2012年1月1日(日)午後2時より
※いつもと時間が違いますので、ご注意ください。
新年(元旦)礼拝
「まっすぐに主を見上げて」
詩篇 第1篇1~6節
説教 長尾知明牧師
☆小さなお子様もご一緒にご来会ください。
教会学校のプログラムを準備してお待ちしております。
(教会学校リーダー 長尾なつみ)
☆キリスト教や教会がはじめてという方も歓迎いたします。
また、壱岐に帰省中の方もお気軽におたずねください。
※いつもと時間が違いますので、ご注意ください。
新年(元旦)礼拝
「まっすぐに主を見上げて」
詩篇 第1篇1~6節
説教 長尾知明牧師
☆小さなお子様もご一緒にご来会ください。
教会学校のプログラムを準備してお待ちしております。
(教会学校リーダー 長尾なつみ)
☆キリスト教や教会がはじめてという方も歓迎いたします。
また、壱岐に帰省中の方もお気軽におたずねください。
先日はご来会ありがとうございました。
ご連絡先がわからずブログのコメントでごめんなさい。いつもタイミングが悪くて、出かけていて申し訳ありません。
私も基本的にウィークディは、福岡におります。早良区の西南学院大学の宗教部で働いております。こちらの方にも、機会がありましたら
お出かけください。オルガンコンサートや公開講演会など、キリスト教のイベントをやっています。
どうぞお元気で。良いお年を。
主の祝福豊かにありますように。
新たな年が明けましたが、昨年は何かとお世になりました。
今年もどうぞ、夫婦ともども宜しくお願いいたします。
お正月にあたり寒さもひとしおのことと思いますが、お身体ご自愛ください。
先生のご活躍をお祈りしております。
沖縄は、九州でいう秋の季節にあたるくらいの
寒さです。
雪こそ降りませんが、この季節は、北風が強く
海風があって、体温を奪ってしまうので
体感温度は、気象庁で発表される温度よりも
2~3度は寒く感じています。
主人も沖縄の冬にはだんだんと順応していっているようです。
先生とご家族、壱岐教会、信徒様の上に
神様の祝福と恵みと平安が豊にふりそそがれますようにお祈りしています。
ヨハネ 3:3
牧師様が このように おっしゃいました
*神様は 祈ったことは 聞き届けてくださるものだ*と
たしかに
聖書にも そのように 書いてあります
ところが
よくあるケースで
祈ったのに
ぜんぜん 聞いてもらっていない状況が 続いていると
私たちは 祈りに 懐疑心を いだいてしまいますよね
牧師様は言われました
あなた達は 祈ったと いいますが
では
どのくらい 祈ったのですか。。。。。。?と
1年しても 10年しても 聞き届けられない状況が あったとしても
聞き届けられるまで 祈ったのですか?
祈りは
何年かかろうとも 聞き届けてもらえるまで 祈るのが 祈りです
と このように 言われました。。。。
私たちは
神様が 動かれるまで 働かれるまで 待てないという 感覚が 有りますよね
あまりに 時が長すぎる時
祈りを放棄して あきらめてしまい
神様に 当たることが 多いと いいます。。。。
よくよく考えると
私も そのようなケースが 多々ありました
この礼拝メッセージにおいて
*祈り*が 何たるものかを
少しですが 学ぶことが 出来ました。
感謝
ローマ 6:4
天候も 雨模様と 曇り時々雨 みたいな
すっきりしない天気が 続いていましたが
昨日 今日は 晴れまして 気分がいいですよ。
そうそう
今日は 晴れている上に 仕事が お休みなので
仕事で使う 清掃器具を 整理したり
機械のメンテナンスをしました。。。。
今 私は
職業病のような 右肩 肩関節周囲炎をわずらっていて
本格的な清掃の仕事を控えていて
より負担の軽い 介護の仕事に ウェイトを置いていますが
しかし
ハウスクリーニングの軽い程度のものは こなす予定ですので
仕事道具の 手入れは 準備は しっかりと しています。
そんなわけで
車の中に つんでいる分を今日は 手入れしました (*^_^*)
それから
先日
ある先生の 礼拝説教の中に
皆さんも ご存知の 有名な 聖書箇所の 「良きサマリア人」なる箇所において
関連して
自分に 良くしてくれる人に 良くしたとしても
それは
世の人がしていること と 聖書にも ありますように
隣人を 愛するということの 意味は
むしろ 自分にとって 敵のような存在の人にすら
愛を 注ぐことであると 行動することであると いわれました
また
教会においても
自分に良くしてくれる 教会員とばかり交流して
教会外の人たちに 関心を持とうとしないことも
私達 クリスチャンが
注意すべきことと 言われたりしてありました
私たちは
良きサマリア人の たとえを 読むとき
大抵の方は
良きサマリア人の側に 思いを 入れますが
実は
盗賊の被害にあった人を 見過ごして通り過ぎて行った
祭司やレビ人と ある意味 同じなのかもしれませんね。。。。
その先生は
*聖書読みの聖書知らず*という たとえを 持ち出して
聖書には精通しながら
それを 行おうとしない人に 苦言も 呈しておられましたが
なるほどと 思いましたよ。
では
その盗賊の被害にあった人にとって 誰が 良き隣人となったと思うか?
の イエス様の問いに
キズの手当てをし その上に 近くの宿にまで運び
宿泊代にとどまらず その治療費までもを 支払った サマリア人だと答えましたら
では
*あなたも 行ってそのようにしなさい*と言われましたよね
そこに意味があり
私たちに 求められているのは
アクション 行動 なんですよね。
行って そのようにしなさい。。。。
この言葉に イエス様の気持ちが 願いが 現れていますよね。
簡単なところに 深遠さを 感じ取れます。
私たちも
口先だけで 愛を語るのではなく
行動によって それを 示さなくてはいけませんね。
妻の一粒の麦の実家に行って 障子の張替えをしてきました。
何年も 張り替えていないようで ところどころ破けていたり
障子の色が くすんでいたりしていましたので やや見苦しかったのです
そんなわけで義母に 張替えをしようかといいますと
してほしいといわれたので 近くのDYセンターに 障子を買いに行きましたら
これが 以外と 高価でして
果ては なにやら 破けにくいのやら 破れないのやらと
とにかく へぇーーーーって言うくらいに時代は進化していました。
とにかく なるべく安いのをと思うと
やはり フエキ糊を使うタイプで 昔式となりました>>>>
そして ついでに 刷毛とかカッターなども 買いました。
一応 準備は出来たので
開始すると 障子を貼ることより その前の 剥しと洗浄が
大変でして 思ってた以上に 時間を食いました
とりあえず 全体的には 張り終えて
残った箇所は 上のほうの空気を入れ替える小さな箇所ですが
これは 破けていなかったので 次回にすることにしました
そうこうしてて 終わったのが夜8時くらいでしたよ。
合間に 小雨もふりまして バタバタも致しました。
それから
義理の弟が 障子を張り終えたばかりのを
気を効かしたつもりか こともあろうに 糊が乾いてもいないのに
元のところにはめこんでいたりして
せっかく貼ったのが はげてしまって だいなしになったりしました
気が利いて 間がぬけているということとなりました。
まっ それでも なんとか貼れて 実家の部屋が 凄く明るくなりましたよ。
やはり 白いって いいですね
わたしの心も はりかえしようかなっと。。。。。。手遅れかな?