中学生の頃から今は亡き父の影響もあって、オーディオ機器(懐かしい言葉で「ステレオ」)に興味があった僕は、その機械が出す音を聴くために音楽を選び、そこから音楽自体を好きになる、といういわば逆の進化の仕方で音楽愛好者になりました。
今では再生機器がどうのこうのよりも音楽自体を愛し、研究し実践しているわけですが、先日の報道によると「カセットテープ/カセットテープ・デッキ」や「ラジカセ」がすでに先行している「アナログレコード/レコード・プレーヤー」人気と相まってにわかに脚光を浴びているそうじゃないですか。
歴史は繰り返す、といいますが最近のMP3音源や音楽配信など、あまりに簡単(いいことなんでしょうが)に音楽に接することができる環境は、僕らのようなアナログで育った昭和レトロな人種には、音を出す・聴くまでの手数(面倒?)の煩雑さが懐かしいという気分にもなっているんです。
昔は大好きな人に自分で選曲・編集したカセットテープをプレゼントしたり、ベスト版と称して自分の好みのアルバムにして楽しんだりと、時には胸をキュンキュンさせてオーディオをいじったものです。
今は欲しい曲・聴きたい曲など先ずはYOUTUBEなどで探し、新曲を除き古い曲はほぼタダか数百円で音楽を探せて聴けます。レコード屋さんに行くこともなくお金を払うこともなく、欲するほとんどの音楽を瞬間的に手に入れることが出来ます。
すごい世の中になったものです。
それでも人間の欲望は面白いもので、わざわざLPレコードの埃を拭き取り、指紋を付けないように気をつけながら、音がすぐ出ない真空管アンプに火を灯し(電源を入れ)、ノイズのあるダイナミックレンジの狭いレコードの音に「暖かさを感じる」と言って再び原点回帰をする風潮さえあるようなのです。
かく言う僕はデジタル音源の便利さからなかなか抜け出せないでいますが、もうすでにアナログ・レコードプレーヤーと30年ほど前の「サンスイ」と「ヤマハ」のトランジスタ・プリメインアンプは稼働しています。MDデッキはちょっとくたびれていますがカセットデッキとオープンリール(2トラ38)デッキは当時高級品と言われた製品を未だに大切に持っています。
音楽を聴く環境はこれからどう変化・進化してゆくのでしょうか?
今、電車に乗ると乗客のほとんどがすぐにスマホをいじります。僕のような「これからもガラケー派」はポケットから取り出すのも正直恥ずかしい状況になっています。そしてさらに彼らの様子を観察すると、ゲームか音楽鑑賞が多いです。
これほどまでにこんな機械にのめり込んでいいのか?ガラケーよりも高いであろうその維持費はそれまでに使っていた別の費用を削ってまでして捻出しているのではないか?毎月の固定費(通信費)が昔より確実に増えていることにマヒしてはいないか?
などと他人ごとながら心配してしまうのです。
で、音楽を聴くという行為そのものもポケットに入るサイズのデジタル・プレーヤーに多くを依存する社会になっています。
楽しみのためには多くの手数や労力のかかる昔がいいなんていいませんが、結果に到達するための努力がなくなって趣味的要素が減り、それが機械のブラックボックス化となっていざ機械のトラブルや通信障害時に人間力を問われる結果とならないか心配です。
ピントはずれますが、最も危惧することが、電車内の光景でも分かるように、人々はすぐに他人や外界(景色)を無視して自己のデジタルな世界に閉じこもってしまうことです。電車が外を走っていたなら景色を眺めましょうよ。自転車に乗ったら、歩いているならスマホなんて見ないでしっかりと前を見て、外を観察しましょうよ。
あまりに自分の世界に入り過ぎです。機械に頼らず自分の頭で考え、手足を動かし、想像力をフルに使う生活をしましょうよ。
デジタル機器の会社や通信会社をそんなに儲けさせる必要なんてないじゃないですか。
人はもっと他人と共通感覚を持つべきだし、開かれたコミュニケーションをもっと推進していくべきです。
音楽も人付き合いもネットに依存しすぎないで、大らかに生きていきましょうよ。
話が主題から逸れていったことを自覚しつつ・・・音楽をしっかりとしたシステムで面倒くさく聴いていた昔のアナログ生活が懐かしい人、いっぱいいるんじゃないでしょうか。
今、地球の人々は国を問わず、自分の意にそぐわない他人に対して気持や行動が「不機嫌から不寛容の時代」へ突入しました。
