自然を求めて近辺ぶらり

四季折々の風景、草花、野鳥などの写真を紹介しています。

思い出のくるま旅 (21) ♨️岩手 夏油温泉と大沢温泉でプチ湯治を体験

2019年08月07日 | くるま旅
私を湯治宿へ誘ったのは一枚の写真でした。東北の湯治場らしい雰囲気に包まれた夏油温泉の写真を見て、一度は湯治を体験してみたいと思うようになりました。実現したのは2009年7月です。岩手県北上市の夏油温泉に2泊、花巻市南花巻温泉郷の大沢温泉に3泊してプチ湯治を体験してきました。双方の湯治宿はともに建物は古いが、室内は綺麗に保たれ清潔感がありました。
※写真はアルバムからの複写です。


夏油 (げとう) 温泉
岩手県北上市の秘湯・夏油温泉への道は夏油温泉いでゆラインと名付けられ、舗装はされているものの曲がりくねった狭い道でした。たどり着いた道路の行き止まりには、大自然に囲まれた夏油温泉元湯があります。七つの湯が湧き出る温泉です。川沿いに天然湧出の温泉露天風呂も数種類あります。基本的に露天風呂はすべて混浴で(一部に女性専用の時間帯あり)、男女別の内風呂も備えています。大湯は湯温が46〜48℃という高温で、あまりの熱さに最初は足湯が精一杯で、浸かることができませんでした。ところがジャボンと浸かって一度この熱さに慣れると適温の湯が物足りなくなります。同じことを、この湯で一緒になった人もおっしゃっていました。人間の体は不思議なものですね。


部屋は夏油館の2階でした。


夏油川左岸 (写真・右) が真湯、右岸 (写真・左) が女(目)の湯です。狭い橋を渡って行き来します。


大湯の入り口です。脱衣場は別々ですが中は混浴です。湯温を測られた人が、今日の温度は低いと申しておられました。その日によって湯温が異なるようですが、「えーっ!!これで低い方なの・・・」と、びっくりでした。


左岸に疝気の湯があります。ここは泉温が低いので長時間の入浴が可能です。


夏油川です。露天風呂のすぐ横を流れています。浅い川ですが右岸に垂直な高い崖が迫っています。


洞窟蒸し風呂の近くにある蛇の湯の滝です。




ブナの木です。


南花巻温泉郷・大沢温泉
岩手県花巻市の花巻南温泉郷に位置する大沢温泉自炊部「湯治屋」は、築200数十年の建物に泊まりました。古くから湯治場として親しまれ、宮沢賢治もこの湯を愛したということです。豊沢川を眺めながら入る名物の混浴露天呂“大沢の湯”や"薬師の湯"、"南部の湯"などに入ることができます。


訪れた当時は、菊水館は開館していました。


右下が豊沢川に面した大沢の湯です。


十円を入れると7分間使えるガスです。


食事は自炊が嫌なら食堂で食べることもできます。ご飯だけでも売っていました。鍋や食器は備わっているので持っていく必要はありません。


湯治屋の廊下


合間に訪れたところ
高村山荘
高村光太郎が花巻に滞在した7年間、独居自炊の創作活動を続けた小さな建物が当時のまま保存されています。 近くの高村記念館には、彫刻や遺墨などが展示されています。












花巻民族資料館


北上夜曲の歌碑
♪ 匂いやさしい白百合の~ 濡れているよなあの瞳・・・
北上夜曲は、当時18歳の「菊地 規(きくち のりみ)」が作詞、当時17歳の「安藤 睦夫(あんどう むつお)」が作曲したものです。しかし、口伝いで広まったために、流行を続けながらも作者が分からず、作者不明という事実がますますこの歌を神秘的なものにしたのでした。昭和36年になってから作者が名乗り出て、この歌が暗い時代に10代の手によって作られていたという話題はセンセーションを巻き起こしました。(北上市ホームページから)


サトウハチロー記念館








往路コースは、中央道→長野道→上信越道→北陸道→磐越道→東北道を経由して911.2kmでした。(途中で一泊)
復路コースは、一旦錦秋湖まで足をのばし、湯田ICから秋田道→東北道→磐越道→北陸道→上信越道→長野道→中央道を走り970.5kmでした。(途中で一泊)
※ 全走行距離は夏油温泉から大沢温泉や途中の立ち寄り先への距離82kmを含めると1,963.7kmでした。

思い出のくるま旅 (20)・山陰と山陽の旅 (山口、広島編・青海島から江田島へ)

2019年08月03日 | くるま旅
山陰と山陽の旅。山口県と広島県編です。山口県では萩城跡や萩城下町、旧厚狭毛利家萩屋敷長屋などをめぐり秋芳洞や青海島、瑠璃光寺、錦帯橋、白壁の町並みが残る柳井市を回ります。金子みすゞのふるさと長門市の仙崎港近くの海岸では、大勢の釣り人がサビキ釣りで小アジを沢山釣っていました。その後、次の目的地宮島へと向かいます。宮島口へ車を置いて船で渡ります。ちょうど干潮の時間帯とあって、見る見る内に潮が引き、満潮時には海中に立つ鳥居近くまで歩いていくことができました。宮島を後にして、広島市内の平和記念公園に立ち寄った後に広島港 (切串港) から江田島の宇品港へとフェリーで渡り、旧海軍兵学校跡にある第一術科学校を見学しました。

山口県
阿武町(道の駅 阿武町で撮影)


萩城下町
松下村塾、木戸孝允・伊東博文旧宅などを見て回る。


親思う心にまさる親こころ 
今日のおとずれ何ときくらん

  (処刑を覚悟した吉田松蔭が、郷里の両親達に書き送った便りの中にある永訣の一首)


萩城跡 (在りし日の萩城・模型)


萩・旧厚狭毛利家萩屋敷長屋


秋吉台




秋芳洞




青海島
青海島から見た風景




青海島くじら墓
鯨墓は、高さ2.4メートル、幅0.46メートルの花崗岩の石塔です。正面には「業尽有情雖放不生」「故宿人天同証佛果」「南無阿弥陀仏」と陰刻され、側面には「元禄五年壬申五月 願主 設楽孫兵衛・池永藤右衛門早川源右衛門」と刻まれています。「鯨1頭取れれば7浦が賑わう」と言われるほど鯨の価値は高く、鯨組の漁師たちは命がけで鯨に向かっていきました。しかし、解体された母鯨の胎内で死亡した子鯨を見たとき、さすがの漁師も哀れみを感じ、墓を建立し経を唱えて丁重に葬りました。その位牌と鯨鯢過去帳も向岸寺に残されています。鯨に対する先人の感謝と思いやりの心は、捕鯨が廃れて一世紀が過ぎた現在でも、地域住民により毎年執り行われる伝統的な回向に引き継がれています。墓の背後の空き地には70数体の鯨の胎児が埋葬されており、鯨墓は、昭和10年に国の史跡に指定されました。


山口・瑠璃光寺
司馬遼太郎さんが「街道を行く」の中で「長州はいい塔を持っている」と記した瑠璃光寺五重塔です。サビエル記念堂も訪れました。


岩国・錦帯橋
錦帯橋を渡り、吉川資料館や白ヘビ観覧施設などへ足を運ぶ。


柳井
柳井は既に室町時代に大内氏の東の要港として重きをなしていました。寛文三年(1663)から干拓が進み、諸国から商人が集まって店舗を構えましたが、ここ古市・金屋あたりが最も古く市がたち、商業の中心地として栄えました。この白壁の町並みは、元禄時代以後の典型的な町屋造りで、江戸時代の繁栄ぶりがしのばれます。
この辺りで「カニが路上を横切ります 人も車もご注意を」の立て看板を見かけました。




