
「愛蘭土紀行Ⅰ・Ⅱ」(アイルランドきこう)は僕の愛読書。司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズのVol.30・31 です。
司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズは沖縄から北海道にいたるまでの各地の街道を訪ね、そして波濤を超えてモンゴル、韓国、中国をはじめ洋の東西へ自在に展開する「司馬史観」を堪能できる全43冊の偉大なシリーズです。
シリーズの中には「ニューヨーク散歩」(Vol.39)という興味深いタイトルの巻もあるのですが、残念ながらこれはいただけませんでした。この巻は知り合いの人との話が中心で読みたいと思うNYの街中の記述がほとんどないからです。
しかし今日紹介する「愛蘭土紀行」(ⅠとⅡがある)は最高に興味深い読み物になっています。
だいたい僕はアイルランドに深い興味と愛着を持っていて、その音楽や文化そして最も興味のあるウイスキー文化に傾倒している手前、司馬のこの本は一種バイブル的な存在でもあるのです。
僕の「愛読書」として何度も読み返してきた本書は、今ではコンパクトな文庫サイズになって¥500円台で買えるので、どこにでも持ち運べるようになっています。
これがとても助かり、何度も読み返すことができる一助ともなっているのです。
内容的にはイングランドとアイルランド間の昔からのもめごと(紛争問題)にどうしても触れなければ話は進まないので、その関連の記述は多いのですがしかし、司馬遼太郎と言う人はすさまじく雑学にも長けており、そんな中にはビートルズに関する記述だってあります。
さて、本書の中にも出てくる「死んだ鍋(Deadpan)」という言葉をみなさんは知っていますか?
僕は誰の影響からか、馴染みのある単語なのですが、正直言って人に話してもあまり通じないことの方が多い言葉のようです。
☆死んだ鍋
アイルランドには『死んだ鍋』という、気風と言いますか<へらず口>のようなものがあるそうです。一瞬冗談かと思う、でも、良く考えたらそれは例えば揶揄であり、皮肉だったりする、言われた相手は何も言い返せなくなる、というものなのですが、この言葉と並んで「アメリカンジョーク」と言うものもありますよね。
「アメリカンジョーク」はジョークと言うくらいで本来はユーモアの一種です。しかし、毒をたっぷり含んだ<ブラックユーモア>と呼ばれるものがそのほとんどを占めているのが現状です。
この「アメリカンジョーク」はアメリカ映画などでもしばしば登場し、ピリッとした小気味の良い刺激を与えてくれるポイントにもなっています。
例などは必要ないと思いますが例えば、
★バック・トゥ・ザ・フューチャー2
ドク:日本製か。だから壊れるんだ。
マーティー:今はいい物はみんな日本製なんだよ。
★ファインディング・ニモ
マーリン:息子のニモがダイバーにさらわれたんだ!
他の魚:そりゃきっとアメリカ人だな。
こういうのはたっぷりと皮肉を含んでいますが、一方でかなり笑いを意識したものになっていると思うのです。
毒が混じっているのに、聞いた人間が思わずクスッ、と笑ってしまう。
それがいわゆるアメリカンジョークなのだと思います。
では先ほどの「死んだ鍋」というものはどうなんでしょう。
「アイルランド人が吐きだすウィットあるいはユーモアは、死んだ鍋のように当人の顔は笑っていない。相手はしばらく考えてから痛烈な皮肉もしくは揶揄であることに気づく。相手としては決して大笑いできず、といって怒りもできずに、一瞬棒立ちになる」 と言うものだそうです。
僕の知識では、「死んだ鍋」という言葉そのものは、司馬遼太郎の本書に出てくる言葉として有名らしいのですが、これについて書いてある他の本などでも大抵ビートルズとマスコミのやり取りが例として挙げられているんです。
ビートルズのアメリカ公演での記者会見で記者がコドモのようなこの連中に愚弄されているシーン。
記者: 「リンゴさん、作曲家としてのベートーベンについてどう思われますか?」
リンゴ: 「彼は素晴らしい。特に・・・・・ 詩が良いねぇ。」
な、なんというセンスなんだろうと僕は思うわけです。「こういう切り返しをするなんて、みごとなDeadpan(=無表情の風刺)だ」みたいな言い方をするんです。
これは才能という以上に、文化としか言いようがなく・・・ついでながらリンゴはアイルランド系なのでした。
