昔、アマゾンで買った本です。
「ブッダ 神々との対話 サンユッタ・ニカーヤ」。原始仏典のうち、ブッダが神々と対話した記録集。無作為に選んで記していきます。読みやすいよう、多少アレンジしています。
ヴェンドゥ・・・
神の子ヴェンドゥ曰く、
「幸ある人 (ブッダ) に侍 (はべ) って、ゴータマの教えに従って実践し、怠らずに学びつつある人々、 彼らは実に幸せである」
ブッダ曰く、
「ヴェンドゥよ。私の説いた教えの言葉に従って学び、瞑想をなす人々は、時の経つと共に、怠ることなく、死神に支配されないようになるであろう」
ナンダナ・・・
神の子ナンダナ曰く、
「ゴータマさま。(お釈迦さま) 智慧豊かな貴方様にお尋ねします。尊い師の智慧と直感は、覆われることがないのです。戒律を保っている人とは、いかなる人のことを言うのでしょうか? 智慧のある人とは、いかなる人のことを言うのですか?
苦しみを超えてふるまうと言うのは、いかに苦しみを超えてふるまうのですか?
神は、いかなる人を、尊敬し供養するのですか?」
ブッダ曰く、
「戒めを保ち (戒律を守り) 、智慧あり、自ら修養し、心が統一し、瞑想を楽しみ、気をつけている人は、 すべての憂いが去り除かれている。彼は煩悩を滅ぼし去り、最後の身体をたもっている。このような人を、〈戒律を保っている人〉と呼ぶのである。このような人を、〈智慧ある人〉と呼ぶのである。このような人は、〈苦しみを超えてふるまう〉のである。このような人を、神々は尊敬し供養するのである」
チャンダナ・・・
神の子チャンダナ問うて曰く、
「昼夜に怠ることはないが、足場も無く、拠り所もないのに、いかにして人は、激流を渡るのであろうか? 誰が深淵に沈まないのであろうか?」
ブッダ曰く、
「常に戒律を具現し、智慧あり、よく心を統一し、断乎として精励して努力する人は、渡り難い激流を渡る。(日本風に言えば、三途の川を渡る。修行を完成する)
欲の思いを離れ、みめ麗しさを想うことなく、欲情も消え失せた人は、深淵に沈むことがない。(迷いの世界に生まれ変わることがない) 」
神の子カクダ・・・
カクダ「修行者よ、あなたは喜んでいますか?」
ブッダ「友よ、何を得たならば私は喜べるのでしょうか?」
カクダ「修行者よ、では、あなたは悩んでいるのですか?」
ブッダ「友よ、では、何を失って私は悩んでいるのでしょうか?」
カクダ「修行者よ、では、あなたは喜んでいるのでもなく、また悩んでいるのでもないのですね」
ブッダ「友よ、その通りです」
カクダ「修行者よ、あなたは悩みも無く、また喜びも無いのですか?独り坐っているあなたに不快が襲うことはないのですか?」
ブッダ「神霊よ、私は悩むことも無い。また喜びも存在しない。独り坐っている私に、不快が襲うこともない」
カクダ「修行者よ、あなたが悩むことがないのは、どうしてですか? 喜びが存在しない、と言うのは、どうしてですか? 独り坐っているあなたに、不快が襲うことがないのは、どうしてですか?」
ブッダ「悩みの生じた者には喜びが起る。喜びが生じた者には悩みが起る。修行僧は、喜ぶこともなく、悩むこともない。友よ、このように知れ」
カクダ「すっかり覆いをときほごされて安らぎに帰したバラモン (正しい悟りを開いた人・・・お釈迦様のこと) を、私はついに見た。この修行僧は、喜ぶこともなく、悩むこともなく、世間のうちに在りながら執著をのり超えている」
・・・私事では・・・トンビの「金若」がまた羽をくれました。
相方の姫と同じく、陽に当たると全身が金色になるトンビです。
金若が金色になったところを狙って撮影しようとしてますが・・・カメラを向けた瞬間舞いだすので・・・難しいです。
下の画像は、ヒヨドリのヒヨです。
今しがた、真後ろでスズメが「ぷいぷいぷいっ」と鳴いていました。
・・・今朝のスペインTVEニュースで・・・「交通事故死の15倍の人が大気汚染で死んでいる」とやってました。スペインも大気汚染が深刻なようです。
私は今月も植樹の寄付とWWFの寄付をします。
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絶滅したニホンオオカミ。
ウィキより。
