神は愛 白髪は美の冠 白髪は輝く冠 

聖書の音信、日々のニュース関連を書いています。

苦しみが多いのはなぜか,なくなるのはいつか

2018年06月12日 | 日記

 


苦しみが多いのはなぜか,なくなるのはいつか


罪のない多くの人の命が失われている


夏のある日の夕方のことです。絵を描くことが大好きだった愛らしい女の子ノエルは,
家の裏庭に出て行って,何が起きたかは不明ですが,自宅のプールに落ち,溺死してしまいました。
あと2週間もすれば4歳の誕生日を迎えるはずでした。

2012年12月14日,米国コネティカット州 のある学校で銃乱射事件が起き,26人が死亡しました。
シャーロット,ダニエル,オリビア,ジョセフィン,……これらの名前は,犠牲者のうち 6歳か7歳の児童20人の一部です。
追悼集会でオバマ大統領は,それら子どもたちの名前を読み上げて,嘆き悲しむ聴衆に,「こうした悲劇は,もう起きないようにしなければならない」と述べました。

18歳の女性バノは,1996年にイラクを後にして,家族と一緒にノルウェー に移住しました。
友達からは,サン ・ レイ(太陽 の 光)と いう愛称で呼ばれていました。
しかし痛ましいことに,2011年7月22日,バノは,ある過激主義者の銃撃を受けて死亡しました。
犠牲者は77人にも上りましたが,その過激主義者は得意げに,「もっと大勢 処刑できればよかったのだが,……申し訳ない」と言ったのです。

世界各地で度々,胸の痛むそうした出来事が報道されています。事故,犯罪,戦争,テロ,自然災害などの惨事によって
どれほどの悲嘆や心痛が引き起こされたか,考えてみてください。罪のない人たちが,大抵はこれといった理由も なく,
命を奪われたり,苦しんだりしています。そういうことが 非常に多いのです。

人々の中には,『創造者である神は人間のことなど気にかけていない』と 考えて神を責める人や,
『神は苦しみを見ても決して介入されない』と決めつける人,さらには『そのような悲劇はあらかじめ定められていた』と 言う 人 も い ます。

こうした意見は,挙げれば切りがありません。

納得のゆく確かな答えはあるのでしょう か

 

 

 

 


凶悪犯罪が多発しているのはなぜか

2018年06月12日 | 日記

 

私は,エホバの証人ではありませんが,時々,
エホバの証人より配布いただいてる,「目覚めよ」誌・「ものみの塔」誌
より引用の記事もあります。
(どこの宗教,宗派にも属していません)
*いろんな宗教にも交わりました
(立正佼成会,創価学会,キリスト教のカトリック,プロテスタント等)
その中で,聖書に忠実に教えてるのは,エホバの証人と思います。




凶悪犯罪が多発しているのはなぜか

犯罪はどれも悪らつな行為です。しかし,不条理で目的のない犯罪は理解に苦しみます。
そうした犯罪にはたいていこれといった動機が見当たらず,捜査員を当惑させます。
近年,マスコミによる報道がきわめて迅速になっているため,そうした身の毛もよだつ犯罪
のニュースは数時間以内に何百万もの人に,いや,何十億もの人に伝わります。
世界保健機関の報告も,「暴力に脅かされていない大陸や国はなく,そのような地域社会もまずない」と述べています。

何年か前に比較的安全だと思われていたところでも,最近では理不尽な暴力事件が増加しています。
例えば日本では,長いあいだ凶悪犯罪の発生率が低い状態にありました。
しかし,2001年6月に,池田市で出刃包丁を持った男が学校に侵入し,子どもたちを刺したり切りつけたりして,
15分間に8人を殺害し,15人にけがを負わせました。
この事件について,また若者が見ず知らずの人を面白半分に殺した事件などについて聞くと,
日本ももはや昔のままではないということを思い知らされます。





家庭生活の崩壊

フィリピンの国家捜査局のスポークスマンであるマリアニト・パンガニバンは,
重犯罪の犯人たちの背景に関する質問に答えて,こう述べました。
「彼らは崩壊家庭で育ち,十分な世話や愛を受けていません。
何の導きもないために人が身を誤るという意味において,道徳心の崩壊が生じているのです」。
攻撃的な犯罪者の共通点が貧弱な家族関係と暴力的な家庭環境であることを,多くの研究者は指摘しています。