またビートルズがMBE勲章を女王陛下から授与されるという新聞記事が出た時、第二次世界大戦でそれをもらった旧軍人たちが、抗議のためにつぎつぎと勲章を返上したことがあった時、ジョン・レノンは「人を殺してもらったんじゃない。人を楽しませてもらったんだ」と言いました。これも「死んだ鍋」なのです。
本書では他に「アイルランド人の気質」についてこんなことも書かれています。
アイルランド人としての典型的性格は、演劇化しやすいというのです。
例として、クリント・イーストウッドが演じている映画「ダーティハリー」という刑事もののシリーズをあげています。
ハリーという刑事は極端な目的主義者であって、悪をはなはだしく憎んでいる。
悪に挑戦する場合、偏執的に目的に直進し、常識や慣例、時には法さえ超えてしまう。その強烈な集中力はアイリッシュの典型的性格とされる。チームワークを嫌い、独力で戦う。
アイルランド人は、組織感覚がなく(中世的である)、統治される性格ではなく(古代的である)、大きな組織の中の部品で甘んじるということが少なく(近代的ではない)さらには部品であることが崇高な義務だというところが薄い。
ハリーはアイルランド系アメリカ人という設定なのがここでは興味深いことですね。
まあこんな具合で多方向からアイルランドとアイルランド人を描いた本書は、僕のようなアイルランド大好き人間にはたまらないのです。
(正直言うと僕の性格にも彼らに近いものが見受けられます)
また、人口は少ないが、アイルランドは堂々たる「文学大国」。ジョナサン・スウィフトやオスカー・ワイルド、W・B・イェイツ、ジェイムズ・ジョイスなどを生んでいます。隣のイギリスとは、政治的にも宗教的にも長く戦ってきた歴史をもつし、ロンドンで漱石を想い、リバプールでビートルズを感じ、ダブリンへ。ケルトの魂に触れつつ、躍動感のある旅がはじまった・・・・と司馬遼さんは述べています。
僕の愛読書のほんのさわりの部分を紹介させてもらいました。
興味のある方はぜひⅠとⅡの両方をお読みになってください。
司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズは沖縄から北海道にいたるまでの各地の街道を訪ね、そして波濤を超えてモンゴル、韓国、中国をはじめ洋の東西へ自在に展開する「司馬史観」を堪能できる全43冊の偉大なシリーズです。
シリーズの中には「ニューヨーク散歩」(Vol.39)という興味深いタイトルの巻もあるのですが、残念ながらこれはいただけませんでした。この巻は知り合いの人との話が中心で読みたいと思うNYの街中の記述がほとんどないからです。
しかし今日紹介する「愛蘭土紀行」(ⅠとⅡがある)は最高に興味深い読み物になっています。
だいたい僕はアイルランドに深い興味と愛着を持っていて、その音楽や文化そして最も興味のあるウイスキー文化に傾倒している手前、司馬のこの本は一種バイブル的な存在でもあるのです。
僕の「愛読書」として何度も読み返してきた本書は、今ではコンパクトな文庫サイズになって¥500円台で買えるので、どこにでも持ち運べるようになっています。
これがとても助かり、何度も読み返すことができる一助ともなっているのです。
内容的にはイングランドとアイルランド間の昔からのもめごと(紛争問題)にどうしても触れなければ話は進まないので、その関連の記述は多いのですがしかし、司馬遼太郎と言う人はすさまじく雑学にも長けており、そんな中にはビートルズに関する記述だってあります。
さて、本書の中にも出てくる「死んだ鍋(Deadpan)」という言葉をみなさんは知っていますか?
僕は誰の影響からか、馴染みのある単語なのですが、正直言って人に話してもあまり通じないことの方が多い言葉のようです。
☆死んだ鍋
アイルランドには『死んだ鍋』という、気風と言いますか<へらず口>のようなものがあるそうです。一瞬冗談かと思う、でも、良く考えたらそれは例えば揶揄であり、皮肉だったりする、言われた相手は何も言い返せなくなる、というものなのですが、この言葉と並んで「アメリカンジョーク」と言うものもありますよね。
「アメリカンジョーク」はジョークと言うくらいで本来はユーモアの一種です。しかし、毒をたっぷり含んだ<ブラックユーモア>と呼ばれるものがそのほとんどを占めているのが現状です。
この「アメリカンジョーク」はアメリカ映画などでもしばしば登場し、ピリッとした小気味の良い刺激を与えてくれるポイントにもなっています。
例などは必要ないと思いますが例えば、
★バック・トゥ・ザ・フューチャー2
ドク:日本製か。だから壊れるんだ。
マーティー:今はいい物はみんな日本製なんだよ。
★ファインディング・ニモ
マーリン:息子のニモがダイバーにさらわれたんだ!
