バンマスの独り言 (igakun-bass)

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気分で聴き分ける’70年代ロックの名曲 4 (第16話~第20話)

2015年04月19日 | この曲が好き!特別企画70年代ロック
気分で聴き分ける’70年代ロックの名曲シリーズ、今回は第16話から第20話までをエントリーします。


第16話 :   冬の入り口で



★クラウス・オガーマン
「夢の窓辺に/GATE OF DREAMS」(1976)
 
 

爽やかだった秋の風が、気がつくともう冬の木枯らしに変わっていて、木々の葉も寂しく一枚また一枚と高い枝からもう二度と戻れない旅に出て行きます。その一抹の寂しさを感じて物思いにふける時期が来ると必ず思い出して聞く音楽があります。

「夢の窓辺に」と邦題された名アレンジャー兼作曲家クラウス・オガーマンの名作を、です。
 (ただし今回は'70ロックではなくジャズ系フュージョンです)

このアルバム冒頭の冷気を伴った静寂感と透明感のあるピアノ・フレーズはあらゆる音楽作品の冒頭部(イントロ)の中でも、とびきり印象的で魅力的なものです! クラシカルな大枠の中にジャズ・ミュージシャンのソロを織り込みながら展開する冷静な音楽作りとホットでいて理性的なソロをとりあうミュージシャン達とのバランスの妙こそ、このオガーマンをして稀代の名アレンジャーと呼ばせるゆえんでしょう。

さきほど書いたように音楽はまずオガーマンのピアノから流れ出します。
それにからむようにジョージ・ベンソンのソフトなギターとオーケストラのストリングスがそっと現れます。リズムは8ビートで軽やかになって、ベンソンの玉を転がしたようなソロ・フレーズがひと時、軽快な気分にしてくれます。
イントロのピアノが戻ってくると今度はデイビット・サンボーン(A/sax)が登場してエモーショナルに盛り上げると、突然またイントロのピアノが出て、熱気を冷まします。
ここでジョー・サンプル(Pf)登場。サンボーンとの掛け合いを聞かせたあとマイケル・ブレッカー(T/sax)がブルージーに歌い継ぎます。
オーケストラの管楽器たちが甘美に曲を進めると、音楽は夜の雰囲気に変わり、暗くしっとりとした夜のしじまに身をゆだねます。 そんな中、サンボーンがまたむせび泣きます。そして珍しいサンプルのオルガン・ソロを聞いているうちにオガーマンの神業のようなストリングスのヴォイシング(和音の組み立て)を伴奏に悲しいイングリッシュ・ホルンのソロによりエンディングへと導かれます。名残惜しむかのようにストリングスのざわめきが聞こえ、どこからともなく流れてきた風の音の中に消えていくのです・・・・。

ところで、焚き火の愛好者って結構多くいると聞きます。心理学的には真っ赤な炎(囲炉裏など)を囲んでいると人間は周りの他人にさえ心の中を見せていくようになるそうです。
音楽だってそんなことができそうな気がします。穏やかでいて熱く物を語っているオガーマンの音楽も焚き火のような効果をもたらすのでは、と思っています。
                                                                

第17話 :   ドイツ人と日本人



★マイケル・シェンカー・グループ

「神(帰ってきたフライング・アロー)」(1980)
「武道館ライブ~飛翔伝説」(1981)

★UFO 「Phenomenon/現象(フェノメノン)」(1974) (M シェンカー初参加)
 
   

古くは「シンドラーのリスト」、近年では「戦場のピアニスト」、どちらも目を覆いたくなるような旧ナチス・ドイツの極悪非道ぶりが心に焼き付いて離れない悲しい映画でした。 
が、世界大戦当時の日本も同じようにアジア地域で起こした非道ぶりを忘れてはいけないのです。
・・・ここで視点を変えてドイツ人と日本人の共通点を音楽の中で考えてみました。
 
この両国民の共通点は、短調系のメロディアスなフレーズを好み、構成様式を尊ぶ点にあると思います。ロックの世界でもいろいろな様式の曲や特徴あるグループがいるわけですが、今回特集するマイケル・シェンカーはメジャーなロック・アーティストとしては珍しいドイツ人であります。若くしてプロギタリストとして人生を歩み始め、ドラッグや精神障害等多くの苦難を乗り越えてきた波乱万丈の半生を送ってきました。