米国立凶悪犯罪分析センターの報告書は,学校で暴行致死事件を起こす危険性のある若者の特徴的な要素を挙げています。
家族関連の要素としては,荒れた親子関係,子どもの問題点を察知できない親,親密さの欠如,
子どもの行動にほとんど(あるいは全く)制限を設けない親,また,裏表のある生活をし,
親には生活の一面しか見せない極度に内向的な子どもなどがあります。

今日,家庭崩壊の犠牲となる子どもは少なくありません。
親にかまってもらえない子どももいます。非常に多くの児童が,家族からの道徳的な導きのないまま成長しています。
専門家によると,そうした環境では他の人とのきずなを上手に結ぶ能力が発達せず,
そのため,仲間の人間に対して凶行に及ぶことに抵抗を感じなくなります。
良心の呵責を全く感じないことさえあるのです。



マスメディアと暴力

現代のさまざまなメディアが攻撃的な行動を助長している,という指摘もあります。
テレビ,映画,テレビゲーム,インターネットなどで日常的に暴力にさらされていると,
良心の働きが鈍くなり,凶悪犯罪にいざなわれるとのことです。
アメリカ精神医学会会長のダニエル・ボーレンスタイン博士はこう述べています。
「現時点で,30年以上の調査に基づく1,000余りの研究があり,それらによると,
メディアにおける暴力と子どもの攻撃的な行動とには因果関係がある」。

米国上院の委員会でボーレンスタイン博士は次のように語りました。
「どんな形態のものであれ,娯楽として暴力に繰り返しさらされる環境は公衆衛生に重大な影響をもたらす,と我々は確信している」。

この見方の正しさを裏付けるものとして,しばしば具体例が引き合いに出されます。

浜辺で日の出を眺めていたカップルを冷酷にも殺害した犯人の場合,
検察側は,ある暴力的な映画を繰り返し見ていたことがスリル目的の殺人のきっかけになったという証拠を提出しました。
15人の死者が出た校内発砲事件の場合,加害者である二人の生徒は,毎日何時間も暴力的なテレビゲームをしていたとのことです。
それに加えて,暴力と殺人を美化する映画も繰り返し見ていました。




対処する能力の欠如

極悪非道の犯罪について聞くと,『犯人は頭がおかしいに違いない』と言う人もいるでしょう。
しかし,そうした犯人すべてが精神に異常を来たしているわけではありません。
とはいえ,生活上の問題に対処するのに困難を感じている人が多いのは確かです。
専門家は,極端な行動の要因となりかねない人格上の欠陥を幾つか挙げています。
その中には,学習能力と社会性の欠如,身体的あるいは性的虐待の悪影響,人間嫌い,
何らかの集団(例えば,女性)に対する憎悪,悪事に対する自責の念の欠如,他の人を操りたいという願望などが含まれます。

どんな問題を抱えているにせよ,トラブルにひどく圧倒されて考え方が変わってしまい,奇妙な行動を起こす人がいます。



暴力的なコンピューターゲーム ― ある医師の見解

アメリカ医師会の元会長リチャード・F・コーリン博士は,米国ペンシルバニア州フィラデルフィアで,
卒業して医師になろうとしている学生たちに講演を行ない,暴力を助長するコンピューターゲームについて語りました。
そうしたゲームの中には,かすり傷を負わせる,体に命中させる,頭に命中させるという順で得点が高くなるものもあります。
血が噴き出し,脳みそがそこらじゅうに飛び散ります。

コーリン博士は,幼い子どもたちには車の運転や飲酒や喫煙を許していないことに触れてから,こう述べました。
「それなのに,わたしたちは子どもたちに射撃練習をさせているのです。
まだ自分の衝動を制御できず,おもちゃにしている武器を安全に使うだけの分別も自制心も全くない子どもたちにです。
……子どもたちにはまず第一に,暴力には常に結果が,それも重大な結果が伴う,ということを教える必要があります」。

残念なことに,子どもたちは,犯罪に結果が伴うことを教えられるというよりも,故なくして凶悪犯罪の犠牲者となる場合が少なくありません。
統計によると,米国では1日に10人の子どもが銃弾に倒れています。
コーリン博士は,「銃器による子どもの死亡率で米国は世界一」と述べ,こう結論しています。
「銃による暴力はわが国の公衆衛生を脅かしています。これは紛れもない事実なのです」。



凶悪犯罪の要因

多くの専門家は,以下の事柄が不条理な犯罪の要因となり得ると考えています:

