同氏の最後に著された長編小説が「韃靼疾風録」で、これは面白くてアジア史学習上ためになる。主要な舞台は中国大陸の東北、時代は明末清初で、清の建国過程を素材にしている。
清国は満洲族によって樹立されたが、その当時、満洲族の人口は明人と比較すると圧倒的少数で数十万人でしかない。北の韃靼人イコールモンゴル族に対して、東の韃靼人だから東韃と呼ばれていた。要するに中央の明の人々から野蛮人視されていたのだ。
その満洲人が大明国を滅ぼして、満洲族が支配する清国を確立する。その初期を取り扱っている。中国史にお馴染みの軍事力による政権転覆でいわゆる易姓革命なのだが、興味深い事が作中に述べられている。秀吉による朝鮮半島侵攻があったが、よく知られているように秀吉は明国の支配を目論んでいた。朝鮮半島はそのための軍隊の通り道にすぎなかった。安土桃山時代の日本軍勢数のほうが満洲軍勢数より多かった。その上当時の最新鋭兵器、鉄砲を標準装備していて最強の軍隊だった。
だから秀吉の明国征伐はあながち非現実的政策ではなかった。失敗したのは両国の間を海が隔てていたからかもしれない。満洲と首都の北京とは地続きだから、その点で満洲族は有利だった。
清国始祖はヌルハチという人物で漢字で一般的に表記されていない。その2代目にドルゴン、睿親王という人物が登場する。この人が英明でかつ指導者としての軍事能力が抜群で清国樹立に至った物語なのだが、ストーリーは平戸藩出身の若武者の行動によって展開される。
何せ満洲族の騎馬軍隊が強力無比だった。飛び道具は弓矢で狩猟民族だったからその技術は長けている。最後の難関、山海関を抜けて満洲軍は徐々に集結する。明国の有力武将が自国朝廷を裏切って門を開けてしまうのだ。雌雄を決する明朝廷軍とその反乱軍との大会戦で、後詰めから最終突撃した満州軍によって劇的に勝利する。この長編小説クライマックスの描写に、この作家の構成力に感動した。この会戦シーンに歴史小説のドラマツルギーを体験した。作品全体にみなぎる重厚深沈とした筆致に、この作家の集大成の成熟を見出した。
歴史的事実とストーリ展開のためのフィクションが自然に融合された歴史小説の傑作だ。中央公論社上下2巻本の奥付を見ると昭和62年10月と11月の発行だった。