広島県
宮島
宮島口に車を置いて、宮島へは船で渡ります。




宮島では鹿が麻酔を打たれてツノを切られていた。


顔に手袋を置かれ、麻酔が冷めるまでこのままお休みです。












広島市内


原爆ドーム



   
   平和記念公園
   

広島港 (宇品港) から江田島へフェリーで渡ります。




江田島




江田島にある第一術科学校・幹部候補生学校を見学
海上自衛隊幹部候補生学校 第一術科学校・幹部候補生学校では、広報の方の案内で約一時間半、学校での規律の厳しさや建物の説明を聴きながら構内を回る。若くして散った神風特攻隊員が出陣の直前に家族に宛てた手紙や遺書がたくさん残っていた。 ※写真はアルバムからの複写です。
















音戸大橋公園






三次風土記の丘
ここで、「風土記の丘」を作詞された佐藤蘭花さんと出会う。この歌のカセットテープをいただく。




くるま旅のコース


思い出のくるま旅 (19)・山陰と山陽の旅 (鳥取、島根編)

2019年08月02日 | くるま旅
昨日掲載した旅行記の2年程前の10月初旬から2週間の日程で、松江市への帰省を兼ねて、山陰と山陽を回った時の記録です。この時の記録を見ると福井県小浜を経由して日本海側を鳥取・大山・松江・大森銀山・浜田・津和野と進み、その後山口県と広島県を回っています。今回は鳥取・島根編です。(鳥取と島根は往路と復路に立ち寄っているので写真の掲載順序が一部異なります。)
※ 写真はアルバムからの複写です。

くるま旅のコース


鳥取県
鳥取城址


用瀬町流しびなの館
男女一対の紙雛を桟俵に乗せ菱餅や桃の小枝を添えて、無病息災を祈り千代川に流します。江戸時代から続く伝統行事です。  
  

鳥取県の浦富海岸


白壁土蔵の町・倉吉


境港さかなセンター


夢みなとタワー


カマスがサビキ釣りで面白いように釣れていました。


島根県
美保関灯台




島根半島の海岸で


鰐淵寺 (がくえんじ・出雲市)
武蔵坊弁慶は、ここ鰐淵寺に多くの伝説を残しています。弁慶は仁平元年(1151年)松江市に生まれ、18歳から3年間ここ鰐淵寺にて修行をしたということです。その後京都の比叡山へと移り、源義経に出会ったと伝えられています。壇ノ浦の合戦で平家を滅ぼした弁慶は再び出雲の地に戻り、鰐淵寺に身を寄せました。この道中、弁慶は「大山寺」(現在の鳥取県大山町の山中にある寺)の釣鐘をかつぎ、鰐淵寺まで約101kmある山道を一晩で持ち帰ったといわれます。


松江フォーゲルパーク




松江堀川めぐりの遊覧船でお堀を一周




宍道湖の夕景


奥出雲
道の駅・奥出雲おろちループ


JR木次線・出雲坂根駅


JR木次線 出雲坂根駅ホーム
全国でも珍しい3段式スイッチバックで知られる出雲坂根駅は駅構内に延命水が湧き出しています。




こちらは、駅構外に設けられた名水の汲み場です。水を汲みに来る人が次々と訪れる人気ぶりでした。


亀嵩駅
松本清張の小説『砂の器』に登場した駅です。ただし、映画版で撮影されたのは、同じ木次線だが、ホームは出雲八代駅、駅舎は八川駅だったということです。亀嵩駅を使わなかった理由は「そばの看板が邪魔になったのと、崖が迫っていてカメラが引けなかったから」ということのようです。その他は亀嵩の町で撮影されたそうです。


亀嵩駅構内には、お蕎麦屋さんがあり、美味しいことで有名です。


奥出雲では元松江藩鉄師頭取"絲原家"の"絲原記念館"にも立ち寄りました。

日本海


石見銀山大森の町並み
大森の町並みをぶらつきながら、石見銀山みてあるきの地図を片手に龍源寺間歩などを見て歩きました。龍源寺間歩は、正徳5年(1715)に開発され、石見銀山では大久保間歩に次ぐ大坑道として良質の銀鉱山が昭和18年(1943)までの228年間掘り続けられました。江戸時代の開掘の長さは約600mに及びます。




羅漢寺


津和野








津和野稲成神社

思い出のくるま旅 (17) 奈良葛城高原のツツジと長谷寺のボタンと京都太田神社のカキツバタ

2019年04月24日 | くるま旅
葛城高原のつつじの咲く時期に合わせて5月中旬に奈良と京都を訪れた時の記録です。大和葛城山(やまとかつらぎさん)は、奈良県御所市と大阪府南河内郡千早赤阪村との境に位置する標高959.2mの山です。山頂付近は葛城高原と呼ばれ、ツツジの開花時期には山全体が赤く染まり見事なものです。上りはロープウェイを利用し、帰りは歩いて下山しました。

葛城高原のつつじ




















九品寺(くほんじ)
九品寺を開いたのは奈良時代の僧、行基です。九品寺はサンスクリット語で、その意味は布教でいう上品・中品・下品で、人間の品格をあらわしています。上品の中にも上中下があって中品や下品にもそれぞれ上中下があります。全部で九つの品があるので九品と名づけられています。


余野公園(三重県伊賀市)
    

鳥見山(奈良県宇陀市)
  

長谷寺 (奈良県桜井市初瀬)
長谷寺は古くから "花のお寺" と称されています。仁王門を抜け、本堂へと続く登廊(重要文化財)は399段の石段になっており、登廊の天井には楕円形の灯籠が吊られています。登廊の周りや境内は4月下旬から5月上旬にかけて満開となるボタンに彩られます。西国三十三所第8番札所となっている。


  

  

上賀茂神社
  

上賀茂伝統的建造物保存地域
  

京都西陣・上七軒
  

京都・太田神社のカキツバタ
上賀茂神社の摂社で天鈿女命(あめのうずめのみこと)をまつる。境内の大田の沢にはカキツバタの野生群落(天然記念物)があり、藤原俊成の歌にもよまれ、すでに平安時代には有名であったという。
   

コース


思い出のくるま旅 (16) 奈良の桜を訪ねて (吉野山・又兵衛桜・天益寺・壺阪寺・談山神社・飛鳥...)

2019年03月20日 | くるま旅
奈良県吉野郡吉野町吉の吉野山には古来桜が多く、シロヤマザクラを中心に約200種3万本の桜が密集しています。4月の上旬から中旬にかけて3万本ともいわれる桜が豪華絢爛と咲きみだれます。ここに掲載した写真は、2010年に訪れた雨の日の桜と、2004年に訪れた晴天の日の桜の両方を掲載しました。青空に映える桜も見事なものですが、雨に咲く桜も風情がありますした。
雨に咲く吉野山の桜・2010年4月








































又兵衛桜・2010年4月(奈良県宇陀市大宇陀本郷)




晴れた日の吉野山の桜・2004年4月
こちらの写真はアルバムからの複製です。
























天益寺(宇陀市大宇陀迫間)


談山神社・2004年4月 (たんざんじんじゃ・奈良県桜井市多武峰)
飛鳥の東に峰を連ねる多武峰の山中に社殿が立ち並んでいる。ここは、藤原鎌足と中大兄皇子が大化の改新を談じた山、談山 (かたらいのやま) の故地として知られています。




壺阪寺・2004年4月(奈良県高市郡高取町壷阪)
正式には南法華寺というが、お里が盲目の沢市につくす物語の浄瑠璃「壺阪霊験記」で喧伝され、壺阪寺の撫で親しまれるようになった。




天竺渡来大涅槃石像






飛鳥寺・2004年4月(奈良県高市郡明日香村飛鳥)


