「ネットでパソコン読本」連載 NO5
テーマ : パソコンは夢と希望を叶えてくれる便利な道具 ①
今回は私の経歴とパソコンとの出会いからくるお話です。
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7月 7日 七夕さま
今夜は雲が多くお星さまが隠れてしまいそうな気がする。
台風の影響がまだ残っているようです。
昔を懐かしみながらの七夕さまを楽しみたいですね。
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今日のテーマは
「パソコンは夢と希望を叶えてくれる便利な道具」
昨日は「PCサポート活動のスタートだ!」でした。
現実は厳しくボランティアでやるには力不足でした。
今日は私の掲げる「パソコンは夢と希望を叶えてくれる・・・」です。
昨今のPC操作には自分で報告書やレポートや提案書を書くためのツールがあり、
自分でその書式を作らず決められた用紙に入力することで足りると言います。
それは業務での作業では決められている項目への数値や項目を入力するのと同じです。
つまり、パソコン出来るは入力が出来さえすれば出来ると勘違いしている方が多いのです。
パソコンが職場に導入された当時はそうではありませんでした。
今では笑い種ですが、課長クラスまではメールも出来ない、入力も出来ないでも済んだのです。
それはそれは「パソコン出来る」はWordやExcelパワポなどに精通している人のことでした。
1995年にWindows95が出るまでシングルタスクで動画など夢のまた夢でしたからね。
旧い話ですが、その以前はパソコンと言う機械と、動かすソフトが別々に売られていたのです。
私がまともなマシンは1989年(平成2年)のことです。
NEC製、PC9821RA21(32ビット)、OSはMs-Dos、HDD 40MB、でした。
マシンがプリンタ付きで購入、ソフトもOSのMs-Dos、ワープロの一太郎、表計算のロータス1-2-3、
での購入でした。マシン50万円、ソフト各5万円、ざっと80万ほどでした。
その当時はHDDもなく、フロッピ―Diskにシステムを入れて起動していた時代です、
Windows95年になってソフトがマシンにバンドルされてから爆辰的に売れたことを覚えています。
そんな時代ですから、手に入れた以上ヤワな知識や技術など通用しませんでした。
マシンを使えるようにすることに必死でしたね。
そこで判ったことが、日本は他社のソフトが使えないようなチップが組み込まれていたのです。
マシンの中に独自のチップを入れてた為にDosVマシンに惨敗したのです。
DOSVマシンとは、(IBMがマシンの設計公開により作られるようになった世界標準機)
あれから30年経ってもそれが残っています。
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そんな古い経験が失敗を重ねて今の心境に至ったのです。
パソコンは面白いですが始めた当初は自分だけのマシンさえうまく動きませんでした。
務める会社内に若い人を集めてサークル活動したものです。
パソコンは楽しいと言っても動かす技量と少々の専門技術が必要です。
だから今でさえ若い人でも専門家でなければ苦労しながら使っていると思います。
少々のトラブルでもお手上げ状態になる方が圧倒的でしょう。
とにかく、知識や技術を持っている人など周りにはいなかった時代です。
マシンを購入する前年、業務でガラスの曲線調査の仕事をしました。
これはもう測定値を計算によって算出して同時に合否の判定するものでした。
1枚のガラスを素材時、加工時、完成時と3回結果を出す仕事です。
この仕事のお陰でこれまで電卓による手計算をマルチプランソフトで行いました。
最後はこれをPCによって変化をグラフ化した判定をしました。
今では、測定、計算、判定、が作業と同時進行ですが当時は電卓でした。
こんな業務を経験したことがより強く興味を持つきっかけだったのでしょう。
教えて呉れる環境がないためパソコン書籍を読み、雑誌から情報を得たものです。
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あんな、こんなから始めたパソコンの変化は激しく Windows95以降は社会環境が一変しました。
何時しか、企業でもパソコン使えないと管理職になれない時代です。
2000年早々、企業の業績が悪くなり、リストラが3回行われました。
私も対象でしたが無事切り抜けて定年まで勤めることが出來ました。
が、定年間際になると閑職となり半日しか仕事がない職場に異動でした。
その半日を私の場合ノートPCを持ち込んでいろいろ勝手にやっていました。
2005年頃、ピッチの携帯電話でネットを使いだした時代です。
その時から定年後にパソコン関係のボランティアをやろうと決めていました。
2005年秋、初めて「シニアネットあしかが」を作り超初心者講習会を主宰しました。
これが私のパソコンボランティアのスタートになりました。
今日はここまでとします。
これ以降は次回になります。