「19世紀までは東北地方から九州まで広く分布していたが、1905年(明治38年)1月23日、奈良県吉野郡小川村鷲家口(現東吉野村鷲家口)で捕獲された若いオス(標本として現存)が確実な最後の生息情報である。なお、1月23日はアメリカの動物採集家マルコム・プレイフェア・アンダーソンと同行していた金井清および猟師の石黒平次郎が、地元の日本人猟師2名からオオカミの死体を8円50銭で購入した日付であり、標本作製の際に金井が、厳冬のさなかに「腹は稍青みをおびて腐敗しかけている所からみて、数日前に捕れたものらしい」と述べているため、正確な捕獲日は1月23日よりも数日前である。剥製の作製は宿泊していた芳月楼(現・衣料品店)の近くで行われた。
2003年に「1910年(明治43年)8月に福井城址にあった農業試験場(松平試農場。松平康荘参照)にて撲殺されたイヌ科動物がニホンオオカミであった」との論文が発表された。だが、この福井の個体の標本は太平洋戦争中の福井空襲により写真を残して焼失したため、最後の例と認定するには学術的には不確実である。
2012年4月、1910年に群馬県高崎市でニホンオオカミ狩猟の可能性のある、同年3月20日発行の狩猟雑誌『猟友』が発見された。
環境省のレッドリストでは、「過去50年間生存の確認がなされない場合、その種は絶滅した」とされるため、ニホンオオカミは絶滅種となっている」
なお、北海道に生息していたエゾオオカミも絶滅している。
ニホンオオカミは、日本の神々の神使であったと思われる。
神使に「イヌ」もあるが、これも私は「オオカミ」のことではないかと勝手に思っている。
弘法大師を高野山に導いた伝説の白黒二犬は、紀州犬なのかも知れないが、高野山壇上の御社かどこかで見た、「白黒二犬神像」は・・・私にはニホンオオカミに見えた。もっとも、紀州犬はオオカミの血を継いでいると言われるが・・・。
ウィキより、
「奥多摩の武蔵御嶽神社や秩父の三峯神社を中心とする中部・関東山間部など日本では魔除けや憑き物落とし、獣害除けなどの霊験をもつ狼信仰が存在する。各地の神社に祭られている犬神や大口の真神(おおくちのまかみ、または、おおぐちのまがみ)についてもニホンオオカミであるとされる。これは、山間部を中心とする農村では日常的な獣害が存在し、食害を引き起こす野生動物を食べるオオカミが神聖視されたことに由来する。『遠野物語』の記述には、「字山口・字本宿では、山峰様を祀り、終わると衣川へ送って行かなければならず、これを怠って送り届けなかった家は、馬が一夜の内にことごとく狼に食い殺されることがあった」と伝えられており、神に使わされて祟る役割が見られる」
また、
「ニホンオオカミが絶滅したことにより、天敵がいなくなったイノシシ・ニホンジカ・ニホンザルなどの野生動物が大繁殖することとなり、人間の生存域にまで進出し、農作物に留まらず森林や生態系にまで大きな被害を与えるようになったアメリカでは絶滅したオオカミを復活させたことにより、崩れた生態系を修復した実例があり、それと同様にシベリアオオカミを日本に再導入し対応するという計画が立案されたこともあった。しかしながら、ニホンオオカミよりも大型で体力の強いシベリアオオカミが野生化することの弊害が指摘されて中止になった経緯がある。現在も、祖先がニホンオオカミと同じという説がある中国の大興安嶺のオオカミを日本に連れてきて森林地帯に放すという計画を主張する人々がいる。
なお、近年では、クローン技術によりニホンオオカミを復元しようという話も持ち上がっている」
私論であるが、「止めておいた方がいい」と思う。
われわれ人間も、ニホンオオカミが絶滅した原因でもあるのだから・・・。
満月の下のオオカミを描いた『武蔵の満月』(月岡芳年)ウィキより。
〇 本日の災害ニュース・・・またフランス・・・暴風雨と「竜巻」。
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数年前アマゾンで買った原始仏典の一部より紹介します。
「人」南伝 相応部経典
お釈迦さまがサーヴァッティーのジェータ林なるアナータピンディカ (給孤独) の園におられる時、コーサラ国王パセーナディが訪ねてきた時の会話。
お釈迦さまが、
