以前中国と私との関係についてはこのブログで話したが、そもそもなぜ清華大学MBAに来たかについては話したことがなかった。この場を借りてお話しよう。
私が社会人として就職したのは96年、もう10年以上前のことになる。91年以前のバブル期入社組や最近の平成好景気入社組とは異なり、当時は就職超氷河期。幸い私は何とか就職できたものの、その後のアジア通貨危機や長引く不況で同期入社組が二極分化していったのを覚えている。一つは苦しいながらも会社の中で黙々と仕事をこなしていた人々、もう一つはさっさと会社に見切りをつけて自分の道を歩み始めた人々である。ただ両者に共通していたのは非常に真面目で、バブル入社組や平成好景気入社組に比べて全体的に冷めていることである。
そんな中私は「石の上にも三年」と会社で仕事をこなす毎日だったが、98~99年にドットコム旋風が吹き荒れた時、もしやインターネットが世界を根本的に変えることになるかもしれないと、当時の組織でドットコムを扱う専属のタスクフォースの一員になった。同期入社組の中には同じ直感を持った者も数多くいて、ITベンチャー企業に転職した者や米国のMBAに留学してそのままシリコンバレーに留まる者などもいた。恥ずかしながら私はついぞ自分の殻を破れず一銭の儲けを得ることもなく、いつのまにか気がついたらドットコム「バブル」自体が崩壊していた。
私が社会人として就職したのは96年、もう10年以上前のことになる。91年以前のバブル期入社組や最近の平成好景気入社組とは異なり、当時は就職超氷河期。幸い私は何とか就職できたものの、その後のアジア通貨危機や長引く不況で同期入社組が二極分化していったのを覚えている。一つは苦しいながらも会社の中で黙々と仕事をこなしていた人々、もう一つはさっさと会社に見切りをつけて自分の道を歩み始めた人々である。ただ両者に共通していたのは非常に真面目で、バブル入社組や平成好景気入社組に比べて全体的に冷めていることである。
そんな中私は「石の上にも三年」と会社で仕事をこなす毎日だったが、98~99年にドットコム旋風が吹き荒れた時、もしやインターネットが世界を根本的に変えることになるかもしれないと、当時の組織でドットコムを扱う専属のタスクフォースの一員になった。同期入社組の中には同じ直感を持った者も数多くいて、ITベンチャー企業に転職した者や米国のMBAに留学してそのままシリコンバレーに留まる者などもいた。恥ずかしながら私はついぞ自分の殻を破れず一銭の儲けを得ることもなく、いつのまにか気がついたらドットコム「バブル」自体が崩壊していた。
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