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人はなぜ山里に惹かれるのだろうか?  河北新報

3月25日、河北新報に「なぜ人々は農やむらに引かれるのか?」についてのインタビュー記事を載せていただいた。作は、河北新報社・松田博英記者。

個の時代を考えるには、いい素材だったので転載しておこう


◎宮城大事業構想学部 大泉一貫教授に聞く/「感性」で可能性発見

 人々が山里に引き寄せられる背景や、新住民が地域住民に及ぼした効果などについて、宮城大事業構想学部の大泉一貫教授(農業経営学)に聞いた。
 ―人口流出が長く続いている山村に、都市から人が移り住む。この流れをどうみるか。
 「理性を重視し、均質化や類型化が進んだ近代社会が終わったことを表していると考える。成熟社会になり、理性の時代から感性の時代に移ってきた。都市は合理的につくられた社会。そこに暮らす人は、感性で住んでいるわけではない。平場の農村集落も混住化が進み、都市とそれほど変わらない状況になっている。これに対し、山里には、風や土に触れて『気持ちがいい』と素直な感性で言える環境がある」

 ―山里のどんなところが都市の人を引きつけているのか。
 「感性重視の社会は、『違い』を大事にする社会でもある。その点、山里は農業の形一つとってみても多様だ。一足す1が必ずしも2ではなく、3にも4にもなる可能性を秘めている。中山間地は条件不利地域と言われるが、条件の有利、不利は相対的なものであり、どんどん変わっていく」
 「均質化の時代が終わった今、山里が遠くを見通せるのに対し、平場は隣しか見られず、遠望がきかないといった価値観も生まれている。条件が不利だからこそ、人々がお互いを必要とし、支え合ってコミュニティーをはぐくんでもいる。こうした点が人々の心をとらえているのではないか」

 ―山里だからといって、移住して来る人が相次ぐわけではない。
 「次々と人が移り住んで来る所がある一方で、地元役場の農業担当者はよその土地から新規就農者を呼び込もうと熱心なのに、実際にはあまり就農者が入っていないような自治体もある。その違いは、行政や地域の受け入れ態勢に大きな原因がある。態勢の整備は大切な課題の一つだ」

 ―よその土地から移住した人が多い山里は、総じて活気づいているように映るが。
 「人々が『そこ』に住んでいる意味は、どちらかといえば、そこで生まれ育った人はあまり考えない。外から入ってきた人は、彼らの感性で、山里の可能性などを客観視する。そうした中で、昔からいた住民も山里に暮らす意味を考え始め、可能性の大きさに気付きだした。宮城県丸森町や遠野市などは、そうした地域と言えそうだ」

 ―目覚めた山里の人々は、積極的なアクションも起こしている。
 「農村ではこのところ、女性の起業が目立っている。これは、『自分が山里で暮らすことで何ができるのか』の問い掛けに応える具体的な動きの一つだ。農村資源は、女性を社会と結び付ける触媒のようなもの。例えば農産物直売所で自分が作った物が都市から来た人に『売れる』となれば、それは彼女らの人生のストーリーに大きなインパクトを与える。そうやって山里の人々は、『こんな可能性があるんだ』と開花していく」


<おおいずみ・かずぬき>1949年、宮城県涌谷町生まれ。東大大学院農学系研究科修士課程修了。農学博士。東北大農学部助教授を経て01年4月から宮城大事業構想学部教授。04年4月事業構想学部長。専門は農業経営学(地域事業論)。57歳。
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