飛鳥坐神社(高市郡明日香村飛鳥)




高市町・2004年4月(奈良県高市郡明日香村立部)






伊賀上野城・2004年4月

思い出のくるま旅 (15) 奈良・賀名生 (あのう) 梅林と月ヶ瀬梅林

2019年02月22日 | くるま旅
今回の "思い出のくるま旅" は、2006年3月下旬に、奈良県の賀名生梅林と月ヶ瀬梅林を2日間で回ったときのものです。同じ奈良県の吉野山は、桜の名所として知られ、下の千本・中の千本・上の千本・奥の千本と称されますが、ここ賀名生梅林も、口の千本・一目千本・見返り千本・東雲千本・奥の千本・西の千本と見所が続きます。梅林をめぐる散策道から眺める、長閑な山里風景も素晴らしいものでした。(アルバムからの複製写真です)

賀名生梅林
































賀名生皇居跡




奈良県西吉野町の賀名生梅林は、丘陵を麓から中腹までおおいつくすように2万本の梅が咲き誇る県下有数の梅林として知られています。2月下旬から3月下旬、さながら雲海のように梅の花がほころび、ほのかな香りが、山々を伝うように漂ってきます。700年前の南北朝時代に都を追われた公家たちによって賀名生の梅の花が歌に詠まれているところからも、既にこの地の梅が香り高く咲き誇っていたことが分かります。さらに明治10年頃から果実の収穫を目的として栽培され始め、大正12年東宮殿下の御成婚を記念して5千本の苗が植えられ、その後大きく増殖されて、賀名生の梅林として知られるようになりました。純白や淡い紅色の梅の花は早春の陽光を浴びて、爽やかで壮観な風景を展開させます。南朝の悲しい史話を帯びて、雅やかな梅の花の色合いは、丹生川の支流に南朝のロマンを映しているようです。(案内より) 

月ヶ瀬梅林(奈良市月ヶ瀬)
五月川の渓谷沿いに梅の木が広がる様から月ヶ瀬梅渓とも呼ばれています。










以下は、この旅の途中に立ち寄った大神神社と石上神宮です。
大神神社






石上神宮






思い出のくるま旅 (14) 滋賀県高島市今津町の座禅草と京都・北野天満宮の梅花祭

2019年01月05日 | くるま旅
滋賀県高島市の座禅草群生地と京都・北野天満宮の梅花祭を訪れた時のものです。名神高速道から北陸道を通って木之本ICで降り、奥琵琶湖水の駅、道の駅マキノ追坂峠に立ち寄り、滋賀県高島市今津町弘川の座禅草群生地を訪れました。道路には雪がなかったものの道端には若干の雪が残っていました。その後、琵琶湖の西岸沿いを通って京都市に入り、翌日、梅花祭や骨董市開催中の北野天満宮や松尾大社、梅宮大社を回りました。(2010年2月24日・25日)

滋賀県高島市の座禅草








京都・北野天満宮の梅花祭
菅公御歌「東風吹かば 匂いおこせよ梅の花 あるじなしとて春を忘るな」






北野天満宮の骨董市の様子です。
約300のお店が並びます。エーッ!!こんなものまで売っているの・・・と驚くような品物が多数並んでいます。見て歩くだけでも楽しいものがあります。






松尾大社 (まつのおたいしゃ) 京都市西京区嵐山宮町
渡来人秦氏が一族の氏神として信仰した古い社。大山咋神・市杵島姫命を祭り、境内に霊亀ノ滝、亀ノ井の名水があり、酒造家の信仰が厚い。




梅宮大社 (うめのみやたいしゃ) 京都府京都市右京区梅津フケノ川町




ご訪問ありがとうございます。予約投稿して出かけていますのでコメント欄を閉じています。

思い出のくるま旅 (13) 滋賀県湖南市 "湖南三山の紅葉" と京都市上京区の人形の寺 "宝鏡寺の人形展"

2018年10月11日 | くるま旅
湖南三山
湖南三山(こなんさんざん)は、滋賀県湖南市にある3つのお寺 (善水寺・長寿寺・常楽寺) で、湖東三山 (西明寺・金剛輪寺・百済寺) とともに、滋賀県屈指の紅葉の名所として知られています。(2006年11月)

長楽寺








善水寺








常楽寺






人形の寺・宝鏡寺門跡
京都市上京区百々町にある宝鏡寺は尼門跡寺院です。宝鏡寺には、明和元(1764)に賜った御所号。「百々御所(どどのごしょ)」という別名があります。これは、皇室との関係の強さを今に伝えます。多くの姫君が寺に入ったことから、御所からは彼女たちへの人形が贈られてくるようになります。これは、父君である天皇からの贈り物でした。なかには、もう現在の技術では作ることができない資料的にも大変貴重な人形も含まれています。歴代の門跡ゆかりの寺宝が多数所蔵されており、これらを中心に毎年春と秋に、寺宝の人形が展示されます。今年の秋は11月1日〜30日まで秋の人形展が開催されます。撮影コーナー以外は撮影禁止になっています。(2006年11月)










宝鏡寺門前・京和傘の日吉屋


宝鏡寺境内では、色とりどりの和傘が干されていた。


北野白梅町駅から、嵐電 (らんでん) に乗って妙心寺に向かいます。


嵐電は、民家の軒先をかすめながら走る、観光客に人気の電車です。


妙心寺
京都の西に位置する妙心寺の山内には40余りの塔頭がありますが、退蔵院はそのうちでも屈指の古刹として知られています。境内には、国宝「瓢鮎図(ひょうねんず)」(模本)や史跡名勝・枯山水庭園「元信の庭」、そして四季折々の景色が美しい池泉回遊式庭園「余香苑(よこうえん)」などがあります。




妙心寺塔頭・退蔵院






妙心寺を出て今宮神社に向かいます。今宮神社参道のあぶり餅やで一服です。
今宮神社の東門を出た参道の北と南に「一和」と「かざりや」の2軒のあぶり餅屋があります。一和 (一文字屋) は、創業以来1000年以上も営業し、かざりやは、創業400年の老舗です。あぶり餅とは、きな粉をまぶした親指大の餅を竹串に刺し、炭火で炙った後に白味噌のタレを塗ったものです。香ばしいあぶり餅を一和でいただく。





思い出のくるま旅 (12) ・保津川下り

2018年09月16日 | くるま旅
保津川は、京都府の中央部丹波高地に源を発します。この川の亀岡から嵯峨嵐山(京都市右京区)までを、保津川といいます。京都の豪商であった角倉了以が慶長11年3月、周囲を山に囲まれて難所の多い上、巨岩巨石が横たわり、しかも急流である峡谷を開削して、水路を作る工事に着手。幾多の犠牲を払い巨費を投じて開削し水運を築いたものです。保津川下りは京都府亀岡から嵐山までの16kmを約90分で下ります。(2006年8月)



トロッコ嵯峨駅で乗船手続きをします。ここで乗船する船便が決まります。亀岡の乗船場でも受け付けているようですが、車の場合は、船下り後に亀岡まで戻るのが大変ですので、嵐山に車を置いてトロッコ電車で亀岡駅に向かいます。、


トロッコ電車から眺める嵐山や保津川の風景は素晴らしいものです。景色の良い場所では徐行運転をしてくれます。


トロッコ保津峡駅では、たぬきの置物がお出迎えです。ここから見下ろす、保津川や周囲の風景も最高です。


トロッコ亀岡駅からは、連絡バスで保津川下り乗船場へ向かいます


乗船場です。ここから嵐山まで下ります。


保津川下りのコースです。




船頭さんが艪と竿を巧みに操って急流を下ります。流れの緩やかなところでは、艪を漕ぐギーコ・ギーコという音がのどかに響きます。呼応するかのようにウグイスの鳴き声までもが聞こえてきます。長閑です。