この人の弾くギターはハードなリフ(短い繰り返しのフレーズ)の積み重ねと構成の様式美にあります。ソナタ形式というクラシックの形式美はしっかりした建築物を連想させますが、これはドイツで生まれ育った美的感覚です。
ドイツ人は生理的に頑丈な物が好きで、フランス的な感覚主義は苦手です。シェンカーの音楽はソナタ形式ではありませんが構成が明確で頑丈です。アルバム中のどの曲も大変「座り」が良く、「起承転結」があります。で、この人のおそらく最大と思える特徴はその「転」の部分に現れる泣きたいほど心に響く「日本人好みの」泣きのメロディーにあります。

シリーズ第3話でも紹介しましたが、ドイツ人の好みや特徴が出現する瞬間は彼のソロの途中にごく自然に流れるように出てきます。フライングVという奇抜なスタイルのギターとマーシャル50w+クライベイビーから作られる素晴らしく気持ちのいい歪んだ音色に早い指使い。ブリティッシュ・ロックの洗礼を受けた定番的早弾フレーズの中に独自のお涙メロディーを混ぜ込む職人的ワザは、何とも日本人にとって心憎いではありませんか。
たとえば「UFO」の「ドクター・ドクター」(大ヒット曲)のイントロなんか、涙涙のメロディーです。
MSG(マイケル・シェンカー・グループ)になってもその特徴は変わらず、僕なんか数々の曲の中に現れる「泣きのメロディ」のとりこになり、以前はこのグループのアルバムをかなり聞き返していた時期もありました。

マイケル・シェンカーは日本人の好きそうなメロディーをよく作り出します。もちろん日本のマーケットを意識してのことではないですが、その美的感覚がドイツ人と日本人が共有する「何か」を表しているように思えます。

ハードでいてメロディアス。ロックを聴いていて「ううっ」と感動する瞬間はこういう音楽を聞いているとき比較的多く現れます。でも彼の「泣き」は決して湿っぽくないんです。そこが島国(日本)と違う大陸(ドイツ)の「味」というものだとつくづく思っています。

     
                                 


第18話 :難攻不落な巨大な城



★レッド・ツェッペリン     「Ⅳ」 無題     (1971)     
        
 
 

数あるロックバンドの中で不思議と我々シェイズの面々があまり話題に出さないバンドの最たるものがこのレッド・ツェッペリンです。
僕自身、高校生時代はドラマーとしてもっぱらこのバンドの曲をコピーしていたのに・・・やはりメンバー各人の好みが反映されているのでしょうか。
そのツェッペリンの名作の一つがこのタイトル無し(俗にFour Symbolsなどと呼ばれている)のアルバム「Ⅳ」です。天下の名曲「天国への階段:Stairway to Heaven」や「ブラック・ドッグ」「ロックンロール」などが入っています。

もはや言い古された感がありますがツェッペリン=「天国への階段」というほど、これは彼らの代表作であり同時にロック界の記念碑的名曲であります。暖かい陽だまりで聞きたくなるような生ギターとリコーダーのイントロは絶品ですね。一時、楽器屋さんの店先でギターの試奏をするオニイチャンのほとんどがこの部分を弾いたという話や試奏コーナーに「天国への階段は禁止」!とジョークの張り紙があったなどの逸話が残るイントロです。

そして曲はその後、12弦生ギターとベースに伴奏が変わり、中間部のピークにあの独特で味わいのあるドラムがかぶって来ると、ジミー・ペイジの名ギターソロが入ります。このあたりの音楽性は素敵ですね。
個人的にはこのバンドのドラム(故ジョン・ボーナム)の音が大好きです。ハイハット・ワークは独特のイントネーションがあり(それはビートルズのリンゴのようなタメ?があります)、叩く力はとてつもなくパワフル。クラッシュ・シンバルはキーン(またはリーン)という高調波を含んだよく伸びる音で、当時は必死でこんな音のするシンバルを探しました。