他の魚:そりゃきっとアメリカ人だな。
こういうのはたっぷりと皮肉を含んでいますが、一方でかなり笑いを意識したものになっていると思うのです。
毒が混じっているのに、聞いた人間が思わずクスッ、と笑ってしまう。
それがいわゆるアメリカンジョークなのだと思います。
では先ほどの「死んだ鍋」というものはどうなんでしょう。
「アイルランド人が吐きだすウィットあるいはユーモアは、死んだ鍋のように当人の顔は笑っていない。相手はしばらく考えてから痛烈な皮肉もしくは揶揄であることに気づく。相手としては決して大笑いできず、といって怒りもできずに、一瞬棒立ちになる」 と言うものだそうです。
僕の知識では、「死んだ鍋」という言葉そのものは、司馬遼太郎の本書に出てくる言葉として有名らしいのですが、これについて書いてある他の本などでも大抵ビートルズとマスコミのやり取りが例として挙げられているんです。
ビートルズのアメリカ公演での記者会見で記者がコドモのようなこの連中に愚弄されているシーン。
記者: 「リンゴさん、作曲家としてのベートーベンについてどう思われますか?」
リンゴ: 「彼は素晴らしい。特に・・・・・ 詩が良いねぇ。」
な、なんというセンスなんだろうと僕は思うわけです。「こういう切り返しをするなんて、みごとなDeadpan(=無表情の風刺)だ」みたいな言い方をするんです。
これは才能という以上に、文化としか言いようがなく・・・ついでながらリンゴはアイルランド系なのでした。
またビートルズがMBE勲章を女王陛下から授与されるという新聞記事が出た時、第二次世界大戦でそれをもらった旧軍人たちが、抗議のためにつぎつぎと勲章を返上したことがあった時、ジョン・レノンは「人を殺してもらったんじゃない。人を楽しませてもらったんだ」と言いました。これも「死んだ鍋」なのです。
本書では他に「アイルランド人の気質」についてこんなことも書かれています。
アイルランド人としての典型的性格は、演劇化しやすいというのです。
例として、クリント・イーストウッドが演じている映画「ダーティハリー」という刑事もののシリーズをあげています。
ハリーという刑事は極端な目的主義者であって、悪をはなはだしく憎んでいる。
悪に挑戦する場合、偏執的に目的に直進し、常識や慣例、時には法さえ超えてしまう。その強烈な集中力はアイリッシュの典型的性格とされる。チームワークを嫌い、独力で戦う。
アイルランド人は、組織感覚がなく(中世的である)、統治される性格ではなく(古代的である)、大きな組織の中の部品で甘んじるということが少なく(近代的ではない)さらには部品であることが崇高な義務だというところが薄い。
ハリーはアイルランド系アメリカ人という設定なのがここでは興味深いことですね。
まあこんな具合で多方向からアイルランドとアイルランド人を描いた本書は、僕のようなアイルランド大好き人間にはたまらないのです。
(正直言うと僕の性格にも彼らに近いものが見受けられます)
また、人口は少ないが、アイルランドは堂々たる「文学大国」。ジョナサン・スウィフトやオスカー・ワイルド、W・B・イェイツ、ジェイムズ・ジョイスなどを生んでいます。隣のイギリスとは、政治的にも宗教的にも長く戦ってきた歴史をもつし、ロンドンで漱石を想い、リバプールでビートルズを感じ、ダブリンへ。ケルトの魂に触れつつ、躍動感のある旅がはじまった・・・・と司馬遼さんは述べています。
僕の愛読書のほんのさわりの部分を紹介させてもらいました。
興味のある方はぜひⅠとⅡの両方をお読みになってください。


司馬さんのこのシリーズは本当に勉強になるし、ヘタな旅行ガイドより知的にご当地を満足できるのでお勧めです。
中でもこのアイルランド2部作は外国を扱った彼の著作の中でも秀逸ですのでぜひ・・・。