二日間(5/5,6)しかないGWの休日、東京地方は初夏を思わせる<暑さに近い>暖かさでした。
体内時計が電波時計とまではいかなくてもクオーツ並みに正確な僕の時間感覚は、のんびりできるはずの休日でも目覚まし無しで決まった時間に目が覚め、便意をもよおし、空腹感を覚え、ぐずぐずと布団の中にいるようなことができないのです。
多少ルーズな時間の使い方をしますが、早朝に窓を開ければ風も無く日光はすでにさんさんと降り注ぎ、僕の脳は外に出て人通りも少ない道や公園を散歩せよ!と命令するのです。
朝からゆるい南風がやさしく流れていていつもの散歩道を独りゆっくりと歩くのでした。
新緑や目立つようになってきた色々な花々を途中に見ながらも、頭の中の思考は多種多様な事柄が湧いては消え、消えては湧く状態で、それは歩行運動によって血行が良くなることに連動するかのようにけっこう忙しく駆け巡るのでした。
大きな公園に着くと、数人のランナーと早朝散歩のご老人が遠くにいるのを見かける程度で、十分な静けさが保たれています。頭上では大好きなシジュウカラが大空を突きぬけるような澄んだ高音で何かを歌っています。
コブシも桜もハナミズキの花も終わり、今もっとも目立つのはやはり木々の若葉でしょう。
その生命力の謳歌には見ているこちらまでが若返るようでうれしくなります。
さて道々歩いて思うのは安倍政権の日本のかじ取りのことがまず一つです。
アベノミクスに代表される彼の政権運営はなかなか評判のようですね。日銀とともに円安株高を誘導した結果(いまだ進行形ではありますが)世の中に経済への明るい期待が広がっています。そして世間の大きな流れに乗りやすい意外と単純な日本人は取り立てて確実な理由も確信も無いままにバブル期前夜のようなウキウキ感を持ち始めたようです。
しかし現実には僕の周囲をみてもマスコミ(TVラジオも含む)が表現しているほどのハッピーさは少しも感じられません。
景気が良くなるという実感は一般勤労者の可処分所得が増えることで得られるもので、今の円安株高はごく一部の富裕層と輸出型の企業が潤っているだけともいえます。
特に円安は輸入製品・輸入原料の値上げという形でじわじわとボディブローのように我々の生活に不安を広げるでしょう。
物価上昇(=デフレ脱却)を目的とした経済政策も賃上げ等の実績が出た後で語られるべきで、我々は今何の恩恵も受けてはいませんね。
さらには一部のとんがった経営者(ユ●クロ)がこれからは従業員の年収は100万か一億かのどちらかに分かれていくみたいなこと(正確さを欠いているかもしれませんが)を言っているのを聞くと、今後ますます経済格差の広がる国になっていくのかな、と思ってしまいます。(実にイヤな経営者です!)
加えて気になるのは、現政権が「安全運転」と表現される、極めて抑制的(爪を隠す)な態度を装っていることです。もちろん参議院選挙をにらんでのことですが、もし参院選で前回の衆院選挙のように<見かけだけでも>大勝したら、この安全運転は暴走運転に豹変するのでしょうか?
のんびりと公園を散歩していて思うのですが、もし政権が暴走運転を始めた時、国民はもろ手をあげて喜ぶのでしょうか? 平和な安全運転をすることになんの問題も存在しないでしょう、と思うのですが。
昨日は国民栄誉賞とかでにこやかな顔を見せていた安倍サン。球場での背番号96に驚いた人もたくさんいたでしょう。彼の幸運な事は自分が「第96代総理大臣だから」とごまかせたこと。いえいえその本意は「96代」ではなく「96条」でしょう。
華やかな授与式でも安全運転をみせていた首相でした。
話題は変わって。
政府は官僚採用試験でTOEFLなどの英語試験を採り入れると言いだしたようです。
成長戦略のひとつとしてまず官僚の英語力・・・と考えたようです。
もとより語学(語学力)は勉強するものではなくて経験によって慣れて自然に覚えて使うものです。どうにも好きになれない経営者の一人「楽天」の某社長は社内の公用語を英語にした、などという信じられない風潮も一部にはあります。
英語が出来ないから昇進・昇給できないといわれても、こちらは困惑するばかりじゃないでしょうか。
英語(外国語)はそれを必要とする職種・職業・部署の人間が習得すればとりあえずは事足りるでしょう。
あくまで専門性の必要の中で語学力を求められるべきであって、スペシャリストとゼネラリスト(=自国語だけの領域で事足りる)の線引きは明快・簡潔にすべきだと思うのです。
