アマチュア哲学者で

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司馬遼、最後の長編小説

2023年01月20日 20時21分44秒 | 歴史
 同氏の最後に著された長編小説が「韃靼疾風録」で、これは面白くてアジア史学習上ためになる。主要な舞台は中国大陸の東北、時代は明末清初で、清の建国過程を素材にしている。
 清国は満洲族によって樹立されたが、その当時、満洲族の人口は明人と比較すると圧倒的少数で数十万人でしかない。北の韃靼人イコールモンゴル族に対して、東の韃靼人だから東韃と呼ばれていた。要するに中央の明の人々から野蛮人視されていたのだ。
 その満洲人が大明国を滅ぼして、満洲族が支配する清国を確立する。その初期を取り扱っている。中国史にお馴染みの軍事力による政権転覆でいわゆる易姓革命なのだが、興味深い事が作中に述べられている。秀吉による朝鮮半島侵攻があったが、よく知られているように秀吉は明国の支配を目論んでいた。朝鮮半島はそのための軍隊の通り道にすぎなかった。安土桃山時代の日本軍勢数のほうが満洲軍勢数より多かった。その上当時の最新鋭兵器、鉄砲を標準装備していて最強の軍隊だった。
 だから秀吉の明国征伐はあながち非現実的政策ではなかった。失敗したのは両国の間を海が隔てていたからかもしれない。満洲と首都の北京とは地続きだから、その点で満洲族は有利だった。
 清国始祖はヌルハチという人物で漢字で一般的に表記されていない。その2代目にドルゴン、睿親王という人物が登場する。この人が英明でかつ指導者としての軍事能力が抜群で清国樹立に至った物語なのだが、ストーリーは平戸藩出身の若武者の行動によって展開される。
 何せ満洲族の騎馬軍隊が強力無比だった。飛び道具は弓矢で狩猟民族だったからその技術は長けている。最後の難関、山海関を抜けて満洲軍は徐々に集結する。明国の有力武将が自国朝廷を裏切って門を開けてしまうのだ。雌雄を決する明朝廷軍とその反乱軍との大会戦で、後詰めから最終突撃した満州軍によって劇的に勝利する。この長編小説クライマックスの描写に、この作家の構成力に感動した。この会戦シーンに歴史小説のドラマツルギーを体験した。作品全体にみなぎる重厚深沈とした筆致に、この作家の集大成の成熟を見出した。
 歴史的事実とストーリ展開のためのフィクションが自然に融合された歴史小説の傑作だ。中央公論社上下2巻本の奥付を見ると昭和62年10月と11月の発行だった。


好きな司馬作品アンケート

2023年01月16日 18時06分21秒 | 歴史
 朝日新聞1月12日朝刊記事より、司馬遼太郎記念財団は11日、生誕100年を迎える同氏(1923~96)の好きな作品のアンケート結果を発表した。トップ3は「坂の上の雲」「竜馬がゆく」「燃えよ剣」だった。ここまで引用、以下筆者の感想、見解。
 妥当なところだ。4位に「街道をゆく」が入っているがこの作品はエッセイなので別部門という気がする。5位「峠」「花神」「国盗り物語」「菜の花の沖」「関ヶ原」「世に棲む日々」とランキングされたが、これらの長編小説は過去にドラマ化されたり映画化されたりした作品ばかりだ。やはり映像化されると人気が出る。映像化される価値があるから、映像化されるのだが。
 2位は歴史小説というより大衆小説に近い。作家の若書きという感想をもっていて推せない。しかし作中に出てくる史上の人物が滅多やたら多く、その来歴もそれぞれ紹介されていて、この作家は何という該博な知識の持ち主なんだと初読で感心した記憶がある。
 3位は土方歳三を美化しすぎ。わたくしは映画を見ていないが、思想的に新選組は好きになれない。勤王の志士側に立っているので。土方は捕らえた志士を酷い拷問にかけている。それが池田屋事件につながった。ここでは勤王の志士を何人切り殺しているか。これも大衆小説だ。
 順序は前後するが、1位は歴史小説と称するにふさわしい。当時の日本の情況、ロシア観、世界史観が明瞭に描かれている。帝国主義の時代はあんな雰囲気だったんだろうと思う。日本の明治時代を扱っていて、物質的には貧しい時代なのだが世相は明るい。新しい国づくりに国民は燃えている。
 このトップ10の小説でわたくしが好きなのは「花神」と「世に棲む日々」だ。大村益次郎、吉田松陰、高杉晋作が主要人物で、他にも長州の人物が無数に登場する。伊藤博文や山県有朋は晋作の子分的存在だったと「世に棲む日々」を読んで知った。明治陸軍の創設者は大村益次郎だ。松陰に兄亊したのが木戸孝允だった。井上馨と高杉は莫逆の同志だ。
 長州藩は幕末ほとんど滅亡寸前まで追い詰められたが、高杉晋作の功山寺挙兵によって逆転、興隆していった。長州人は怜悧であるという世評で、尊皇攘夷のスローガンを有言実行したので京では人気があった。
 しかし「翔ぶが如く」が10位内に入っていない。司馬氏は大久保びいきだった。明治以降の西郷をあまり評価していない。版籍奉還、廃藩置県の政治過程では西郷の偉望なくして達成できなかったと思う。明治政府最初の実質上の首相は大久保利通が務めた。司馬氏のこの長編で描かれる西南戦争観はわたくしは納得ゆかない。西郷には勝つ意志がそもそも始めから無かったように思う。