「大王よ、世には四種の人がいる。それは、①闇より闇に赴く者、②闇より光に赴く者、③光より闇に赴く者、④光より光に赴く者である」と述べられました。
以後、長いお経が続きますが、簡潔にまとめると、
『「①の闇より闇に赴く者とは、卑しい貧窮の家に生まれ、見た目も醜悪で多病、そして、身と言葉と心で悪行を為し、死んだ後には悪道・地獄に堕ちるタイプ」、
「②の闇より光に赴く者とは、卑しい貧窮の家に生まれ、見た目も醜悪で多病、しかし、身と言葉と心で善行を為し、死んだ後には善趣・天界に生まれるタイプ」、
「③の光より闇に赴く者とは、恵まれた高貴な家に生まれ、美貌に恵まれ、衣食住に不自由なく、しかし、身と言葉と心で悪行を為し、死んだ後には悪道・地獄に堕ちるタイプ」、
「④の光より光に赴く者とは、恵まれた高貴な家に生まれ、美貌に恵まれ、衣食住に不自由なく、その上、身と言葉と心で善行を為し、死んだ後には善趣・天界に生まれるタイプ」、この四種である』とのことです。
真理そのものである仏教は、一切の差別心が無く、排他性も無い。「一切平等」と言うのは、「全て自分自身が行った行為が自分自身に返ってくる」と言う因果応報の真理の上に成り立っていると言う意味です。
日本には古代の神々がおられますが、「神々が何もしなくても神々なのではなく、生前、天に生まれ変わる徳を積んだ方々が、神々に成ったと言うのが正解です」。
菩提樹下で悟りを開いた (覚醒した) お釈迦さまは、何度も書いたように、御自身の過去世を無数に思い出し、他の人々に目を向けると、他の人々の無数の過去世も全て見え、他の生物に目を向けると、他の生物の無数の過去世も全て見え、宇宙の転生も見えたと言う体験をされておられるのが基本となっています。(宿命通・天眼通)
万事塞翁が馬 (ばんじ さいおうがうま) と言うことです。
今の幸福がいつ不幸に転じ、不幸が幸福に転じるかわからないので、常に脚下照顧 (きゃっかしょうこ=禅語) が大切であります。
以前、テレビか何かでやってましたが、「高額の宝くじが当たった人の95%が、数年以内に文無しになっていたり失敗している」とデータがあるとか。
成功した5%は、家のローン全額返済したり、残りは預金したりして堅実に動いた人。
私は宝くじ買わないんで、そもそも当たりませんが、
高額当選したら、まず、「他人に自慢する」「有頂天になる」のが人の心理でしょう。そうなったら、たいてい失敗する道を歩む気がします。他人に話したら、「ワラワラと」人が寄ってきますからね。
昔は買ってましたが、今まで当たった最高額が10万円。あとは、一万円?と5千円が数回・・・だったと記憶しています。
後のベランダで、スズメが「ちゅちゅちゅちゅちゅ」と言っています。
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「龍顔 (りゅうがん) 」・・・
繰り返し綴っていきます。
2018年5月、真言宗智山派大本山・成田山大阪別院本堂、御本尊・不動明王像に顕れた、ウカノミタマ女神 (ミカシキヤヒメ・ニウツヒメ・瀬織津姫・櫛玉姫・豊受大神・コノハナサクヤヒメ・三穂津姫・タマヨリヒメ・稚日女尊 (わかひるめのみこと) ・弁財天・吉祥天と同一の女神と思われる) は、とにかく「美しい女神」です。年のころ、20歳くらいに見える。
小顔で細い御顔・・・いわゆる「龍顔」。ただし、一般に言われる龍顔のような「面長」ではなく、「小顔で細い御顔」。細いお顔だけど、角張ったところは全くなく、滑らかな御顔。
色白、一重で切れ長の「凛とした美しい瞳」。艶のある長い黒髪は、上でくくって後ろに流されているような髪型。額の上には、「三輪山」のような、なめらかな三角形の「冠」。一重切れ長の瞳は、いわゆる「つり目美人」「キツネ目美人」。鼻筋が通っている、涼やかな御顔立ちの美人。渡来系弥生人のお顔立ち。
突然思い出したように、また書いたのは・・・そう、突然また思い出したからです。
今日17日は、弁天さんの御縁日でした。
今日の私は、天河大弁才天社の「いすず御守」を身につけています。
オンソラソバテイエイソワカ
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