司馬史観があるとすれば、その作品のえがかれている同時代を生きている人々の頭から考えるということだろう。その当時の人々には未来はない。それは現在でも同じで、一般人は未来はどうなるか知れない。未来の予想はできるとしても、どれだけ当たるか判らない。後世から過去の事件なり出来事を見るのでなく、過去の同時代人の目から見て評価する。
司馬氏のえがく空海像はその当時を生きた生身の人間として叙述している。姓は佐伯で名は真魚だった。決して神格化していず、ほとんど神秘化していない。淡々と彼の事歴を述べてゆく。印象に残っているのが若い頃、室戸岬の先端の洞窟で座禅修行している時、眼前の空中に見えていた金星が空海の口中に飛び込んだというくだりぐらいだ。読んでいてそれはないだろうと思った。
なぜ彼が歴史上の宗教家として名を残せたのは、文学上の才能に求める。当時の漢文漢詩の作成天才だった。唐の日常会話にも堪能だったかもしれない。
師、恵果和尚から密教の法統を受け継いで帰国後、日本に密教を広布すべく邁進する。おびただしい経典法具も持ち帰りその目録を作成して、時の天皇に上程した。その最澄筆による写しが現存していて国宝指定されているのが歴史的におもしろい。
晩年、優秀な弟子の進退をめぐって最澄と文通のやりとりをする。そこで空海が述べている内容が生々しい。決して聖人君子ではない。その間の表現に司馬氏の空海をとらえる真骨頂的見方があった。