●家庭の崩壊

●憎悪集団,過激派

●危険なカルト教団

●娯楽における暴力

●暴力の実体験

●薬物乱用

●問題に対処する能力の欠如

●凶器を入手しやすい環境

●ある種の精神障害





「フルネームの名札はもうやめない?」 接客業でゾッとした客の『ひと言』~grape~

2018年06月12日 | 日記

 

 

【クリック】

https://grapee.jp/513743
一部引用
前職でレシートと名札にフルネームが印刷されているせいで客に「フェイスブックやってないんですね」と言われたことがある、
すぐ上に報告して対応を求めたけど結局自分が辞めるまでに何も進展は無かった。
あの「やってないんですね」と言われた時の気持ち悪さを忘れたいのに忘れられない




三人は像の崇拝を拒む・・・聖書

2018年06月12日 | 日記

三人は像の崇拝を拒む 聖書

 

 

 

 

ネブカデネザル王は一つの金の像を造った。その高さは六十キュビト、
その幅は六キュビトで、彼はこれをバビロン州のドラの平野に立てた。
そしてネブカデネザル王は、総督、長官、知事、参議、庫官、法官、高僧および諸州の官吏たちを召し集め、
ネブカデネザル王の立てたこの像の落成式に臨ませようとした。
そこで、総督、長官、知事、参議、庫官、法官、高僧および諸州の官吏たちは、
ネブカデネザル王の立てた像の落成式に臨み、そのネブカデネザルの立てた像の前に立った。
時に伝令者は大声に呼ばわって言った、「諸民、諸族、諸国語の者よ、あなたがたにこう命じられる。
角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞く時は、
ひれ伏してネブカデネザル王の立てた金の像を拝まなければならない。
だれでもひれ伏して拝まない者は、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる」と。
そこで民らはみな、角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞くや、
諸民、諸族、諸国語の者たちはみな、ひれ伏して、ネブカデネザル王の立てた金の像を拝んだ。
その時、あるカルデヤびとらが進みきて、ユダヤ人をあしざまに訴えた。
すなわち彼らはネブカデネザル王に言った、「王よ、とこしえに生きながらえられますように。
王よ、あなたは命令を出して仰せられました。すべて、角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、
もろもろの楽器の音を聞く者は皆、ひれ伏して金の像を拝まなければならない。
また、だれでもひれ伏して拝まない者はみな、火の燃える炉の中に投げ込まれると。
ここにあなたが任命して、バビロン州の事務をつかさどらせられているユダヤ人シャデラク、
メシャクおよびアベデネゴがおります。
王よ、この人々はあなたを尊ばず、あなたの神々にも仕えず、あなたの立てられた金の像をも拝もうとしません」。
そこでネブカデネザルは怒りかつ憤って、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを連れてこいと命じたので、
この人々を王の前に連れてきた。
ネブカデネザルは彼らに言った、
「シャデラク、メシャク、アベデネゴよ、あなたがたがわが神々に仕えず、
またわたしの立てた金の像を拝まないとは、ほんとうなのか。
あなたがたがもし、角笛、横笛、琴、三角琴、立琴、風笛などの、もろもろの楽器の音を聞くときにひれ伏して、
わたしが立てた像を、ただちに拝むならば、それでよろしい。
しかし、拝むことをしないならば、ただちに火の燃える炉の中に投げ込まれる。
いったい、どの神が、わたしの手からあなたがたを救うことができようか」。
シャデラク、メシャクおよびアベデネゴは王に答えて言った、
「ネブカデネザルよ、この事について、お答えする必要はありません。
もしそんなことになれば、わたしたちの仕えている神は、その火の燃える炉から、
わたしたちを救い出すことができます。また王よ、あなたの手から、わたしたちを救い出されます。
たといそうでなくても、王よ、ご承知ください。わたしたちはあなたの神々に仕えず、またあなたの立てた金の像を拝みません」。
そこでネブカデネザルは怒りに満ち、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴにむかって、
顔色を変え、炉を平常よりも七倍熱くせよと命じた。
またその軍勢の中の力の強い人々を呼んで、シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを縛って、
彼らを火の燃える炉の中に投げ込めと命じた。
そこでこの人々は、外套、下着、帽子、その他の衣服のまま縛られて、火の燃える炉の中に投げ込まれた。
王の命令はきびしく、かつ炉は、はなはだしく熱していたので、
シャデラク、メシャクおよびアベデネゴを引きつれていった人々は、その火炎に焼き殺された。
シャデラク、メシャク、アベデネゴの三人は縛られたままで、火の燃える炉の中に落ち込んだ。
その時、ネブカデネザル王は驚いて急ぎ立ちあがり、大臣たちに言った、
「われわれはあの三人を縛って、火の中に投げ入れたではないか」。彼らは王に答えて言った、「王よ、そのとおりです」。
王は答えて言った、「しかし、わたしの見るのに四人の者がなわめなしに、火の中を歩いているが、なんの害をも受けていない。
その第四の者の様子は神の子のようだ」。
そこでネブカデネザルは、その火の燃える炉の入口に近寄って、
「いと高き神のしもべシャデラク、メシャク、アベデネゴよ、出てきなさい」と言ったので、
シャデラク、メシャク、アベデネゴはその火の中から出てきた。
総督、長官、知事および王の大臣たちも集まってきて、この人々を見たが、火は彼らの身にはなんの力もなく、
その頭の毛は焼けず、その外套はそこなわれず、火のにおいもこれに付かなかった。
ネブカデネザルは言った、「シャデラク、メシャク、アベデネゴの神はほむべきかな。
神はその使者をつかわして、自分に寄り頼むしもべらを救った。
また彼らは自分の神以外の神に仕え、拝むよりも、むしろ王の命令を無視し、自分の身をも捨てようとしたのだ。
それでわたしはいま命令を下す。
諸民、諸族、諸国語の者のうちだれでも、シャデラク、メシャク、アベデネゴの神をののしる者があるならば、
その身は切り裂かれ、その家は滅ぼされなければならない。このように救を施すことのできる神は、ほかにないからだ」。
聖書(ダニエル書3:1~3:29)