さらにそのギターソロに続く後半のビートアップしたシークエンスはドラマチックに盛り上がっていきます。このロバート・プラントのヴォーカルはアマチュアではそうそう手が出ない(声が出ない?)独特の歌唱力でいっきに感動へと導いていきますが、これだけの歌をコピーすることの難しさ・恥ずかしさが我々をして今までレパートリーに入れられなかった理由のような気がします。 最後はプラントがリバーブ/エコーを切って独り言のようにつぶやき、曲は終わります。

「ブラック・ドッグ」はそのリフとリズムのビミョウなズレがバンド小僧を悩ませましたね。今聞き返しても相変わらず何とも形容しがたい「ビミョウ」ではあります。このギター&ベースのリフのシンコペーションとドラムスのシンコペーション無しのリズムが同時進行する時のズレがこのような不思議体験を聞き手にもたらすのです。各リフの頭出しのタイミングをスティックのコチッという音で合図しているようすが微かですがCDで聞き取れます。これはブレークの後の音の出だしを合わせる為に重要な合図となっています。

このバンドのコピーに最大ともいえる問題点はヴォーカル:ロバート・プラントの声をどう出すかでしょう。正直言ってギターのフレーズも独特で一種取りとめの無い感じだし、なかなか難しい問題を多くはらんでいます・・・そんな訳もあってシェイズでは過去一度も取り上げられないバンドなのです。
ウチのギター:A君も決してジミーのギター・フレーズを誉めません。所詮、嫌いならしかたがないのですが、基本的に敬愛するマイケル・シェンカー君のあのメロディアスでパワフルなギターワークとは全く異なるセンスだからでしょう。実はこの僕もツェッペリンの曲でのギターにあまり感動した事がありません。でもバンド全体の何ともいえない魅力は、やはり素晴らしいと思いますし、大好きではあります。(今のジミー君は練習をしていないのか、往年のテクニックは全く失せてしまっているそうです)

このツェッペリンという稀代のバンドは類似するバンドが無いという点においてまさに個性的・独創的であり奇跡であると思います。

レッド・ツェッペリンを取り上げた事で、内心ホッとしています。なぜなら70年代のロックを語るとき、ぜったいに避けられないバンドだからです。今まで何度かその構想はありましたが、なんとなく気乗りしないまま今日まで来ました。このバンドを評する時、その独創性において常人の批評など差しはさむ余地などはなく、他のバンドとの比較は意味をなさないためです。
 
だから単純に言ってしまえば「好きか 嫌いか」ということになってしまいます。
知られたエピソードですがクラシック界の巨匠、かのカラヤンも「天国への階段」にはぞっこんだったようで、スコアを一読した後、「完璧でアレンジする余地すらない」と言ったそうです。そんな曲を世に送り出したこのバンドの偉大さをしみじみ感じ、今のメンバーの老け具合が気になるところです。


                                 

第19話 :プレーヤーにおける円熟という意味



★マイケル・シェンカー  「ストーリー・ライブ/Story Live」(1997)
   
      

発表当時はほとんど食指にかからなかったアルバムでした。
なぜかと言うとその当時僕はこのジャンルの音楽から離れていた為に買い逃していたからなのです。

しかし何度か話題にも取上げている「神」と呼ばれるハードロック系の孤高のギタリスト、マイケル・シェンカーの「ほとんど今」を語っていると思われる「ストーリー・ライブ」というアルバムを紹介しないのは片手落ちだと思いエントリーしました。

このマイケル・シェンカー、シェイズのギタリストとベーシスト(僕です)が一時ハマリにハマッていたプレーヤーなのですが、ハードロックの世界では哀愁のこもったメロディーと超技巧を駆使するギタリストとして30年もの間、常に注目され続けた
存在であります。’70年代初期から表立った活動を始め、それはアマとプロの違いはありますが、ちょうど我々のバンド活動と時期を同じくしている点で特別に親近感みたいなものを感じているのです。

そんな彼の集大成とも言えるアルバムがなんと日本でのライブという形で記録され「The Michael Schenker Story Live」としてリリースされているのです。全30曲のセット・リストは一曲たりとも漏らさずに収録され、曲目は彼の初期時代のスコーピオンズからUFO、MSGの全ての時代から選ばれた珠玉の作品で網羅されています。