沈下橋です。
沈下橋の特徴として、橋の上に欄干がないので、増水時に流木や土砂が欄干に引っかかり、川の水がせき止められ洪水になることを防ぐという利点があります。


急流では艪を持つ手にも力が入ります。




下ってきた川を振り返って見たところです。川幅の狭い急流も見えます。船頭さんの腕の見せ所です。


ラフティングに興じる人の姿もありました。


鮎釣りをする人の姿もあります。


後方に川下りの船が見えます。




嵐山に近づくと売店船が近づいてきます。


おでんやジュースなどを売っています。


渡月橋が見えてきました。渡月橋の少し上流が船下りの終点です。スリル満点の90分の船下りが終わりを告げます。


嵐山渡月橋付近の風景です。


本日コメント欄を閉じさせていただきます。

思い出のくるま旅 (11) 四国一周

2018年09月03日 | くるま旅
'09年の年末から'00年の正月にかけて、四国を一周した時の記録です。この時の四国への旅は、和歌山港からフェリーで徳島港へ渡り海岸線を左回りで室戸岬、足摺岬、松山、高松と回り、高松港から宇高国道フェリーで岡山県の宇野港に着き、兵庫県の赤穂、神戸などを一週間で回りました。
四国一周の旅コース


和歌山港
徳島へ渡るには、名神高速道路から、神戸淡路鳴門自動車道と乗り継いで渡るのが一般的だと思うが、それでは旅の面白味に欠けるのと、できれば一筆書きで回りたいという思いから、この時は、南海フェーリを利用して徳島へ渡るコースを選ぶ。万一のことを考えて前日に予約をしたが、その必要はなかったようだ。かなり空いていた。


南海フェリー船上からの紀伊水道の眺め。


約2時間で徳島港に到着。前方の山は眉山です。徳島では、アクティとくしま工芸村に立ち寄る。


大浜海岸の透き通った海が印象的だった。


日和佐ウミガメ博物館を見学。
ウミガメの砂の中の卵は、2か月ほどで孵化し、地上に出てくるが、この砂の中にいるときの温度が、29℃を境に性別が分かれるという。28℃以下だとオス、30℃以上だとメス、29℃だとほぼ同じ割合だという。なんとも不思議なことではある。


宍喰温泉で入浴。近くの、魚の干物屋のご主人と雑談。いろんなお話が聴けた。ここで冬休みを利用して四国を回っているという、学生お遍路さんと出会う。一日に10時間40kmを歩いているという。若いってすばらしい・・・。四国ではお遍路さんの姿をよく見かけた。


宍喰温泉は道の駅の中にある。国道55号線を挟んで海が広がる。


室戸岬は、汗ばむほどの陽気だった。高知の冬の暖かささを実感する。




道の駅土佐和紙工芸村に寄り道し、クアハウス「ゆ」で入浴。


国道55号線は南国ムードに包まれていた。


高知市内の商店街・大橋通り市場。大勢の買い物客で賑わっていた。




高知・ひろめ市場


桂浜


四万十とんぼ自然観
この季節だから、飛び交うトンボは見られなかったが、展示されている、600種2000点の標本を見る。




足摺岬灯台 (四国最南端の岬)
椿のトンネルのロマン歩道を白山洞まで往復。豪快な断崖と灯台の白と青い空のコントラストが素晴らしい。


竜串海岸の波と風で浸食された岩。




叶崎 (かなえざき) 灯台
「叶崎海岸を見ずして土佐風景を見たとはいえ ない」と俳人・河東碧梧桐が言ったといわれる。展望台からは左手に叶崎が見え岬の先に小さな白亜の灯台が見えます。名前の通り願いが叶うと言う事で、恋人の岬とも云われています。


大堂海岸に沈む夕日。


道の駅すさき


御荘町。道の駅みしょうMIC


西海町の港


鹿島・海中公園


宇和島城から見た宇和島の市街地


大洲・臥龍山荘
大洲の自然を借景に河岸庭園は石積みや苔が美しい調和を見せ、臥龍院・不老庵・知止庵の三建築が素晴らしかった。






松山市内 道後温泉方面へ進む。


道後温泉で入浴。




今治・湯ノ浦温泉


今治では、糸山公園来島海峡展望館で、しまなね街道の夜景を見る。

金毘羅宮(こんぴらさん) に参拝。御本宮まで785段の石段を登る。当時はそんなにもきつく感じなかったが、今登ったらどうだろう・・・




栗林公園は広大な敷地に6つの池を持ち、松が美しい。屋島は源平古戦場で、歴史のロマンと雄大な景色に浸る。




宇高フェリーで、香川県高松港から岡山県宇野港に向かう。瀬戸内海の落日をフェリーの上から眺める。'99年最後の太陽が、美しい風景の中に沈んで行く。宇野港まで1時間の船旅です。


錦海湾の初日の出
道の駅一本松展望台から、錦海湾に上がる'00年の初日の出を拝む。この初日の出を見ようという大勢の人で溢れかえっていた。


牛窓
日本のエーゲ海と呼ばる。庁舎、ホテルから、公衆トイレにいたるまで、地中海風で全体が明るい雰囲気だつた。邑久町では、竹久夢二生家に立ち寄る。




赤穂の大石神社で初詣。


赤穂城跡にも立ち寄る。


この後、神戸に向かい、南京町を散策した後に、「中国料理店」で食事をとり、一路帰路につく。

以下の写真は、上の四国一周とは別の日に淡路島を一周した時のものの一部です。
神戸ハーバーランド モザイクガーデンと神戸ポートタワーなど






舞子海上ブロムナード
橋の補剛桁内に設けられたガラス張りの歩道橋。床面から明石海峡を行き交う船を見ることができた。




明石海峡大橋


淡路島を淡路町・東浦町・津名町・洲本市・南淡町・慶野松原・五色町・一宮町・北淡町とぐるりと一回り。途中おのころ愛ランドや大鳴門橋記念館、パルシェ香りの湯、震災記念公園などに立ち寄る。
北淡町震災記念公園・野島断層保存館


震災当時の写真が大きなパネルで展示してあった。自身の凄さと恐ろしさを再錦させられた。


野島断層跡 

思い出のくるま旅 (10) 尾瀬ヶ原と尾瀬沼

2018年08月29日 | くるま旅
尾瀬や檜枝岐などを一週間で回った時の記録です。尾瀬ヶ原で一日、尾瀬沼で一日の合計二日で、広大な尾瀬の、ほんの一部を散策してきました。尾瀬ヶ原へは鳩待峠から入り、尾瀬沼へは御池駐車場から、バスで沼山峠休憩所まで移動、そこから尾瀬沼を一周しました。福島・群馬、新潟の三県にまたがる尾瀬は標高2,000m前後の山々に囲まれた面積80㎢あまりの盆地で、標高1,400mの尾瀬ヶ原と1,665mの尾瀬沼に大別されます。(季節は 2002年6月中旬・走行距離は1,670kmでした)


尾瀬ヶ原
重い荷物を担いで、鳩待峠から尾瀬ヶ原の山小屋に向かうボッカさん。ポッカさんは尾瀬ではよく見かけました。


鳩待峠から、川上川に架かる橋を経て尾瀬ヶ原に向かい、尾瀬山の鼻ビジターセンターに到着。


尾瀬ヶ原の風景
鳩待峠を午前7時45分に出発して、山の鼻→牛首→竜宮→東電小屋→ヨッピ吊り橋→牛首→山の鼻→鳩待峠の順に回る。鳩待峠に帰って来たのは午後4時頃でした。






