アマチュア哲学者で

日記か評論か意見表明か感想文かノンフィクションかエッセイか暇つぶしのレポートか

沖縄独立論

2023年12月31日 16時38分54秒 | 歴史
 沖縄県は日本国駐留の米軍基地を大々的に引き受けている。これが嫌なら、沖縄は日本から独立すればよいのだ。独立して琉球国へ戻る。むしろ中華人民共和国と手を結び、米軍基地を全面撤去させる政策を主張する。なぜそういう政治的勢力が沖縄から出てこないか不思議だ。そんな意見を耳にしたことも全然ない。
 歴史をひもとけば解るが、琉球王国が薩摩藩に侵略されてその属邦とされたのは近世のつい最近のことだ。
 先の戦争では沖縄が米軍によって地上攻撃されて日本本土を守る犠牲になった。
 地方自治体は一国の安全保障において国家の意思に優先される。この日本国において日本国憲法より日米安全保障条約のほうが効力が上だという判例がある。筆者はこの判例を知って愕然とした。その国の憲法より、外交条約が優先されるとはおかしい。日本はそんな国だ。西欧諸国とNATOの関係もそんな事情のような。
 沖縄は日本の一部だという前提は明治以来つくられたにすぎず、その近過去の前提は崩されやすいと思える。

物理学はいかに創られたか(上)

2023年05月01日 21時07分20秒 | 歴史
  この本はぼくが大阪府立布施高校生だった時、物理学科目のサブテキストに当時の物理学教師から指定された必読文献だった。その教師の名前は忘れている。しかしその教え方の的確性は覚えている。
 その当時ぼくは高校の勉強を一切放棄していた悪い生徒だった。この本を読んでレポートを作成提出しなければならない課題を負わされた、ある一人の女子生徒と共同作業で。この女性というのが今でもまじまじと覚えているのだが、絵に描いたような堅物だった。おとなしくてひかえめで女性らしい性格なのだが地味な堅物だった。ルックスは十人並でぶ細工ではなかった。
 だから相手にせず、うっちゃっておいたら彼女が一人で作成して、ぼくとの連名で提出してくれた。ああ何という親切な女性だったんだ。名前も覚えていない。それでぼくの物理学の合格点は取れたと後から、当の教師から知らされた。
 そんないわくつきの岩波新書を最近読みたくなってじっくり通読した。自然科学の歴史は大学の教養課程講義によって好きになっていた。そのテキストを再読したいが正式な書名も出版社名も覚えていない。ところで数式は好きじゃないし自身の理解がおぼつかない。趣味で化学の歴史はアイザック・アシモフの同名の筑摩文庫で読んでいる。まずまず面白かった。天文学の歴史はコリン・ウイルソンの大判ハードカバーで読んでいる。この作家は無茶苦茶博覧強記だ。
 タイトルの新書は上下2巻で下巻ではアインシュタインの相対性理論が取り上げられている。さすがに高校ではそこまで必修ではなかった。
 さて上巻の感想文だが疲れてきたので次回に譲る、楽しみに待っていてください。しかしぼくの高校時代は最低だったなあ。もうちょっと真面目に勉強していたら、その後の人生は変わっている。こんな思い出話は書けなかった。
 岩波新書では高校世界史の授業で『中国の歴史(中)』を教材にしたこともあった。これには自分が中心人物を演じた実に嫌な思い出がある。今でもトラウマが残っている。この出来事は書いても可だが、意欲的に書けない。

司馬遼、最後の長編小説

2023年01月20日 20時21分44秒 | 歴史
 同氏の最後に著された長編小説が「韃靼疾風録」で、これは面白くてアジア史学習上ためになる。主要な舞台は中国大陸の東北、時代は明末清初で、清の建国過程を素材にしている。
 清国は満洲族によって樹立されたが、その当時、満洲族の人口は明人と比較すると圧倒的少数で数十万人でしかない。北の韃靼人イコールモンゴル族に対して、東の韃靼人だから東韃と呼ばれていた。要するに中央の明の人々から野蛮人視されていたのだ。
 その満洲人が大明国を滅ぼして、満洲族が支配する清国を確立する。その初期を取り扱っている。中国史にお馴染みの軍事力による政権転覆でいわゆる易姓革命なのだが、興味深い事が作中に述べられている。秀吉による朝鮮半島侵攻があったが、よく知られているように秀吉は明国の支配を目論んでいた。朝鮮半島はそのための軍隊の通り道にすぎなかった。安土桃山時代の日本軍勢数のほうが満洲軍勢数より多かった。その上当時の最新鋭兵器、鉄砲を標準装備していて最強の軍隊だった。
 だから秀吉の明国征伐はあながち非現実的政策ではなかった。失敗したのは両国の間を海が隔てていたからかもしれない。満洲と首都の北京とは地続きだから、その点で満洲族は有利だった。
 清国始祖はヌルハチという人物で漢字で一般的に表記されていない。その2代目にドルゴン、睿親王という人物が登場する。この人が英明でかつ指導者としての軍事能力が抜群で清国樹立に至った物語なのだが、ストーリーは平戸藩出身の若武者の行動によって展開される。
 何せ満洲族の騎馬軍隊が強力無比だった。飛び道具は弓矢で狩猟民族だったからその技術は長けている。最後の難関、山海関を抜けて満洲軍は徐々に集結する。明国の有力武将が自国朝廷を裏切って門を開けてしまうのだ。雌雄を決する明朝廷軍とその反乱軍との大会戦で、後詰めから最終突撃した満州軍によって劇的に勝利する。この長編小説クライマックスの描写に、この作家の構成力に感動した。この会戦シーンに歴史小説のドラマツルギーを体験した。作品全体にみなぎる重厚深沈とした筆致に、この作家の集大成の成熟を見出した。
 歴史的事実とストーリ展開のためのフィクションが自然に融合された歴史小説の傑作だ。中央公論社上下2巻本の奥付を見ると昭和62年10月と11月の発行だった。


