岐阜県関市洞戸にある円空記念館を訪れました。説明を受けながら館内を回りました。寛永9年(1632)の生誕から、元禄8年(1695)関の弥勒寺に入定するまで、円空の生涯は謎に包まれています。わかっているのは、ノミとナタを手に全国を行脚し、苛酷な封建社会に苦しむ民衆に仏の教えを説きながら、およそ12万体にも及ぶ仏像を彫り続けてきたことだけです。仏像を彫り出したのは32歳からで、師匠はなく全ては我流だったという。円空記念館では最高傑作といわれる一木作り三像をはじめとして、高さ5cmほどの仏像から2mを超える仏像まで30体近くの円空仏が展示されています。
円空記念館

撮影が許されているのはこの辺りだけで、後は全て撮影禁止となっています。



弘法筆を選ばず 円空木を選ばず
仏師が彫る仏像はヒノキかクスノキが多いようですが、円空は木の種類を選ばなかったといいます。





円空記念館周辺はのどかな風景が広がっています。



高賀神社 (こうかじんじゃ)
古くから神々の里として栄えてきた関市洞戸。全国から山伏や信者が参拝に訪れる高賀神社は、円空ゆかりの社として知られています。洞戸を訪れた円空さんは、この地で入定の決意を固め、最後の作品「歓喜天」を彫ったといわれています。



高光公とさるとらへび
円空記念館

撮影が許されているのはこの辺りだけで、後は全て撮影禁止となっています。



弘法筆を選ばず 円空木を選ばず
仏師が彫る仏像はヒノキかクスノキが多いようですが、円空は木の種類を選ばなかったといいます。





円空記念館周辺はのどかな風景が広がっています。



高賀神社 (こうかじんじゃ)
古くから神々の里として栄えてきた関市洞戸。全国から山伏や信者が参拝に訪れる高賀神社は、円空ゆかりの社として知られています。洞戸を訪れた円空さんは、この地で入定の決意を固め、最後の作品「歓喜天」を彫ったといわれています。



高光公とさるとらへび

関市洞戸にある円空記念館のことは知りませんでした。円空が美濃地方で産まれたことも初めて知りました。
円空というと、主に東北地方などに独特の早彫りの仏像をたくさん残したというイメージしかありません。
円空は「木を選ばなかった」ようで、巧みに素早く独特の仏像を彫ったようです。
この辺りは、まだ鄙びた里山という感じです。
洞戸の円空記念館は、国道を外れた奥まったところにあるので目立たないのかもれませんね。
円空仏は約5千体が残っているようです。その中でも愛知県が一番多いということで、
名古屋市の荒子観音寺には1,255体保存されているそうですよ。
おはようございます。
洞戸の円空記念館、ぜひ行ってみたい場所です。
兵庫県のお寺で初めて円空仏を見て以来、心奪われました。
その時初めて円空記念館があること知りました。関市洞戸なんですね。
木曽の行き帰りに寄れそうですので、近いうちに行きたいと思っています。
ありがとうございました。
仏像めぐりもされていましたよね。
洞戸の円空記念館は小さな記念館ですが、
30体ほど展示されていますので機会を見つけて是非お訪ねください。
東海北陸道美濃ICから約27km、1時間ほどのところですから木曽への行き帰りに、
十分立ち寄れる距離だと思います。月曜日が休館になっています。
円空、修験僧、各地で円空仏なる仏さんを12万体も彫られたのですねぇ❗️
頭が下がります。
円空さんは、約30年間で12万体の仏像を彫られたというからすごいですね。
一日に何体彫らなければならないのでしょう。計算できません。(笑)
狛犬も彫られているのですよ。すごい人ですね。
私も円空仏のファンです♪
いつか訪ねてみたいと思っています。
「円空木を選ばず」その辺の木切れにでも彫られたとか。
私も小さいのでいいので一体欲しいです(^_-)-☆
円空さんの彫った仏さんの微笑み、なんともいえない優しさですね。
円空さんは、朽ちた木や曲がった木、切り株まで使われているということです。
まさに木を選ばず、そのものですね。円空ファンが多いのみもうなづけますね。
イケリンさんのブログを拝見して残念な事をしたと後悔しております。
空海の彫刻は暫く見ていても時間を忘れてしまいそうなほど味わい深いものが有りますね。
中部地方の旅、もう少し研究すべきでした。
チャンスが有れば観に行きたいです。
私も何度かこの近くを通っていたのですが、今まで気づきませんでした。
比較的近いところにいるものでもそうですから、離れたところにお住いの方ならなおさらですね。
円空さんの彫られる仏像は荒削りながらも味わい深いものがありますね。
実際には無理なのだけれども、自分でも彫れるのではないかと錯覚させるところもありますね。