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春の交通安全運動が今日スタートした。
毎日毎日早朝から昼前まで車を運転している僕にとって道路におけるスムーズな走行は何より疲労の軽減になる。
でもドライバーの全てが<上手い>運転をするわけでは当然なくて、どこへ行きたいんだか分からない車、前の車との車間をどれだけたくさんとるつもりかと思う車、周りとスピードを合わせることが出来ないのかとイライラする車、よたよたと走る若葉マークや超低速で走る高齢者マーク、荒い運転の車・・・実に千差万別。
ついついこんな車が前にいるとイライラしてしまう自分がいる。
精神修行が足りないのか?
とも反省しつつそう思うが、人間社会にいるってことはこれに似たフラストレーションを常に感じるわけだから、そんなある種不愉快な気持ちを少しでも和らげようと<気持ちの持ち次第>というセルフ・マインド・コントロールの方法をここ数年実践しているので紹介したい。
やるのは本当に簡単なことだ。
自分にとって(他の人には必ずしも不快とは限らないが)不快な運転(態度と言い換えてもいい)をするドライバーを<友達><家族><知り合い>などと思いこむ方法だ。
例えばウチの回りに多いのだが、自動車教習車がノロノロ走っているシーン。
そういう時は、あの車は教習中の自分の子供の運転だ、と想像するのだ。
実際、息子が運転免許を取る時、僕はその教習車の後ろに付いたことがあった。だからそれを思えば、少しは優しい気持ちになれる。
強引な割り込みをしてきた車でも、運転手が友達だったらと仮定すれば・・・笑って許せたりはしないか。
・・・とそんな風に考えて、気持ちを落ち着かせながら運転している。
人は見知らぬ人の行動には時として批判的になるが、自分の回りの人間の同じような行動に対しては寛容になれる。
今、この国の人々は些細な事でもイライラする人が多い。
それは社会も経済も政治も不安定だからだ。
さらには大きな地震が近未来に来るなんて言われて、明るい未来が本当にあるのだろうか、と疑問視する人だって多いのだ。
この行き所のない閉塞感にどのように対処すればいいのだろうか。
日本の政治は腐りきってしまった。
今の政権は原発再開のことばかり考えているような動きしか見えない。難問山積なのに。
志のない三流の政治家達にさっきの方法でこの人は家族だ、友人だ、と思って許してみようなんて・・・やっぱり無理な話だ。
どんなに優しい気持ちになろうとしても車の運転とはやっぱり違う。
事はこの国の運転だ。
厳しい視線を向けていかなくてはならないと思う。
交通安全運動初日、僕はやさしい運転を心掛けた。
毎日毎日早朝から昼前まで車を運転している僕にとって道路におけるスムーズな走行は何より疲労の軽減になる。
でもドライバーの全てが<上手い>運転をするわけでは当然なくて、どこへ行きたいんだか分からない車、前の車との車間をどれだけたくさんとるつもりかと思う車、周りとスピードを合わせることが出来ないのかとイライラする車、よたよたと走る若葉マークや超低速で走る高齢者マーク、荒い運転の車・・・実に千差万別。
ついついこんな車が前にいるとイライラしてしまう自分がいる。
精神修行が足りないのか?
とも反省しつつそう思うが、人間社会にいるってことはこれに似たフラストレーションを常に感じるわけだから、そんなある種不愉快な気持ちを少しでも和らげようと<気持ちの持ち次第>というセルフ・マインド・コントロールの方法をここ数年実践しているので紹介したい。
やるのは本当に簡単なことだ。
自分にとって(他の人には必ずしも不快とは限らないが)不快な運転(態度と言い換えてもいい)をするドライバーを<友達><家族><知り合い>などと思いこむ方法だ。
例えばウチの回りに多いのだが、自動車教習車がノロノロ走っているシーン。
そういう時は、あの車は教習中の自分の子供の運転だ、と想像するのだ。
実際、息子が運転免許を取る時、僕はその教習車の後ろに付いたことがあった。だからそれを思えば、少しは優しい気持ちになれる。
強引な割り込みをしてきた車でも、運転手が友達だったらと仮定すれば・・・笑って許せたりはしないか。
・・・とそんな風に考えて、気持ちを落ち着かせながら運転している。
人は見知らぬ人の行動には時として批判的になるが、自分の回りの人間の同じような行動に対しては寛容になれる。
今、この国の人々は些細な事でもイライラする人が多い。
それは社会も経済も政治も不安定だからだ。
さらには大きな地震が近未来に来るなんて言われて、明るい未来が本当にあるのだろうか、と疑問視する人だって多いのだ。
この行き所のない閉塞感にどのように対処すればいいのだろうか。
日本の政治は腐りきってしまった。
今の政権は原発再開のことばかり考えているような動きしか見えない。難問山積なのに。
志のない三流の政治家達にさっきの方法でこの人は家族だ、友人だ、と思って許してみようなんて・・・やっぱり無理な話だ。
どんなに優しい気持ちになろうとしても車の運転とはやっぱり違う。
事はこの国の運転だ。
厳しい視線を向けていかなくてはならないと思う。
交通安全運動初日、僕はやさしい運転を心掛けた。
でも、もっと下手な運転をするドライバーがいると「イラッ」としてしまう。 バンマスは人間が出来てる。 エライ!。 友達、家族、知り合いなどと考えもしなかった。
そして、自転車は車道を走るようにと指導してしまった警察にも「イラッ」と感じる。 都会で歩道を走ると歩行者との事故が多く発生するからという理由なのだが、田舎では自転車で車道を走る年寄り、子供は危険だ。 田舎の歩道に人は少ない。 フラフラと車道を走られると事故ってしまう。 「前方不注意」で全て車が悪くなってしまうし、歩道が空いているのなら歩道を走って欲しい。
歩行者がボーっとしていて自転車と事故ったら歩行者が≪未確認歩行物体≫となるように・・
まだしばれてますか~? 北海道のへそ。
車のボディは人の身体より強いけど、事故ともなれば車がいつだって弱いのです。
イライラするようなドライバー、危なっかしい歩行者、などを見たら、まずはその人は身内なんだと想像してやり過ごすか、笑って見過ごす、これが極意だと思うのです。
が、なかなか出来ないのが僕ら人間です。