死の理論

2023年01月06日 20時51分45秒 | 哲学
 自分の死について、自分の死後自分はどうなるのだ。永遠の無に違いない。これが無神論者の結論だ。
 だから恐ろしい、一般人にとっては。だから宗教や未来科学に救いを求める。永遠に生きたい、不老不死で。これは何千年も昔から秦の始皇帝の願望だった。
 中には現状に悲観して自殺願望の人もいる。そんな人に対して言いたい。死んだらええやん。だけど無関係の他者を巻き添えにするなと。自殺願望はおかしい。生物の生存本能に反している。たぶん精神の病気か社会知能的にアホかもしれない。他殺は絶対ダメだが自殺は許容される。なぜなら他者に殺されたくないし自分は死にたくない。
 キリスト教では自殺は禁じられている。しかしこの書ではおおっぴらに自殺を許容した。その論拠は忘れたが賛成である。自分も死にたい時がしばしば訪れるが死ねなかった。生存本能があるから死ねない。これを仏教では煩悩という。性的生殖本能も残っていて死ねなかった。
 この大部の書を通読した結果、漠然とした死の恐怖から逃れることができた。人間の死を哲学的に考察すればそうなる。未来科学に永遠の不老不死実現を期待しよう。
 

司馬史観

2023年01月01日 23時16分56秒 | 日記
  司馬史観があるとすれば、その作品のえがかれている同時代を生きている人々の頭から考えるということだろう。その当時の人々には未来はない。それは現在でも同じで、一般人は未来はどうなるか知れない。未来の予想はできるとしても、どれだけ当たるか判らない。後世から過去の事件なり出来事を見るのでなく、過去の同時代人の目から見て評価する。
 司馬氏のえがく空海像はその当時を生きた生身の人間として叙述している。姓は佐伯で名は真魚だった。決して神格化していず、ほとんど神秘化していない。淡々と彼の事歴を述べてゆく。印象に残っているのが若い頃、室戸岬の先端の洞窟で座禅修行している時、眼前の空中に見えていた金星が空海の口中に飛び込んだというくだりぐらいだ。読んでいてそれはないだろうと思った。
 なぜ彼が歴史上の宗教家として名を残せたのは、文学上の才能に求める。当時の漢文漢詩の作成天才だった。唐の日常会話にも堪能だったかもしれない。
 師、恵果和尚から密教の法統を受け継いで帰国後、日本に密教を広布すべく邁進する。おびただしい経典法具も持ち帰りその目録を作成して、時の天皇に上程した。その最澄筆による写しが現存していて国宝指定されているのが歴史的におもしろい。
 晩年、優秀な弟子の進退をめぐって最澄と文通のやりとりをする。そこで空海が述べている内容が生々しい。決して聖人君子ではない。その間の表現に司馬氏の空海をとらえる真骨頂的見方があった。