー大学で生涯の友人となるキャサリン・バーネルに出会う。

 

 

1933年12月、肺炎のためニューヨークのベルビュー病院に入院し、動脈硬化症を伴う心臓発作のため12月31日に亡くなった。

 

教師と編集者としての仕事に加え、レオニー・ギルモア自身何作か作品を書いている。
いくつかの短い自伝的なエッセイが、『ニューヨーク・タイムズ』や『ナショナル』誌、『クリスチャン・サイエンス・モニター』などに掲載されている。

 ~Wikipedia~