好きな司馬作品アンケート

2023年01月16日 18時06分21秒 | 歴史
 朝日新聞1月12日朝刊記事より、司馬遼太郎記念財団は11日、生誕100年を迎える同氏(1923~96)の好きな作品のアンケート結果を発表した。トップ3は「坂の上の雲」「竜馬がゆく」「燃えよ剣」だった。ここまで引用、以下筆者の感想、見解。
 妥当なところだ。4位に「街道をゆく」が入っているがこの作品はエッセイなので別部門という気がする。5位「峠」「花神」「国盗り物語」「菜の花の沖」「関ヶ原」「世に棲む日々」とランキングされたが、これらの長編小説は過去にドラマ化されたり映画化されたりした作品ばかりだ。やはり映像化されると人気が出る。映像化される価値があるから、映像化されるのだが。
 2位は歴史小説というより大衆小説に近い。作家の若書きという感想をもっていて推せない。しかし作中に出てくる史上の人物が滅多やたら多く、その来歴もそれぞれ紹介されていて、この作家は何という該博な知識の持ち主なんだと初読で感心した記憶がある。
 3位は土方歳三を美化しすぎ。わたくしは映画を見ていないが、思想的に新選組は好きになれない。勤王の志士側に立っているので。土方は捕らえた志士を酷い拷問にかけている。それが池田屋事件につながった。ここでは勤王の志士を何人切り殺しているか。これも大衆小説だ。
 順序は前後するが、1位は歴史小説と称するにふさわしい。当時の日本の情況、ロシア観、世界史観が明瞭に描かれている。帝国主義の時代はあんな雰囲気だったんだろうと思う。日本の明治時代を扱っていて、物質的には貧しい時代なのだが世相は明るい。新しい国づくりに国民は燃えている。
 このトップ10の小説でわたくしが好きなのは「花神」と「世に棲む日々」だ。大村益次郎、吉田松陰、高杉晋作が主要人物で、他にも長州の人物が無数に登場する。伊藤博文や山県有朋は晋作の子分的存在だったと「世に棲む日々」を読んで知った。明治陸軍の創設者は大村益次郎だ。松陰に兄亊したのが木戸孝允だった。井上馨と高杉は莫逆の同志だ。
 長州藩は幕末ほとんど滅亡寸前まで追い詰められたが、高杉晋作の功山寺挙兵によって逆転、興隆していった。長州人は怜悧であるという世評で、尊皇攘夷のスローガンを有言実行したので京では人気があった。
 しかし「翔ぶが如く」が10位内に入っていない。司馬氏は大久保びいきだった。明治以降の西郷をあまり評価していない。版籍奉還、廃藩置県の政治過程では西郷の偉望なくして達成できなかったと思う。明治政府最初の実質上の首相は大久保利通が務めた。司馬氏のこの長編で描かれる西南戦争観はわたくしは納得ゆかない。西郷には勝つ意志がそもそも始めから無かったように思う。

日本史の法則

2022年12月26日 20時17分42秒 | 歴史
 世界の歴史にはいくつかの法則があると考えられる。人類の歴史といっても同じとする。まず一つ進歩、二つめとして発展。これはヘーゲルから学んだのだが、真理だと確信している、いわゆる発展史観。ヘーゲルはそれは世界精神の発展としてとらえた。人類理性の発展としてとらえることもできる。観念論といわれるゆえんである。
 ヘーゲル左派と哲学思想史的に位置づけられているマルクスは、その史観に唯物論を導入した。史的唯物論である。物質的要素として、その時代の生産物、生産関係、生産財の所有に着目して労働者階級と資本家階級が対立する資本主義社会を考えた。この二つの階級矛盾が発展止揚して次の高度の社会主義に移行する。弁証法的唯物論である。正と反の統一が高い段階に達する。
 基本的人権も発展している。昔の人命は羽のように軽かった。過去の一次史料を見ると。現在では個人の生命は地球と同じくらい重いとされている。一世代や二世代前の日本では戦争によって簡単に多数の兵士の命が奪われた。それは少数士官や将軍の命も同様だった。
 そこで日本史だが、司馬遼太郎の作品群を読んで着想した。同氏は評論で日本の政権は昔から東海道を行ったり来たりしていると述べた。確かにそうである。兵庫の福原、大坂、京都、鎌倉、江戸と東海道線上にある。そうだ、日本史にも大きな固有の歴史法則がある。
 大阪府内において日本史の過去で、天下の大軍勢を迎え撃った守城戦が二度ある。
 まず最初は楠木正成率いる千早赤阪城の攻防である。二度目は豊臣秀頼のこもった大坂城冬の陣夏の陣だ。どちらも歴史を分けるエポックメイキングになった。
 最初は大阪方勝ちの情勢で鎌倉幕府滅亡する。二度目は攻城方勝利で元和偃武、日本の戦乱はこれで治まった。城主の能力差か、攻める側指導者の能力差か。
 実は家康は近過去に天下的攻城戦を経験している。それが秀吉による北条氏小田原城攻めである。当時、北条氏小田原城は上杉謙信の軍勢にも武田信玄の軍勢にも守り抜いた堅忍不抜の城と知られていた。それを城攻め名人秀吉の大軍が勝利したのを、傘下の有力武将として家康はまじかに経験した。この学習が後に大坂城攻めに活かされる。
 天下の大軍を集めて一城を攻めるという出来事はそれほど日本史に何度もないが。