木道の途中には休憩場所が設けられている。




尾瀬には、約1,500の池塘があるという。魚影もみられた。


尾瀬ヶ原と至仏山




レンゲツツジと至仏山








牛首分岐から竜宮にある東電小屋、ヨッピ吊橋を経て山の鼻ビジターセンターへ、ここで休憩した後に鳩待峠まで戻る。


ヤマドリゼンマイの群落




ヘリコプターで、山小屋へ荷物を運んでいるところです。


尾瀬沼
尾瀬沼と燧ケ岳
御池駐車場→(バス)→沼山峠休憩所→沼山峠→尾瀬沼東岸→沼尻→三平下→沼山峠休憩所と尾瀬沼を一周


水芭蕉があちらこちらで見られた。


沼尻




沼山峠休憩所


尾瀬沼を一周した後に舘岩村にある、前沢曲家集落に立ち寄る




木賊 (とくさ) 温泉の露天岩風呂に入る。
木賊温泉は、武士の隠し湯ともいわれる秘湯で、川畔の露天風呂はて天然岩を利用した湯船で野趣あふれるものだった。地元の人の話では、木賊(とくさ)を「きぞく」と読み違えて、「きぞく」の住む村とは、どんなところかと訪れる人もあるのだとか。


大桃の舞台


檜枝岐村の檜枝岐歌舞伎の舞台や六地蔵などを見て回る。


橋場のバンバ


お椀とハサミが沢山供えられていた。


六地蔵
道端に佇む六体の石像。山深い里のため、昔から冷害になやまされ、とくに凶作の年には、餓死者もでるほどだったという。ゆえに、働けぬ赤ん坊が「まびき」されるという行為もあったという。この稚児像は、その霊を弔い母の嘆きを慰めるために建立されたものだということです。


板倉
板倉は火事から大切な穀物を守るため、家から少し離れた畑の中に建てられました。厚さ10cmほどの板をセイロウのように組み合わせる工法で、窓はなく、釘や柱も一切使用されていません。この建築様式は、奈良の正倉院と同じで建築史上重要な文化財です。


檜枝岐を後にし、奥只見シルバーラインを経由して、湯之谷村・栃尾・小出・小千谷・長岡・入広瀬村・松代町・松之山・水上温泉・土合・一の倉沢出合・宝川温泉・裏見の滝・奈女沢温泉・月夜野・沼田と回る。月夜野の奈女沢 (なめざわ) 温泉は、「医師に見離された多くの人が、ここに湧き出る釈迦の霊泉によって快癒しているという」。治癒した方からの礼状を印刷した分厚い冊子を渡された。世の中には信じ難いことがたくさんあるようだ。驚いたことに、この釈迦の霊泉が10ℓ入りのポリ容器で3,500円という値段だった。

奥只見湖


入広瀬村


長岡悠久山公園


小出公園から見た小出の町


杜々の森湧水


松之山温泉



水上温泉


もぐら駅で知られる土合 (どあい) 駅
下りホームが新清水トンネル内にあり、駅舎(地上)から10分ほど階段を下りないとホームに到達できないことから、「日本一のモグラ駅」として親しまれている。「関東の駅百選」認定駅の1つ。この長い階段をホームまで降りてみる。


一の倉沢出合
一の倉沢出合には、まだ所々に雪が残っていた。ここから谷川岳を眺める。






雪の下を流れる川。




奥利根裏見の滝


沼田から伊香保・榛名湖と回り、尻焼温泉まで足を延す。
伊香保温泉


榛名湖


榛名湖湖畔の宿記念公園の「湖畔の宿」歌碑


尻焼温泉は、川原を堰き止めた広々とした温泉で、川底からお湯が沸きだす開放感あふれる温泉だった。




尻焼温泉から草津温泉に回り、東部町・丸子町・鹿教湯温泉・松本・塩尻・木曽福島を経由して帰路につく。
湯の丸レンゲツツジの群落

思い出のくるま旅 (9) 九州

2018年08月21日 | くるま旅
この車旅の記録は、九州をほぼ一周した時のものです。総走行距離は4,463.5km。要した日数は19日 (九州内では15日)です。当時のガソリン(軽油)価格は平均で77.95円。一番安かったのが大分県新吉富村の72.5円、一番高かったのが鹿児島県鹿屋市の94,5円でした。現在の価格から比べるとかなり安いですね。(写真はアルバムからの複写です・2003年5月)

九州くるま旅のコース (反時計回りで、概ね緑線のコースで回りました)


佐賀県呼子町
紺碧の海と緑の草原が美しい加部島へは、全長728mの呼子大橋を渡って風の見える丘公園に行く。呼子では朝市が開かれていたが駐車場が見当たらず断念。


伊万里ふるさと村前の陶器市。


平戸大橋
平戸大橋(ひらどおおはし)は、長崎県平戸市にあり、同市の中心市街地がある平戸島と本土部を隔てる平戸瀬戸に架かる吊り橋。訪れた当時は有料でした。


平戸カトリック教会


生月島 (長崎県北松浦郡生月町)
平戸から生月大橋 (有料) を通って生月島へ渡る。橋の向こうが平戸です。生月(いきつき)という島名の由来は、遣隋使・遣唐使の時代に中国から日本へ帰国する旅人が、船上からこの島を見つけると、無事に帰ってこられたと安心してホッと息をついたことから、といわれている。


生月島の海岸でウニを獲る女性たちを見かける。潜ることなく引っ掛け棒で簡単に獲れていた。豊かな海のようだ。


生月島大バエ断崖
渡り鳥が北へあがる道と南へ下る道の交差点に当たる大バエ断崖は、渡り鳥の国際空港と呼ばれ、約160種類もの鳥が集まる場所で、3月10日から4月10日頃まで、出水の鶴の北帰行が見られます。大陸に帰る渡り鳥たちの日本の最後のよりどころです。(案内より)


長串山つつじ公園からは、西海国立公園の北九十九島の眺望が素晴らしい。




ハウステンボス
西海パールライン有料道路を通ってハウステンボスには昼前に着く。一旦車に戻り、陽が落ちるのを待って、夜の風景を楽しむために再度入場する。






長崎では、松ケ枝駐車場に車を置いて、大浦天主堂・旧グラバー邸と活水女子大学に続くオランダ坂を歩いて散策。


旧グラパー邸




旧グラパー邸から見た長崎市街


長崎県外海町の遠藤周作文学館に立ち寄る。外海町は隠れキリシタンの里としても知られており、遠藤文学の原点と目される小説『沈黙』の舞台となった場所です。
遠藤周作文学館近くから眺めた角力灘


島原城と下級武士屋敷跡、道の中央を流れる湧水の水路などを見て回る。


雲仙仁田峠からの眺望


有明海の湾口部にある口之津港は島原半島の南端、早崎瀬戸に面した港で、有明海の湾口部にある。ここから鬼池港まで島鉄フェリーで渡ります。所要時間は約30分。


鬼池港 (熊本県天草市) に入港。


断崖絶壁の続くサンセットライン(国道389)を走り、眺めの良い十三仏崎でしばし休憩。


熊本県天草市河浦町崎津の町を見下ろす高台から崎津の集落と崎津天主堂を見る。


崎津天主堂では、年老いた老婦人が数人、祈りを捧げる姿があった。


有明 (天草市有明町)


熊本県八代から坂本村を経て、日本三大急流の一つ球磨川沿いに人吉に向かう。人吉城跡から見た人吉の町。


生駒高原 (宮崎県小林市)
生駒高原では夷守岳 (ひなもりだけ)を背景にアイランドポビーが満開だった。


山川砂むし温泉 (鹿児島県指宿市山川福元)
混雑する指宿の砂風呂を避けて、山川砂むし湯をえらぶ。閑散としていた。池田湖にも立ち寄る。






長崎鼻パーキングガーデン (鹿児島県指宿市)