【キュビット】
古代ペルシャのキュビットは 52~64 cm、古代ギリシャでは ペーキュス)と呼ばれ約 47.4 cm、
古代ローマでは cubitus と呼ばれて約 44.46 cm、アラブでは arsh と呼ばれて 48~64 cm 。
古代イスラエルでは、キュビットは 428 mm 。一般的には 445 mm のキュビット。

 


王ネブカドネザルは金の像を作った。その高さは六十キュビト、その幅は六キュビトであった。
彼はそれを、バビロンの管轄地域内のドラの平野に立てた。
そしてネブカドネザル自ら王として使いを送り、太守、長官と総督、顧問官、財務官、司法官、警務官、
また各管轄地域のすべての管理官を集めて、王ネブカドネザルの立てた像の奉献式に来させた。
そこで、太守、長官と総督、顧問官、財務官、司法官,警務官、および各管轄地域のすべての管理官は、
王ネブカドネザルの立てた像の奉献式に集まって来て、ネブカドネザルの立てたその像の前に立つのであった。
すると,伝令官が大声でこう叫ぶのであった。
「もろもろの民、国たみ、もろもろの言語の者よ、あなた方には次のことが告げられている。
すなわち、角笛・笛・ツィター・三角琴・弦楽器・バグパイプ,その他あらゆる楽器の音を聞く時、
あなた方はひれ伏して、王ネブカドネザルの立てた金の像を崇拝するように。
そして、だれにせよひれ伏して崇拝しない者は、即刻火の燃える炉に投げ込まれるであろう」。
このため、すべての民が角笛・笛・ツィター・三角琴・弦楽器、その他のあらゆる楽器の音を聞くと同時に、
そのすべての民、もろもろの国たみ、もろもろの言語の者は、ひれ伏して、王ネブカドネザルの立てた金の像を崇拝するのであった。
このため、その同じ時に、幾人かのカルデア人は近づいて行って、ユダヤ人たちのことを訴え出た。
彼らは答え、王ネブカドネザルにこう言うのであった。
「王よ、幾時も定めなく生き続けられますように。王よ、あなたご自身がこの命令をお出しになりました。
角笛・笛・ツィター・三角琴・弦楽器、またバグパイプ、その他あらゆる楽器の音を聞く者は皆ひれ伏して金の像を崇拝するようにと。
そして、だれにせよひれ伏して崇拝しない者は火の燃える炉に投げ込まれるようにと。
バビロンの管轄地域の管理をあなたがお任せになった幾人かのユダヤ人がおります。
シャデラク、メシャク、アベデネゴですが、王よ、これらの強健な者たちはあなたに何の敬意も示しておりません。
あなたの神々に仕えず、あなたがお立てになった金の像を崇拝しておりません」。
その時ネブカドネザルは、激怒と憤怒のうちに、シャデラク、メシャク、アベデネゴを連れて来るようにと言った。
そのため、それらの強健な男子は王の前に連れて来られた。
ネブカドネザルは答えて彼らに言うのであった、「シャデラク、メシャク、アベデネゴ、お前たちがわたしの神々に仕えず、
わたしが立てた金の像を崇拝していないというのは本当なのか。
もし今お前たちに用意ができていて、角笛・笛・ツィター・三角琴・弦楽器、またバグパイプ、その他あらゆる楽器の音を聞く時にひれ伏して、
わたしの作った像を崇拝するというのであれば、それでよろしい。しかし、崇拝しないのであれば、
お前たちは即刻火の燃える炉に投げ込まれる。一体どんな神がわたしの手からお前たちを救い出せるのか」。