リズム隊はロックの世界ではこれ以上のテクニックを持ったプレーヤーはいないと思える二人、バリー・スパークス(Bs)とシェーン・ガーラス(Dr)のスーパー・コンビ。ボーカルには安定した歌唱力で過去の曲を完全に自分の物にしている二人のボーカリストを起用。 「神」マイケルはこれら若手のともすれば技巧に走る部分を十分コントロールしつつ、場面によっては自由に演奏させる度量の深さを見せながら膨大な30曲という曲数をこなしています。

選曲のよさに加え、何と言っても角の取れた円熟した彼のギターが堪能できます。リズム隊のこれ以上望めない安定した中にも刺激的なサポートによって「神」は解き放たれた火の鳥のようにホール空間を突き抜けんばかりに飛翔します。 
CDを聞いていてもその音の「奔流」が頭上を旋回し、ほとばしり、彼方に消えていくまでをつぶさに聞き取ることができます。

マイケル・シェンカーというスーパー・ギタリストはこのようなライブを聴くと、いかに日々ギターから離れず、絶えず練習を実践しているかが手にとるように分かります。当時50歳になるロック・ギタリストがこのようなテンションをもち続けていることに最大級の敬意を送りたいと思うのです。

'70年当時からスーパー・プレーヤーと呼ばれたアーティストの多くが、今現在どれほどのテクニックやセンスを維持しているか、との問いに「そう言われてみると・・・?」と疑問や失望を感じるファンは多いと思います。もちろん「円熟」という言葉があることは理解していますが、「名声を勝ち取った後の衰退」を「円熟」とか「枯れた味わい」などと表すのには抵抗があります。
また「円熟」とともに「金儲け」がうまくなった「レイラ」の作曲者の悪例を出すまでも無く、マイケル・シェンカーのように常
に挑戦的でいて前進し、たゆまぬテクニックの向上を目指す円熟のプレーヤーがどれほどいますか?
 
かつて僕も見に行った公演の前に、もう来日公演はしない(最後の日本公演だ)と公言し、その舌の根も乾かぬうちに後年、二度、三度とブドーカン級のホールをまたまた一杯にしてしまう「円熟」したレイラのアーティストはただだ「ビジネスマン・プレーヤー」であって、真の意味での「絶えずチャレンジするプレーヤー」ではないのです。

良し悪しは別にしてそのようなアーティストは耳障りのいい音楽で人々に麻酔をかけます。しかし本来ロック音楽が持つ強烈な自己アピール、攻撃性や体制批判などはそのような音楽の中に見つける事は困難です。少なくとも僕はまだまだロックの本筋の部分にプレーヤーとしても聞き手としても関わって行きたいと思っています。生き方こそ違うものの、同じ歳の「神」に自分のロック音楽に対する思いのたけを託したいのです。

「神」は他方、人間関係やドラッグ等で人間として問題を抱えてきました。
この人くらいになると一般に「あの人はギター馬鹿だからしょうがない」と社会で半ばあきらめ気味に肯定され、批判されにくくなってしまうものです。しかし彼の持つ人間の弱さみたいなものもその音楽を聞くと「神」がどれほど人に音楽に優しさを持っているかが分かります。きっと人一倍繊細で気が弱く、友達をすぐに作れない寂しがり屋かもしれません。
できる事なら一緒に酒でも飲んで話を聞いてやりたいです。

ここでは彼を業界内での一般的表現「神」と記述していますが、僕は彼をそう呼びません。可哀そうで憎めない、助けをいつも必要としている近しい天才的な友人くらいの感覚でとらえています。


ロック音楽が生まれた頃から成長期、安定期、円熟期そして(もしかしたら今は衰退期)とずっとリアルタイムで接してきた僕らには誰にも負けないロックとの一体感や歴史を体感してきたプライドがあります。
そういう同世代の気持ちを音楽で表現してくれている数少ない本物のアーティストが「神」ことマイケル・シェンカーなのだと思うのです。(多少のほめすぎはご容赦を!)
 