開聞山麓自然公園 (鹿児島県指宿市)




枕崎ではお魚センターを覗いて回る。(鹿児島県枕崎市)


知覧 ( 鹿児島県知覧町)
知覧は陸軍特攻隊の基地として、幾多の若者が二度と還ることのない征途に臨んだところ。道路沿いには、1,036柱の御霊と同じ数の灯籠が立ち並んでいた。


知覧武家屋敷群では七つの庭園を見ることができるが、そのうちの3つだけを見る。




鹿児島城山展望台からは錦江湾・桜島・鹿児島市街の眺望が素晴らしかった。


鹿児島港から桜島フェリーで桜島港へ渡り、その後亜熱帯の楽園「佐多岬」へ向かう。


佐多岬 (鹿児島県肝属郡南大隅町)
佐多岬は本州最南端の地で、色とりどりの亜熱帯の花が咲き乱れていた。昼なお暗いジャングル遊歩道を抜けて断崖上の展望台に立つ。






都井岬 (宮崎県串間市)
都井岬は、御崎馬と呼ばれる野生馬が多い。木曽馬や道産子などとともに、日本在来馬で国の天然記念物に指定されている。




日南海岸


鵜戸神宮は荒波が打ち寄せる鵜戸崎突端にある神社。本殿はぽつかりと口を開けた洞窟の中にある。




青島 (宮崎市青島)


大雨の降る中を、日向から国道327号線を経由して、九州の秘境といわれる椎葉村に向かう。すれ違い困難な箇所とカーブが多い道で緊張を強いられる。
椎葉村は平家の落人が隠れ住んだという伝説の地。築300年以上と伝わる鶴富屋敷は、正式には那須家住宅といい、壇ノ浦の戦いに敗れここまで逃れた平家の末裔鶴富姫と源氏方の那須大八郎宗久のロマンスの舞台と言われている。


鶴富屋敷 (宮崎県東臼杵郡椎葉村)


鶴富屋敷近くには、十根川重要伝統的保存築集落が残っており、現在も数世帯が美しい石垣に囲まれた家で暮らしている。十根川神社境内には、樹齢八百年、高さ54m、幹周り19mと全国でも屈指といわれる八村杉がそびえていた。雨がますます激しくなる。早々に引き上げる。


高千穂峡(宮崎県西臼杵郡高千穂町)


はげの湯温泉くぬぎ湯 (熊本県阿蘇郡小国町)
小国町にある、"はげのゆ温泉くぬぎ湯" の家族風呂に入る。コイン式で毎回お湯を入れ替える清潔な家族風呂で24時間営業。


温泉の入り口には "蒸し釜"があり、入浴すれは無料で使うことができた。


集落のほとんどの家に、蒸し釜があるという。集落の至る所で、湯けむりで上がっていた。道路には立ちのぼる湯気で前がよく見えないため、ヘッドライトを点灯して走るようにと立て看板まで出ていた。




久住あざみ台展望所に着いた頃に雨が激しくなり、この日阿蘇に行く予定を変更して、原尻の滝に向かう。

原尻の滝 (大分県豊後大野市緒方町原尻)
原尻の滝の後、荒城の月で有名な竹田の岡城址にまで行ったが、雨が強く城址に登るのは断念。翌日は泗水孔子公園や水前寺公園、七城メロンドームなどをに回る。




泗水孔子公園 (熊本県菊池市豊水)


阿蘇山上は好天とは言い難かったが、なんとか火口とその周辺の山々を見ることができた。やまなみハイウェイを通って湯布院に行き、金鱗湖と周辺の散策を楽しむ。




大分県日田市豆田の街並
江戸時代に城下町として栄えた日田市豆田町は、およそ400年前の町割り、水路、寺社、家蔵がそのまま残されている。下駄の生産量日本一だとか。




青の洞門 (大分県中津市本耶馬渓町曽木)
青の洞門は、江戸で人をあやめ層となった禅海が、羅漢寺詣での人々のために、ノミとカナヅチだけで30年間掘り続けた長さ185mのトンネル。現在は拡張されていて、一方通行ながら大型自動車が通れる。当時のままのトンネルも残されていて、ノミの後がはっかりとわかり、その執念と根気に驚く。


門司港レトロ
1889年に開港したという門司港には、当時の面影を忍ばせる古い街並みが残っている。






高台にある門司めかり公園から見た関門大橋。橋を渡れば山口県の下関。海底を通る関門国道トンネルもある。トンネルには別途780mの人道があり歩いて下関まで渡ることができる。下関との境まで行って引き返す。


門司めかり公園から見た門司市街


門司めかり公園から見た関門海峡



思い出のくるま旅 (8) 北海道・礼文島と利尻島

2017年10月25日 | くるま旅
礼文島・利尻島へ行く前日に、稚内駅構内の案内所での下調べで、朝7時30分の船に乗れば一日で礼文島と利尻島を観光できることがわかる。少し忙しい気もするが両島を一日で回ることにした。


稚内港より礼文島へ行くフェリー。車は稚内に置いたままにする。


朝方雨が降っていたが天気予報通りに、香深港を出た観光バスがスカイ岬に向かって走っている頃から、
一気に晴れてきた。この日は一日中好天に恵まれる。
ガイドさんの説明では、利尻島にも礼文島にも熊はいないということだった。

礼文島案内図


礼文島の港の風景




礼文島スカイ岬からの眺望
花の浮島と呼ばれるだけあって、花をいたるところで見かける。












スコトン岬




    

最北限のトイレ (スコトン岬)


猫台・桃台




港へ向かうバスの車窓から見た利尻山と風景




礼文島観光記念


礼文島香深港から利尻島鴛泊港へ渡るフェリー


利尻島案内図

観光バスで利尻島を一周する。
利尻山は日本最北端の100名山です。島全体が山にあたるので、
海抜0メートルから登ることができる珍しい山です。

利尻島オタトマリ沼










利尻山
山頂付近にかかっていた雲がとれて、利尻富士と呼ばれる山の
全貌が姿を現した。




仙法師御崎公園


       礼文島・利尻島と回り、午後7時10分稚内港に帰着。
       素晴らしい一日だった。
                  
             (北海道編・完)

思い出のくるま旅 (7) 北海道・知床岬めぐり

2017年10月24日 | くるま旅
朝、ゴジラ岩観光に電話で、知床半島めぐりの予約をする。
硫黄山コースと岬めぐりの二つのコースの中から岬めぐりを選ぶ。12時30分出航し約3時間のクルーザーでの岬めぐりです。半島の先端に向かう途中に、山の低い箇所があり、そこを通過するときに羅臼側から吹き込む風で寒さに震えます。クルーザーの中には、防寒着が用意されていたのでそれを借りてしのぐ。

