阪神淡路大震災から29年もの歳月が経ったのですね。
早朝覚醒気味だった私、もうすぐ起きようと思いながらまどろんでいたら、いきなりドーンと何かが当たったような感じがしました。
最初の一撃で飛び起きた私、地震だとは思わず、家にトラックかトレーラーがぶつかったと思いました。
というのも家の前ではよく交通事故があったからです。
あわくって階段をおりかけたら、グラグラ!
交通事故ではない地震だと思ったので階段の手摺を掴んでやっとのことで2階まで戻りました。
上がった途端に主人(爺様)に足を掴まれて布団の中に引きずり込まれました。
あとで、主人に「自分ひとりだけ逃げようとした」と言われましたが、逃げるつもりはなく、様子を見に降りようとしただけです。
震度は5くらいだったと思います。
恐る恐る1階に降りてみましたが、電気も水道もOK、お皿一つ割れていませんでした。
大した被害ではなかったのかもと安心して朝食の準備にかかりました。
その日は、午後から会社を心配する主人の同僚と一緒に4人で様子を見るため、車は私が運転して神戸に向かって出発しました。
東に行くに従って、屋根瓦が落ちたり道路が凸凹の被害が出てきました。
途中トイレに行きたくなりガソリンスタンドで車を止めてみんなで入っていったら店員さんが「断水してます。それでも良ければ。」と言われました。
背に腹はかえれないのでお借りすることにしましたが、ラッキーなことに水が出たので助かりました。
これといった災害にあったことのない私、地震で水が出ないのはトイレにも行けないということなのだ、何と大変なことなんだろうと思いました。
途中まで何とか車を走らせましたが、途中通行止めになってそれ以上進むことが出来ず、やむなく引き返しました。
その後、被害の全容をテレビで知るにつれ、地震の怖さが身にしみましたが、まさか6,000人以上の死者が出るとは、まるで悪夢を見ているようでした。
主人の会社の建物も使い物にならなくなっていました。
失業するのかと覚悟していましたが、建物を一部移転していたので、会社も何とか復興してお給料もとどこおりなくいただけて有り難かったです。
震災後しばらくして神戸に行き、元住んでいた古家を見に行ってみると、屋根が落ちて建物はペッチャンコになっていました。
近所もかなりの被害を被っているようでしたから、あのまま住み続けていたら、最悪、命はなかったと思いました。
地震は本当に怖い。
主人も、地震の5時間前に阪神高速道路を走るタクシーの中だったそうです。
それにしても、運、不運はどこで決まるものかはわからないものだとその時つくづく思いました。
今回、元日にまさかの能登での大震災、ご不自由な生活を送られている皆様のことを思うと、胸が痛みます。
何とか1日でも早く普通の生活に戻れるように早く復興してほしいと祈らずにはおれません。
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早朝覚醒気味だった私、もうすぐ起きようと思いながらまどろんでいたら、いきなりドーンと何かが当たったような感じがしました。
最初の一撃で飛び起きた私、地震だとは思わず、家にトラックかトレーラーがぶつかったと思いました。
というのも家の前ではよく交通事故があったからです。
あわくって階段をおりかけたら、グラグラ!
交通事故ではない地震だと思ったので階段の手摺を掴んでやっとのことで2階まで戻りました。
上がった途端に主人(爺様)に足を掴まれて布団の中に引きずり込まれました。
あとで、主人に「自分ひとりだけ逃げようとした」と言われましたが、逃げるつもりはなく、様子を見に降りようとしただけです。
震度は5くらいだったと思います。
恐る恐る1階に降りてみましたが、電気も水道もOK、お皿一つ割れていませんでした。
大した被害ではなかったのかもと安心して朝食の準備にかかりました。
その日は、午後から会社を心配する主人の同僚と一緒に4人で様子を見るため、車は私が運転して神戸に向かって出発しました。
東に行くに従って、屋根瓦が落ちたり道路が凸凹の被害が出てきました。
途中トイレに行きたくなりガソリンスタンドで車を止めてみんなで入っていったら店員さんが「断水してます。それでも良ければ。」と言われました。
背に腹はかえれないのでお借りすることにしましたが、ラッキーなことに水が出たので助かりました。
これといった災害にあったことのない私、地震で水が出ないのはトイレにも行けないということなのだ、何と大変なことなんだろうと思いました。
途中まで何とか車を走らせましたが、途中通行止めになってそれ以上進むことが出来ず、やむなく引き返しました。
その後、被害の全容をテレビで知るにつれ、地震の怖さが身にしみましたが、まさか6,000人以上の死者が出るとは、まるで悪夢を見ているようでした。
主人の会社の建物も使い物にならなくなっていました。
失業するのかと覚悟していましたが、建物を一部移転していたので、会社も何とか復興してお給料もとどこおりなくいただけて有り難かったです。
震災後しばらくして神戸に行き、元住んでいた古家を見に行ってみると、屋根が落ちて建物はペッチャンコになっていました。
近所もかなりの被害を被っているようでしたから、あのまま住み続けていたら、最悪、命はなかったと思いました。
地震は本当に怖い。
主人も、地震の5時間前に阪神高速道路を走るタクシーの中だったそうです。
それにしても、運、不運はどこで決まるものかはわからないものだとその時つくづく思いました。
今回、元日にまさかの能登での大震災、ご不自由な生活を送られている皆様のことを思うと、胸が痛みます。
何とか1日でも早く普通の生活に戻れるように早く復興してほしいと祈らずにはおれません。
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車に尿パッド入れてます。
連れ合いには、遠くに出かける時は、尿パッドをバッグに入れなさいと言う。
ご助言ありがとうございます。
二人共まだそのような経験がなかったものですから全く気が付きませんでした。
でも車に置いていたとして、あの状況で(男性3人)の中でどうやってつけたら良いのか考えております。
とりあえずこれから買って来ます。
大変でした
今でも帰宅するのに見た光景がフラッシュバックします
途中でボラしました。
大阪も大混乱だったはず。
無事に帰れて良かったね。
人生の再スタートからの新居、がこのまま潰れてしまうのか…と、腹を括りました。
階段の壺が…また、大きな姿見が…
妻に布団を被せて耐えることしか出来ませんでした。
私のところでも震度5強でしたね…義妹のところでは屋根瓦が全て落下しました…
今回の能登の地震をTVで見ていて、言葉が出ませんでした…早く立ち直れる日が訪れる事を願うばかりです。
今日、やっと震災についての記憶を書く気になりました。
一つ間違えば、我が家にとっても大ピンチになって、私は途方にくれるところでした。
倒壊した神戸の家に、私達の後に住まれた方たちはどうされただろうと、とても気になりました。