タイトルを変更した。
何となく語呂が良いので「無聊日記」としたわけだが、この「無聊」という語を使ったブログが多いのに驚いた。
「無聊」は俳句などで
「無聊をかこつ」などと用いるわけだが、要するに退屈でヒマをもてあますといったような意味なのだろう。
私は貧乏人で、ヒマをもてあますような身分ではなく、おそらく人生のゴール寸前まで働かなければ食っていけない。
そういう人間が「無聊」の日記を書くのは辻褄が合わないと気がついた。
本当は
「ちょっとピンボケ」とか「狂人日記」とか、「世迷い言」などというのが良いと思うが、
「ちょっとピンボケ」はたしかキャパのそれだし、「世迷い言」は東海新報の社説タイトルで恐れ多い。
それぞれ登録済み商標のパクリのようなタイトルだ。
そこで、遠縁の加勢谷達先生の書を思い出して、「迷悟在己」というのにした。
もとは弘法大師の商標なのだが、人生の目標として格調も高く、申し分ない。
仏教哲学のエスプリともいうべき至玉の言葉だ。
さてタイトルは素晴らしいが、果たして・・・?。w
何となく語呂が良いので「無聊日記」としたわけだが、この「無聊」という語を使ったブログが多いのに驚いた。
「無聊」は俳句などで
「無聊をかこつ」などと用いるわけだが、要するに退屈でヒマをもてあますといったような意味なのだろう。
私は貧乏人で、ヒマをもてあますような身分ではなく、おそらく人生のゴール寸前まで働かなければ食っていけない。
そういう人間が「無聊」の日記を書くのは辻褄が合わないと気がついた。
本当は
「ちょっとピンボケ」とか「狂人日記」とか、「世迷い言」などというのが良いと思うが、
「ちょっとピンボケ」はたしかキャパのそれだし、「世迷い言」は東海新報の社説タイトルで恐れ多い。
それぞれ登録済み商標のパクリのようなタイトルだ。
そこで、遠縁の加勢谷達先生の書を思い出して、「迷悟在己」というのにした。
もとは弘法大師の商標なのだが、人生の目標として格調も高く、申し分ない。
仏教哲学のエスプリともいうべき至玉の言葉だ。
さてタイトルは素晴らしいが、果たして・・・?。w