カムイワッカ号で知床岬めぐりをします。
    



出航まで、時間があったので港を散策しました。ちょうどホタテの水揚げが始まっていました。
後方の岩山は、オロンコ岩です。展望台があります。


ホタテを船からダンプカーに積み込む風景です。すごい量です。
ホタテを後ろに詰めるために、荷台を上げた途端にホタテがこぼれ落ちます。


ウトロ港の風景です。これ以上は望みようがないほどの好天です。


知床旅情のメロディーが流れる中、ウトロ港を出航です。3時間のクルージングの始まりです。


カモメでしょうか。数羽が卵を温めているようです。


クルーザーは、小回りが利くので岸壁の近くまで寄ってくれます。


海側から見たフレペの滝 (おとめの涙) です。


カムイワッカの滝です。




カモメでしょうか航跡の後を飛び回っています。


知床連山の眺めが素晴らしいです。


断崖絶壁が続きます。




知床半島では、いくつかの滝が海に直接流れ落ちています。




海の青さと山の緑が映えます。




海岸ではヒグマの親子の姿を見ることもできました。
少し遠くではオオワシも大空を舞っていました。




半島の少しひらけた場所には、番屋がかなりの数あります。


こういう場所で、一日海と滝と山を眺めていたいものです。


ロケットのような岩もありました。


滝の水が直接海に落ちます。豪快です。




突然クルーザーの前にイルカの群れが現れ、暫くの間船を先導するかのように泳ぎます。
クルーザーがこれを追いかけて、イルカの姿がよく見える位置まで近づいてくれます。


知床岬の先端に到達です。平らな部分が予想以上に広いようです。
波がなければ先端まで行ってくれるようですが、沖合は波が高いということで、
クルーザーは、ここで折り返します。


知床岬灯台です。


魚を獲る網が、ところどころに張られています。作業している船のようです。


帰りに眺めた知床連山です。


以下は知床岬めぐりの前の午前中と翌日に撮影したものです。
フレペの滝への道


フレペの滝展望台からの眺望




知床林道
知床五胡から先は未舗装です。エゾシカやキタキツネをいたるところで目にします。
立派な角を生やしたエゾシカの姿も見かけました。


知床林道イタシベツ橋
知床林道は知床大橋から先、車は通行止めになります。
知床大橋まで行き、その先へほんの少し歩いてみましたが、
道はまだ続いているようでした。


カムイワッカ湯の滝の入口に出たヒグマは、
この草原から人が歩いている林道を渡り
沢へ降りて行きました。2頭いました。




カムイワッカ湯の滝へ向かう川です。
1回目に来たときは、500円でワラジを借りて
滝の下の湯船まで行きましたが、今回は途中で断念しました。
湯船にたどり着くのに、上りは良いのですが下りるときは、かなり怖いです。


この川をさかのぼります。水量は写真のように少ないです。
ワラジを履いていると滑ることはありませんでした。


1回目に訪れた時のものです。滝の真下が湯船です。
あいにくの雨模様で、滝の水量が増えて湯温は低く、
とても入れたものではありませんでした。


知床峠です。羅臼岳が間近に見えます。








羅臼国設野営場近くの熊の湯温泉は、湯温が高くて長い時間入って入られないほど熱かった。
羅臼の漁師さんの姿が多かった。ここは露天風呂のみで無料。

羅臼港


知床羅臼セセキ温泉と相泊温泉
セセキ温泉の泉源は岩礁から湧き出しています。満潮時には、海中に埋没してしまいます。
羅臼の町中から車で約30分、半島先端へ向かう道は相泊で行き止まりとなります。
羅臼の町中から車で約30分、半島先端へ向かう道は相泊で行き止まりとなります。は、板囲いしただけの浴槽でした。
 

セセキ温泉と相泊温泉に向かう道の漁港
 

思い出のくるま旅 (6) ・ぐるっと北海道

2017年10月23日 | くるま旅
北海道を2度にわたって「くるま旅」した時の記録です。1回目の旅と2回目の旅を一つの記事にまとめました。1回目と2回目のコースが逆回りであり、写真の順序が入れ替わっている場合があります。一回目の旅は、ほぼ北海道を一周した26日間の旅でした。名古屋港を6月30日に出港し苫小牧港までフェリーを利用しました。コースは下図の赤線です。北海道を回った後の帰路は函館港から青森港までフェリー。その後、一般道を酸ヶ湯・奥入瀬・五城目・秋田・本庄・象潟・酒田・温海・新潟・上越・糸魚川・小谷・白馬などを経て7月25日帰着しました。北海道内での走行距離3,447.3kmを含めた総走行距離は4,489kmでした。(写真はアルバムからの複写です)
1回目(赤線)と2回目(緑線)のコース
1回目は半時計回り、2回目は宗谷岬まで北上し、その後右回りのコースをとりました。

2回目の旅のコースは緑線です。礼文島・利尻島、知床岬めぐりを含めて25日間の旅でした。この時は、福井県の敦賀港を6月17日に出港し、苫小牧東港までフェリーを利用。北海道を回った後の帰路は苫小牧東港から秋田港までフェリー。その後日本海沿いの一般道を富山まで南下し、砺波・菅沼合掌集落・白川郷・郡上八幡などを経て7月11日に帰宅しました。北海道内での走行距離2,863.2kmを含めた総走行距離は4,178.7kmでした。この旅では、「礼文島・利尻島」と「知床岬めぐり」をしましたが、これは別途掲載いたします。

フェリーから見た竜飛岬
♪ ごらんあれが竜飛岬 北のはずれと・・・



サラブレットのふるさと新冠町
サラブレット銀座1丁目という地名があるようにサラブレットのふるさとだ。
道の駅にはハイセイコーの銅像が立っていた。



黄金ロード
この道路を作るのに、黄金を敷き詰めるほどの
費用がかかったことから黄金道路の名がついたという。


襟裳岬
襟裳岬は風もなく快晴で、鮮やかな海の色と
果てしなく続く水平線が印象に残った。


十勝三脵
上士幌三脵地区はルピナス群生地として知られる。
白・ピンク・紫など色とりどりの花を咲かせていた。
ここで高校の先生をしていたという人と出会う。
北海道をくるま旅しながら、中判カメラで風景を撮影されていた。
時々個展を開かれているという。
ネットで公開されている風景写真はすばらしいものだつた。




石北峠
    

三国峠と狩勝峠
    

糠平湖
ここに向かう途中ですれ違った車の人が、
熊出没中という看板を見て、引き返して来たという。
注意しながら湖畔まで車で進む。湖畔には誰もいなかった。
早々に引きあげる。


日本一寒い町陸別
過去には-40℃を超える気温を記録したことがあるという。
現在は寒い時でも−35℃程度で、真夏の+35℃との気温差が実に70℃あるという。
年間の平均気温5℃だと陸別駅で町の人が教えてくれた。
ここで教えてもらったカネラン峠を通ってオンネトーに向かう。
すれ違う車が全くなかった。


オンネトー
緑の原生林に囲まれた周囲2.5kmの湖を一周し神秘的な自然に触れる。
野中温泉で入浴。湯量豊富な硫黄泉で、釘を1本も使わない
総トドマツ造りの湯船が心地よかった。
ここは雌阿寒岳や雄阿寒岳登山者の利用客が多いようだ。




ラワンブキと士幌町
道の駅あしょろ銀河ホール21には、足寄出身の“松山千春コーナー”があって、
松山千春さんのステージ衣装やリリース作品の歴史などを展示していた。
ここで松山千春さんとラワンブキのポスターを見て「ラワンブキ観賞ほ場」まで
ラワンブキを見に行く。フキの大きさにはびっくり。
    

トムラウシ温泉への道とトムラウシ野営場
トムラウシ温泉への道は未舗装だった。ここへ行く途中の農園でイチゴ狩りを楽しむ。
お腹いっぱい食べて840円/人と安かった。
トムラウシ温泉は、トムラウシ山(標高2,141m)への登山口がある。
    

新得町
この辺りも北海道らしい風景が続いた。


美幌峠からの眺望
標高525mの頂上からは、眼下に世界第2位の大きさのカルデラ湖・屈斜路湖が眼下に望める。
美空ひばりさんが歌った「美幌峠」の歌碑もあった。


摩周湖
周囲の山々は霧に覆われていたが、湖面を見ることができ、
神秘の湖の一端に触れることができた。
摩周湖が他の湖と大きく違うのは、湖に流れ込む川も
流れ出す川もないことだという。