                                 


第20話 :ブラス・ロックの華麗な響き その1



★チェイス

「追跡/CHASE」 (デビュー・アルバム) (1971)
   
 

「ブラス・ロック」・・・真鍮(金属のしんちゅう)のロック。すごい言葉ですが、要するにトランペットなどの管楽器(真鍮製ですね)をメインに据えたロックの一ジャンルです。
今やブラス・ロックなる言葉は死語のようになってしまいましたが、1970頃は当時最先端のスタイルでした。が、このチェイスが発表された頃はすでにブラス・ロックの雄、BS&T(ブラッド、スエット&ティアーズ)の凋落が始まり、唯一成功していたのはシカゴだけという状況でありました。
これはどうしても演奏力のみに感心が向けられ、一般大衆の興味を持続させることが困難だったからに違いありません。

ビル・チェイスというビッグ・バンド出身のトランペッターをリーダーとするチェイスは、その編成の特異さでまず人々を驚かせました。通常、ブラスを擁するビッグ・バンドは4本のトランペット、4本のトロンボーン、アルト・サックス2本、テナー・サックス2本、それにバリトン・サックス1本のホーン・セクションが普通ですが、このバンドは4本のトランペット+ロック・バ
ンド編成でした。

ビルはホーン・セクションに当時無名ながらも優れた腕前のプレーヤーをジャズ畑から集め、ハイ・ノート(超高音)でぐいぐい切り裂くようなアタックのあるノリを作り、ヴォーカルやキーボード・プレーヤーは明らかにソウルフルで、ベースは当時バカテクのすご腕。ドラムとギターはハード・ロックそのものという、そのサウンドはジャズおよびロックの両方面から熱い支持を集めました。(「ジャズ・ロック」なんて言われてもいました)

ジャズの特徴の一つであるテンション・コードを多用し、4本のトランペットの精緻なヴォイシング、走り回るランニング・ベ
ース、軽めにビートをたたき出すドラム、レズリー+ハモンドB3のキーボード、ギミックの多いギターなど大編成のバンドですが、それぞれのプロ・プレーヤーとしての技量は並大抵の物ではない事がアルバムのオープニングの数秒で実感できます。
ジャズ好き、ロック好き、ポップス好きの熱心なファンから注目されたのもうなずけます。

このチェイスの最大のヒット曲は「Get it on ~黒い炎」ですが、このひどい邦題を知らなくてもこの曲のエンディングはだれもが知っているものと思います。この曲以外にR・スチュワートもカバーしている「Handbags and Gladrags~ハンドバッグと正装」など、歌を聞かせる曲もあります。またLPでB面全部を使った組曲「Invitation to a river~炎の流れ」は僕の大好きな曲でした。

万華鏡のように変化し、上昇し、落下するブラスの鋭く華麗な響きは今聞いても新鮮で衝撃的です。
重く沈んだ暗闇で歌われる夜の川のイメージは果てしない絶望とほのかな希望が緩急自在のトランペット・セクションやベース・ソロによって思慮深く描かれているようです。
そして心臓の鼓動のようなパルスに乗って勢いのついた音楽は4ビートと8ビートの間を揺れながら炎のように燃え上がり、追いかけあい(chase:追いかける)やがて沈静化し消えて行きます。

チェイスはこの1stアルバムで驚異的な成功を収め、メンバー・チェンジをしながらも2nd、3rd~とアルバムを制作しました。しかし’74年にはリーダーと数人のメンバーが乗ったチャーター機が墜落し、このバンドは消滅しました。

チェイスは演奏効果といったものを、アメリカ的ショーマンシップに求め、ハデで華麗で豪華なサウンドを提供しました。当時高校生の僕は、彼らのたった一回だけの(最初で最後の)日本公演を見逃しましたが、ある時、テレビでステージが少しだけ紹介されてますますファンになったのを覚えています。(注:今はYOUTUBEなどでその一部を見ることができます。幸せな時代です)

でも最近こういうてらいの無い火の出るような溌剌とした音楽が少なくなりましたね。




次回(21話~25話)に続きます。    (トップの写真は「クラウス・オガーマン「夢の窓辺に」のジャケット)
 

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