今の若い人は海外へ行きたがらない(旅行も含む)らしいですが、そうだとすれば語学(主に会話力)を学ぼうとするきっかけのひとつが失われているわけで、世界人としてのコミュニケーション力が不足する事態も考えられます。そこにこの英語力重視の風潮。
確かに一部のリーダーのいらだちは理解できますが、短い人生、そんなにあくせくして生きていくこともないのでは?とも思うのです。
散歩は続き、あいかわらずいろんな事を考えながら歩きます。
公園に入って眼前には広い芝生広場が広がってます。今いる公園は周囲に建物が見えないほど広い所です。そんな広い空間にそよ風が吹いています。
太陽はずいぶんと高度を上げました。点々と立つ高い樹木がほどよいコントラストを作っています。空は青く澄んでポカ~ンと真っ白な積雲が浮いています。
静かで淀みや湿気の無い空気感。
こういう時に頭に思い浮かべる音楽はいくつもあるのですが、以前に紹介済みの
エルガーの「朝の歌」
フィンジの「エクローグ」
ペルトの「鏡の中の鏡」
に続いて今日はこの曲を思い浮かべたので紹介しましょう・・・・。
と、ここまで書きかけて・・・このあと、このページで音楽の紹介をするとブログのカテゴリー分けが二重になり、後の検索にも混乱が出るかも・・・と思ったので、散歩で考えたことは一旦ここで打ち切り、次のエントリーであらためて続きの話を展開することにします。
散歩では今書いた政治のこと以外にも仕事の事、バンドの事、ライブの選曲の事、友達の事、子供たちの事、植物の事、絵画の事、気象の事・・・などなどたくさんの事が頭の中を駆け巡りました。正直なところ、歩いて体力を使ったけれど、頭の中もけっこう疲れたようです。
少し汗ばんで散歩を終えました。家族はまだ寝ていました。
体内時計が電波時計とまではいかなくてもクオーツ並みに正確な僕の時間感覚は、のんびりできるはずの休日でも目覚まし無しで決まった時間に目が覚め、便意をもよおし、空腹感を覚え、ぐずぐずと布団の中にいるようなことができないのです。
多少ルーズな時間の使い方をしますが、早朝に窓を開ければ風も無く日光はすでにさんさんと降り注ぎ、僕の脳は外に出て人通りも少ない道や公園を散歩せよ!と命令するのです。
朝からゆるい南風がやさしく流れていていつもの散歩道を独りゆっくりと歩くのでした。
新緑や目立つようになってきた色々な花々を途中に見ながらも、頭の中の思考は多種多様な事柄が湧いては消え、消えては湧く状態で、それは歩行運動によって血行が良くなることに連動するかのようにけっこう忙しく駆け巡るのでした。
大きな公園に着くと、数人のランナーと早朝散歩のご老人が遠くにいるのを見かける程度で、十分な静けさが保たれています。頭上では大好きなシジュウカラが大空を突きぬけるような澄んだ高音で何かを歌っています。
コブシも桜もハナミズキの花も終わり、今もっとも目立つのはやはり木々の若葉でしょう。
その生命力の謳歌には見ているこちらまでが若返るようでうれしくなります。
さて道々歩いて思うのは安倍政権の日本のかじ取りのことがまず一つです。
アベノミクスに代表される彼の政権運営はなかなか評判のようですね。日銀とともに円安株高を誘導した結果(いまだ進行形ではありますが)世の中に経済への明るい期待が広がっています。そして世間の大きな流れに乗りやすい意外と単純な日本人は取り立てて確実な理由も確信も無いままにバブル期前夜のようなウキウキ感を持ち始めたようです。
しかし現実には僕の周囲をみてもマスコミ(TVラジオも含む)が表現しているほどのハッピーさは少しも感じられません。
景気が良くなるという実感は一般勤労者の可処分所得が増えることで得られるもので、今の円安株高はごく一部の富裕層と輸出型の企業が潤っているだけともいえます。
特に円安は輸入製品・輸入原料の値上げという形でじわじわとボディブローのように我々の生活に不安を広げるでしょう。
物価上昇(=デフレ脱却)を目的とした経済政策も賃上げ等の実績が出た後で語られるべきで、我々は今何の恩恵も受けてはいませんね。
さらには一部のとんがった経営者(ユ●クロ)がこれからは従業員の年収は100万か一億かのどちらかに分かれていくみたいなこと(正確さを欠いているかもしれませんが)を言っているのを聞くと、今後ますます経済格差の広がる国になっていくのかな、と思ってしまいます。(実にイヤな経営者です!)
加えて気になるのは、現政権が「安全運転」と表現される、極めて抑制的(爪を隠す)な態度を装っていることです。もちろん参議院選挙をにらんでのことですが、もし参院選で前回の衆院選挙のように<見かけだけでも>大勝したら、この安全運転は暴走運転に豹変するのでしょうか?