裏摩周湖
裏摩周湖では霧が晴れるのを待つ。立ち込めていた霧が一気に晴れて
素晴らしい景観を見ることができた。


神の子池
摩周湖からの地下水が湧き出ている山の奥にある池で、摩周湖(カムイトー=神の湖)の
伏流水からできているという言い伝えから「神の子」池と呼ばれている。


釧路コッタロ湿原
釧路湿原塘路湖駅構内の喫茶店で奨められた
コッタロ展望台から釧路湿原を望む。


釧路市とあっけし原生花園ひおうぎあやめ
    

霧多布岬と野付半島
    

野付半島
フラワーロードといわれるだけあって、花がとても綺麗だ、
エゾカンゾウが一面に広がり、絨毯を敷き詰めたようだった。


    
原生花園の中を通る片道1.5kmのトドワラ探勝路では
ハマナス・オオハナウド・ハマフウロなどが咲き乱れていた。


以久科原生花園
エゾスカシユリが満開だった。


小清水原生花園
ムシャリンドウ・ハマナス・エゾフウロ・ハマエンドウ・エゾキスゲなどが
今を盛りと咲き競っていた。






能取岬


ワッカ原生花園とサロマ湖に沈む夕日
ワッカとは、もともとアイヌ語で「ワッカ・オ・イ」(水があるところ)
砂嘴中程に真水が湧く沼があることに由来するという。
レンタサイクルで先端まで行く。
明治の文豪大町桂月が、その雄大なドラマに感動して
竜宮街道と命名したという。
・・・一方は湖水の静かな波、一方はオコック海の荒波を左右に見くらべつつ、
果てしも知れぬ狭き川を行けば、唯々人界を離れて竜宮に旅するかとのみ申し候。
天の橋立などはとても比較になり申さず・・・

   

オホーツク海と紋別
知床から宗谷岬に向かうオホーツク夢街道を走っていると、乳母車に日本一周と書いて
知床に向かう人や自転車で旅する人などとすれ違う。旅のスタイルも様々だ。
   

ペーチャン川
ペーチャン川で砂金取りに挑戦。小さな砂金が一粒だけとれた。
   

クッチャロ湖


宗谷岬
9時53分日本最北端の地、宗谷岬に到達。ここからサハリンまで53km。
ロシアネブリスク市127km・東京まで1,106km。




宗谷岬と宗谷丘陵
    

稚内市内とノシャップ岬
朝、稚内森林公園で、今日はサハリンが綺麗に見えると教えられ、
ノシャップ岬まで車を走らせる。はるか遠くにサハリンを確認できた。
二つの島影のように見えたが、この二つは陸続きだと釣り人が教えてくれた。


    

ノシャップ寒流水族館で流氷の妖星クリオネを見る。
     

サロベツ原野
広さ約20,000ha、東西約5〜8km、南北約27kmと、とてつもない広さだ。
    

豊富町と豊富町大規模草地
宗谷丘陵や豊富町大規模草地は見渡す限り牧草地で、
北海道の広大さを実感する。
    

小平町花田家番屋
明治38年頃に建築され、道内で現存する番屋では最大の規模。
当時雇い人が200人を超えた大鰊漁家。
それぞれに うすき布団をもちよりて
    漁夫らい寝しか この板の寝台 (敬子)

    

音威子府駅の黒そばと音威子府駅
音威子府駅構内で、鉄道ファンに人気の黒そばを食べる。
ここで自転車に乗り、犬を連れた若い女性がそばを食べに来た。
地元の女性だと思っていたら、三日後に自転車の前カゴに
犬を乗せて走る姿を見かける。
どうやら犬をお供に北海道の旅をしているらしい。
    

剣淵町レークサイド桜岡と羊の丘
     

トロッコ王国
トロッコ王国で旧美幸線廃線跡を活用したトロッコ列車に乗る。
自分で運転して、ほぼ直線の片道5kmを往復する。
ポイントの切り替えも自分で体験する。
    

   

美深 (びふか) アイランド
面積76haの広大な敷地内には、びふか温泉自慢の天然温泉やキャンプ場のほか、
テニスコートやカヌーポート場、パークゴルフ場などのアウトドア施設が揃っている。
チョウザメ館もありチョウザメを近くで見ることもできた。 
    

比布(ぴっぷ)駅周辺の風景と比布駅
エレキバンのコマーシャルで一躍有名になった駅。
興味本位で立ち寄って見た。
    

美瑛美馬牛小学校


美瑛北西の丘
    

上富良野深山峠と「かんのファーム」
    

上富良野「かんのファーム」
    

上富良野日の出公園
    

上富良野日の出公園
    

吹上露天の湯
「北の国から」で宮沢りえさんが撮影のため、
入浴したことで一躍有名になった混浴無料露天風呂。
   

白銀荘
白銀荘は宿泊施設・キャンプ場・温泉なとを備えた施設。
内湯がヒバの湯と岩風呂。露天風呂が活力の湯、ポカポカの湯、
のんびりの湯、ゆったりの湯、混浴風呂がふれあいの湯とあそびの湯と
多かった。露天風呂からは十勝岳連峰を眺めることができた。
    

十勝岳と中富良野ファーム富田
     

中富良野ファーム富田




「北の国から」のロケ地・麓郷
    

麓郷・五郎の石の家と映画鉄道員の幌舞駅
    

「鉄道員(ぽっぽや)」の幌舞駅
映画「鉄道員(ぽっぽや)」の撮影に使われたのは根室本線幾寅駅です。
幌舞駅は架空の駅ですが建物自体は存在します。
    

占冠村と夕張
映画「幸福の黄色いハンカチ思い出ひろば」で
勇作が三枝に出したハガキ
「もし、まだ1人暮らしで俺を待っててくれるなら、
鯉のぼりの竿に黄色いハンカチを
ぶら下げておいてくれ。それが目印だ。
もしそれが下がってなかったら、
俺はそのまま引き返して、2度と夕張には現れない」

    

札幌羊ヶ丘展望台からの風景 


余市町ニッカウイスキー余市工場
すべてが工場とは思えない美しさだった。
ガイドさんの案内で中を見学する。
    

積丹半島神威岬チャレンカの道 
源義経を慕ったという娘「チャレンカ」が、
故郷の日高地方より義経を追ってこの地に来たものの、
すでに義経はこの地を去り海の向こうへ行ってしまったことから、
岬から身を投げ神威岩になったという言い伝えがある。

この道の先端まで770mを歩く、景観が素晴らしい。
神威岬は海路における交通の難所としても有名。


神威岬駐車場のキタキツネと江差
キタキツネが餌をねだって観光客の周りをさまよい歩いていた。
    

上ノ国
15世紀ころ、北海道(夷(えぞが)島)南部の日本海側は、上ノ国(かみのくに)、
太平洋側は下の国(しものくに)と称されていた。勝山館を擁し、日本海・北方交易の
拠点として栄えたこの地に上ノ国(かみのくに)の名前が残ったことに由来するという。
    
  
松前藩屋敷
江戸の中期から後期まで松前は、にしん漁や北前船で交易の商人等で、
人口1万人を超えるほど栄えていたという。
松前藩屋敷は、当時のものを今に再現したテーマパーク。
    

松前城と白神岬
白神岬は北海道最南端の岬で、津軽半島の最北端である竜飛崎より
19.2キロメートルの距離があり、そこを結んだ東側の地下に
北海道新幹線が通過する青函トンネルがある。
     

富良野彩香の里で摘み取り体験したラベンダーと
秋田港に向かうフェリーから眺めた函館港
ラベンダーは、ビニール袋に詰め放題。これで700円でした。
    
 
道の駅で押したスタンプの一部
1回目の旅で実に48箇所の道の駅に立ち寄った。