筑波山神社と山の花7-1 2007-05-23 | 谷川岳・日光白根・アルプの里・筑波山 <> 2007.05.08 筑波山神社八脚楼門03(筑波山神社)マウスオン。 <> 2007.05.08 筑波山神社八脚楼門と神木(筑波山神社)マウスオン。 « 筑波山神社と山の花7-2 | トップ | 小江戸川越市散策1-2 »
7 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 御神木 (ミンキー) 2007-05-23 05:43:52 おはようございます。徳川家光公寄進の神社なんですね。煌びやかさは無いけども、いぶし銀の、落ち着きがあり、家光公の、仁徳が偲ばれます。御神木、温暖の地の杉ゆえ、スーット素直に伸びており、温暖な土地で育つ大木も優しさが感じられます。蛙股と、垂木の調和が、見事ですね。みや 返信する ごめんなさい! (ミンキー) 2007-05-23 05:47:20 途中で投稿になってしまいました。↓は、ゆっくり拝見いたします。 返信する 八脚楼門の造り (ミンキーさんへ) 2007-05-23 06:46:48 お早う御座います。朝早くから有難う御座います。3代将軍徳川家公の気品によるものです。国宝級の派手煌びやかさはありませんが、包容力のある感じがします。筑波山がご神体。登山中でも大杉が立ち並び杉だけ見ながらも歩けます。八脚楼門の造りは、何処から見てもどっしりとした構えで本当に、蛙股と垂木は、見事に調和していて何枚も写真を撮りました。今日はこれから三頭山行です。目的の花、咲いていると言いのですが? 返信する 八脚桜門 (risu) 2007-05-23 10:38:54 どっしりとした構えに歴史の重みを感じます。木々の緑とも調和して、しっとりとした雰囲気を醸しだしておりますね。まっすぐに伸びたご神木も、筑波山の歴史を物語っているようです。 返信する 八脚楼門 (とんちゃん) 2007-05-23 14:12:47 質素でも重厚な造りをしていますね。御神木は日本一緒に揃ってまるでひとつになったようですね。彫刻がいつまでも見飽きない複雑な模様をえがいていてずっと立ち止まって見入ってしまいますね。 返信する 2度の火災に遇って (risuさんへ) 2007-05-23 17:44:00 今日は。この八脚楼門は3代将軍家光の寄進で、1633年に建てられました。 1757年と1767年に火災に遭い焼失。1度目は直ぐ再建しましたが、2度目の時は44年後の、1811年に再建されております。県内随一の規模で、荘厳さを感じせしめる霊所ですね。 返信する 質素な造り (とんちゃんへ) 2007-05-23 17:45:24 今日は。八脚楼門は2度の火災に遇い、2度目の時は、1811年に再建されて現在に至っております。 200年近く経っているのですね。県指定の神社のようで、それ程手は加わっていないようです。この、八脚楼門が気に入り、帰りに別角度から写してきました。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
徳川家光公寄進の神社なんですね。
煌びやかさは無いけども、いぶし銀の、落ち着きがあり、家光公の、仁徳が偲ばれます。
御神木、温暖の地の杉ゆえ、スーット素直に伸びており、温暖な土地で育つ大木も優しさが感じられます。
蛙股と、垂木の調和が、見事ですね。
みや
↓は、ゆっくり拝見いたします。
3代将軍徳川家公の気品によるものです。
国宝級の派手煌びやかさはありませんが、包容力のある感じがします。
筑波山がご神体。登山中でも大杉が立ち並び杉だけ見ながらも歩けます。
八脚楼門の造りは、何処から見てもどっしりとした構えで本当に、
蛙股と垂木は、見事に調和していて何枚も写真を撮りました。
今日はこれから三頭山行です。目的の花、咲いていると言いのですが?
木々の緑とも調和して、しっとりとした雰囲気を醸しだしておりますね。
まっすぐに伸びたご神木も、筑波山の歴史を物語っているようです。
御神木は日本一緒に揃ってまるでひとつになったようですね。
彫刻がいつまでも見飽きない複雑な模様をえがいていてずっと立ち止まって見入ってしまいますね。
1757年と1767年に火災に遭い焼失。1度目は直ぐ再建しましたが、
2度目の時は44年後の、1811年に再建されております。
県内随一の規模で、荘厳さを感じせしめる霊所ですね。
200年近く経っているのですね。県指定の神社のようで、それ程手は加わっていないようです。
この、八脚楼門が気に入り、帰りに別角度から写してきました。