人と人とが努力をして理解し合わなくなった時代とも言えます。次回以降、このあたりのことを書く日があると思います。
今では再生機器がどうのこうのよりも音楽自体を愛し、研究し実践しているわけですが、先日の報道によると「カセットテープ/カセットテープ・デッキ」や「ラジカセ」がすでに先行している「アナログレコード/レコード・プレーヤー」人気と相まってにわかに脚光を浴びているそうじゃないですか。
歴史は繰り返す、といいますが最近のMP3音源や音楽配信など、あまりに簡単(いいことなんでしょうが)に音楽に接することができる環境は、僕らのようなアナログで育った昭和レトロな人種には、音を出す・聴くまでの手数(面倒?)の煩雑さが懐かしいという気分にもなっているんです。
昔は大好きな人に自分で選曲・編集したカセットテープをプレゼントしたり、ベスト版と称して自分の好みのアルバムにして楽しんだりと、時には胸をキュンキュンさせてオーディオをいじったものです。
今は欲しい曲・聴きたい曲など先ずはYOUTUBEなどで探し、新曲を除き古い曲はほぼタダか数百円で音楽を探せて聴けます。レコード屋さんに行くこともなくお金を払うこともなく、欲するほとんどの音楽を瞬間的に手に入れることが出来ます。
すごい世の中になったものです。
それでも人間の欲望は面白いもので、わざわざLPレコードの埃を拭き取り、指紋を付けないように気をつけながら、音がすぐ出ない真空管アンプに火を灯し(電源を入れ)、ノイズのあるダイナミックレンジの狭いレコードの音に「暖かさを感じる」と言って再び原点回帰をする風潮さえあるようなのです。
かく言う僕はデジタル音源の便利さからなかなか抜け出せないでいますが、もうすでにアナログ・レコードプレーヤーと30年ほど前の「サンスイ」と「ヤマハ」のトランジスタ・プリメインアンプは稼働しています。MDデッキはちょっとくたびれていますがカセットデッキとオープンリール(2トラ38)デッキは当時高級品と言われた製品を未だに大切に持っています。
音楽を聴く環境はこれからどう変化・進化してゆくのでしょうか?
今、電車に乗ると乗客のほとんどがすぐにスマホをいじります。僕のような「これからもガラケー派」はポケットから取り出すのも正直恥ずかしい状況になっています。そしてさらに彼らの様子を観察すると、ゲームか音楽鑑賞が多いです。
これほどまでにこんな機械にのめり込んでいいのか?ガラケーよりも高いであろうその維持費はそれまでに使っていた別の費用を削ってまでして捻出しているのではないか?毎月の固定費(通信費)が昔より確実に増えていることにマヒしてはいないか?
などと他人ごとながら心配してしまうのです。
で、音楽を聴くという行為そのものもポケットに入るサイズのデジタル・プレーヤーに多くを依存する社会になっています。
楽しみのためには多くの手数や労力のかかる昔がいいなんていいませんが、結果に到達するための努力がなくなって趣味的要素が減り、それが機械のブラックボックス化となっていざ機械のトラブルや通信障害時に人間力を問われる結果とならないか心配です。
ピントはずれますが、最も危惧することが、電車内の光景でも分かるように、人々はすぐに他人や外界(景色)を無視して自己のデジタルな世界に閉じこもってしまうことです。電車が外を走っていたなら景色を眺めましょうよ。自転車に乗ったら、歩いているならスマホなんて見ないでしっかりと前を見て、外を観察しましょうよ。
あまりに自分の世界に入り過ぎです。機械に頼らず自分の頭で考え、手足を動かし、想像力をフルに使う生活をしましょうよ。
デジタル機器の会社や通信会社をそんなに儲けさせる必要なんてないじゃないですか。
人はもっと他人と共通感覚を持つべきだし、開かれたコミュニケーションをもっと推進していくべきです。
音楽も人付き合いもネットに依存しすぎないで、大らかに生きていきましょうよ。
話が主題から逸れていったことを自覚しつつ・・・音楽をしっかりとしたシステムで面倒くさく聴いていた昔のアナログ生活が懐かしい人、いっぱいいるんじゃないでしょうか。
今、地球の人々は国を問わず、自分の意にそぐわない他人に対して気持や行動が「不機嫌から不寛容の時代」へ突入しました。
人と人とが努力をして理解し合わなくなった時代とも言えます。次回以降、このあたりのことを書く日があると思います。