シャデラク、メシャク、アベデネゴはそれに答え、王に対して言うのであった、
「ネブカドネザルよ、わたしたちはこの件でお返事申し上げる必要はありません。
もしそうとあれば、わたしたちの仕えているわたしたちの神は、わたしたちを救い出すことがおできになります。
火の燃える炉の中から、そしてあなたの手から、王よ、わたしたちを救い出してくださるのです。
しかし、もしそうされないとしても、王よ、ご承知ください。あなたの神々はわたしたちが仕えているものではありません。
あなたが立てた金の像をわたしたちは崇拝いたしません」。
その時にネブカドネザルは憤怒に満たされ、シャデラク、メシャク、アベデネゴに対してその顔の表情は大いに変わった。
彼は答えて、その炉をいつも熱するよりも七倍熱くするようにと言うのであった。
また、自分の軍勢内の活力ある強健な男たち数人に、シャデラク、メシャク、アベデネゴを縛るようにと言った。
火の燃える炉に投げ込むためであった。
その時、これらの強健な男子は、マント、衣、また帽子その他の衣服を着けたまま縛られ、火の燃える炉の中に投げ込まれた。
だが、王の言葉が厳しく、炉があまりに熱せられていたために、
シャデラク、メシャク、アベデネゴを抱え上げたその強健な男たちのほうが火の炎によって殺された。
一方、それらの強健な男子、シャデラク、メシャク、アベデネゴの三人は、縛られたまま火の燃える炉の中に落ちた。
その時、王ネブカドネザルは恐れ驚き,急いで立ち上がった。
彼は高位の王臣たちに答えて言うのであった、「我々が縛って火の中に投げ込んだのは三人の強健な男たちではなかったか」。
彼らは答えて王に言うのであった、「そのとおりです、王よ」。
彼は答えて言うのであった、「見よ、わたしには、四人の強健な男が火の中を自由に歩いているのが見える。
しかも、何の害も受けていない。四人目の者の姿は神々の子のようだ」。
その時に、ネブカドネザルは火の燃える炉の戸口に近づいた。彼は答えてこう言うのであった。
「シャデラク、メシャク、アベデネゴ、至高の神の僕たちよ、出て来て、こちらへ来なさい!」
その時,シャデラク,メシャク,アベデネゴは火の中から出て来るのであった。
そして、そこに集まっていた太守、また長官や総督や王の高臣たちはそれらの強健な男子を見ていた。
火は彼らの体に何の力も及ぼさず、その頭の毛も焦げておらず、そのマントさえ少しも変化せず、火のにおいすら付いていなかった。
ネブカドネザルは答えて言うのであった、
「シャデラク、メシャク、アベデネゴの神がほたたえられるように。
その方は、神を信頼し、王の言葉をさえ変えて自分の身を引き渡した僕たちに使いを送って、これを救い出したのだ。
それは、彼らが自分たちの神のほかはどんな神にも仕えようとせず、崇拝しようとしなかったためである。
それで、わたしから命令が発せられている。
すなわち、いかなる民、国たみ、言語の者にせよ、シャデラク、メシャク、アベデネゴの神に対して誤ったことを言う者がいれば、
その者は手足を切り取られ、その家は公衆の便所とされるように。この方のように救いを施すことのできる神はほかにいないからである」。
聖書(ダニエル書3:1~3:29)

 

 

                              

                   

 

 

 

 2016-07-23の補記