バンマスの独り言 (igakun-bass)

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ゴジラ映画とカレーパンと感謝の日

2014年08月15日 | 雑感
世間ではお盆休みをとっている人も多いけど僕は今日までは仕事でした。

炎天下、車の中から外の風景を見ながら比較的にすいている道を走っていると、木立でちょっと日陰になっているバス停に若いお母さんとその手をつないだ小さな男の子が立っていました。
その後ろには小さなパン屋さんがあって建物の影が強い日差しでくっきりとコントラストを作っていました。

どうということもない夏の風景でしたが、なぜだか自分がまだ小さい時に今は亡き母の手をつかんでバスが来るのを待っている、そんな事をおぼろげに思い出しました。
その僕の手には今買ってもらったばかりのカレーパンが入った袋がにぎられていて、これから向かう隣町の映画館で見るゴジラに小さい胸は期待でパンパンに膨らんでいたのです。

母と暮らせたのはたったの18年間。母はその頃、心臓弁膜症の症状が現れ始めていたようで、歩くと息が切れると言っていたそうでしたが、それでもわずかなお金を貯めては僕や妹を映画や遊園地に連れて行ってくれたようです。
僕はゴジラ映画が大好きで、さすがにその第1作目を含む初期の時代はこの世に生を受けていませんでしたが後のモスラやキングギドラやラドンなどの怪獣映画は仕事が忙しかった父を諦めて、代わりに母にしつこくせがんで連れて行ってもらったものでした。



その頃ウチでは映画を見に行くということはカレーパンが食べられるという特典(習慣?)がありました。
映画を見ながら普段はあまり買ってもらえなかったカレーパンを食べるのです。画面はゴジラが背びれを光らせながら口から熱線を放射しています。その恐ろしさとカレーパンを交互に楽しみながら同じように顔をこわばらせてゴジラの姿や重い足音に怯えている母の横顔をチラチラと見ていたものでした。

母との思い出は僕が小さかった頃に集中しているのですが、今思うと中学~高校時代は母親孝行をした記憶があまりなくて、大学に入学した春には優しかった母は2カ月の入院の末、亡くなってしまいました。
大人になった僕にはすでに母はなく、残念極まりないのですが、母にはもっと長生きしてもらっていっしょに大人の話をしたかったです。

そういえば先月、NHKBSでは集中的にゴジラ映画を立て続けに放送していました。すでにDVDで持っている作品も多かったのですがTVでのんびりと観賞していると断片的に母との映画館での時間が思い出され、自分でも不思議な気持ちになりました。

感傷的な思い出は僕の場合、夏の時期に多く、それらをふと思い出すのも暑い時が一番多いのです。
日本映画で「異人たちとの夏」(1988年 監督:大林宣彦)というのがありますが、この映画から感じ取れるレトロな感じや両親との交流の雰囲気が、いつも夏になると僕が感じる特別な「気分」によく似ているのが思い起こされます。


僕はいつも言っています。
誕生日というのは自分が「おめでとう」と言われるものでは本来なく、母に「ありがとう」を言う日だと。
命をかけて生んでくれた母親に深い感謝の気持ちを表す日なんですよね。今、それを言う相手がいないけれど、親にはいつでも感謝しています。

今日は炎天下にバスを待つ親子を見て、自分の小さかった頃を思い出してしまいました。
ゴジラ映画とカレーパン。
母と大人同士の会話をしたかった叶わぬ思いに、
ユラユラと走り水がゆれる真夏の道路の一角に華やかに咲くサルスベリの花の色に、
強く照り付ける夏の日差しに、
青空に浮かぶ積雲の一つ一つに、
うるさいはずなのに逆に静けさが強調されるような蝉しぐれ、

ついつい感傷的になる今日は・・・僕の誕生日だったのでした。

天国のお父さん、お母さん、ありがとうございます。

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