のんびりと公園を散歩していて思うのですが、もし政権が暴走運転を始めた時、国民はもろ手をあげて喜ぶのでしょうか? 平和な安全運転をすることになんの問題も存在しないでしょう、と思うのですが。
昨日は国民栄誉賞とかでにこやかな顔を見せていた安倍サン。球場での背番号96に驚いた人もたくさんいたでしょう。彼の幸運な事は自分が「第96代総理大臣だから」とごまかせたこと。いえいえその本意は「96代」ではなく「96条」でしょう。
華やかな授与式でも安全運転をみせていた首相でした。
話題は変わって。
政府は官僚採用試験でTOEFLなどの英語試験を採り入れると言いだしたようです。
成長戦略のひとつとしてまず官僚の英語力・・・と考えたようです。
もとより語学(語学力)は勉強するものではなくて経験によって慣れて自然に覚えて使うものです。どうにも好きになれない経営者の一人「楽天」の某社長は社内の公用語を英語にした、などという信じられない風潮も一部にはあります。
英語が出来ないから昇進・昇給できないといわれても、こちらは困惑するばかりじゃないでしょうか。
英語(外国語)はそれを必要とする職種・職業・部署の人間が習得すればとりあえずは事足りるでしょう。
あくまで専門性の必要の中で語学力を求められるべきであって、スペシャリストとゼネラリスト(=自国語だけの領域で事足りる)の線引きは明快・簡潔にすべきだと思うのです。
今の若い人は海外へ行きたがらない(旅行も含む)らしいですが、そうだとすれば語学(主に会話力)を学ぼうとするきっかけのひとつが失われているわけで、世界人としてのコミュニケーション力が不足する事態も考えられます。そこにこの英語力重視の風潮。
確かに一部のリーダーのいらだちは理解できますが、短い人生、そんなにあくせくして生きていくこともないのでは?とも思うのです。
散歩は続き、あいかわらずいろんな事を考えながら歩きます。
公園に入って眼前には広い芝生広場が広がってます。今いる公園は周囲に建物が見えないほど広い所です。そんな広い空間にそよ風が吹いています。
太陽はずいぶんと高度を上げました。点々と立つ高い樹木がほどよいコントラストを作っています。空は青く澄んでポカ~ンと真っ白な積雲が浮いています。
静かで淀みや湿気の無い空気感。
こういう時に頭に思い浮かべる音楽はいくつもあるのですが、以前に紹介済みの
エルガーの「朝の歌」
フィンジの「エクローグ」
ペルトの「鏡の中の鏡」
に続いて今日はこの曲を思い浮かべたので紹介しましょう・・・・。
と、ここまで書きかけて・・・このあと、このページで音楽の紹介をするとブログのカテゴリー分けが二重になり、後の検索にも混乱が出るかも・・・と思ったので、散歩で考えたことは一旦ここで打ち切り、次のエントリーであらためて続きの話を展開することにします。
散歩では今書いた政治のこと以外にも仕事の事、バンドの事、ライブの選曲の事、友達の事、子供たちの事、植物の事、絵画の事、気象の事・・・などなどたくさんの事が頭の中を駆け巡りました。正直なところ、歩いて体力を使ったけれど、頭の中もけっこう疲れたようです。
少し汗ばんで散歩を終えました。家族はまだ寝ていました。
話は変わって、「アベノミックス」の実感は皆無です。
ましてTPP交渉参加なんぞアメリカさんの言いなりで北海道農家を殺す気か?
賃上げもなくて可処分所得なんか増えないし、欲しいものも我慢して節約し生活費ギリギリで貯金0円。
政策は絵に書いた餅=安倍のみっクス(と笑う)。 馬鹿にするなと言いたい!!
連休もおわりましたね。
なんだかホッとしています。。
私は連休前から風邪をひいて、ほとんど寝てました
鼻や耳にも広がって・・合わせて二週間弱、ダウンしてました
外は、緑がぐんぐんのびて、みずみずしく力強いですね!
弱っていた分、自然や人の持つエネルギーを感じて、圧倒されてました。
今日は結構元気なので、久しぶりにひとりでゆっくりお散歩しようと思います!
今年の北海道の春のように、まさに今の政治は(も)さむ~いものですよね。
僕はね、次の参院選で自民党を勝たせてはいけないとすら思っています。
(やがて暴走運転が始まります)
ただし野党のレベルは今やもっと下の下。
そこが日本の不幸です。
所得の増加どころか急激な円安で輸入コストが上がり、庶民はどんどん苦しくなりますよ、このままだと。
それと安倍=極右政権は嫌いです。
側近の麻生は相も変わらず頭が悪いしね。言動を聞いているとバカだなあと思っちゃいます。
ずいぶん長いこと体調不良が続いてたんですね。
気の毒でした。
やはり季節の変わり目、ってことなのでしょうか?
寒かったり暑かったり、台風みたいな風が吹いたり、変な春です。
でもね、ねこっちさん、これからの時期は全ての自然の生命が華々しく爆発していきます。そのパワーをもらってください。
何かイライラしたり発散したいことがあったら、ブログテーマに関係なくコメント欄からいつでもどうぞ。
相手になりますぜ!!!