天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

蝶々

2020-05-24 17:22:26 | 日記

 あす25日の緊急事態全面解除を待たずに日本列島は夏の陽気が押し寄せた。お花畑には蝶々が舞いでた。鴨が水遊びを楽しんでいる。馬鈴薯が可憐な紫の花を開いた。トウモロコシが穂を着けた。ビールはまだかと枝豆が鞘を膨らまし始めた。日本人が1年で一番好む春の季節は、コロナ騒動に脅え冬ごもりのまま過ごすしかなかった。それでも若い者たちはステイホームに紛れて十分に春を謳歌したかもしれないけれど、やっと年寄りも鎌首をもたげることができるようになる。試運転は、コロナに勝つを謳い文句にしている串カツ田中にするか、ミラノ風ドリアにワインが合うサイゼリヤにするか、少し迷う。
 欧米は早速、ビーチで賑やかに祝祭を上げていると報じられている。ただ、CNNによると、ニューヨークのドミノ公園では芝生に間隔を開けてサークルを描き、寛げる場所にソーシャル・ディスタンスを設け、用心は続けているようである。大統領が経済規制に消極的なブラジルは新型コロナウイルス肺炎感染拡大の勢いが止まらないみたいである。
 ステイホームとソーシャル・ディスタンスの加減と、感染コントロール効果の相関関係は、神のみぞ知るである。要するに、COVID-19の発生の起源やウイルスの正体、感染ルートの何も分かっていないのだから、ワクチンや治療薬の早期開発に期待するには無理がある。
 米大統領が抗マラリア薬のヒドロキシクロロキンを服用したのを笑う立場には誰もない。誰かがファースト・ペンギンの勇気を持たざるを得ない。日本人は有史以来、ラスト・ペンギンとは必ずしも言えなくても、後方待機組であったことは否定できない。みんなで渡るのを待って安全を確認するのが賢明であることが多かったけれど、確実に後手を踏むのは仕方ない。それが民族の特徴であるなら、焦らずに進むしかない。
 ただ、人の振りを気にするのは日本の根性なのだから仕方なくても、人のお節介を焼くのは、解除をきっかけに止めてもらいたいものである。自粛期間中に営業した店に役所の人間が火を付けるぞと脅すのが職業倫理だと錯覚するような、息苦しい非常事態強制は長続きしない。自分で役割を作らないで、お上から雑事を与えられると天職のように思い込んで火の用心でも何でも精魂込めて拍子木を打ったりするものだから、周りは鬱陶しくて仕方がない。
 そんな理不尽なことでも我慢するのが美徳と教えられてきたものだから、自然災害からでも為政者からでも、災厄が過酷になればなるほど、畏服するのが習い性となってしまってきた。一時的に下げた内閣支持率などは、倒産、失業、経済不況が本格化して苛烈になれば、それに逆比例して回復、上昇したのが日本議会政治の経験則である。どんな事態に追い込まれようとも、どうせ代わり映えがしないのだから、せいぜい自粛を見張り合う窮屈な生活からは早く抜け出したいものである。

夏や来ぬ
足止め解けむ
諸共に
蝶の舞ふごと
川を渡らむ










唐衣

2020-05-23 16:02:43 | 日記

 暇つぶしの図書館とかイートインの100円コーヒーに行かなくなったので、時間を持て余して、また町の菖蒲園を覗きに行った。カキツバタが数本、花開いていた。このところ、ちょこちょこチェックしていたけれど、散策路の畑や人の庭に咲いているのに遅いなと思って調べたら、水辺でなく畑などにあるのは菖蒲、あやめで、公園の沼地に水を引き込んで見せるのは杜若だった。花季が杜若の方が遅いので、そいう順序だそうである。伊勢物語の東下りの途中、三河の国八橋という、沢辺に橋が八つ掛かった所で在原業平が鑑賞したのも、「いと面白く咲きたる」カキツバタだったので、話の辻褄が合う。或る人が、「『かきつばた』という5文字を句の上に据えて、新型コロナウイルス肺炎感染拡大の心を詠め」と言うので、
(か)唐ころな
(き)きつくなりにし
(つ)爪痕に
(ば)激しく怒る
(た)大統領あり
 それでもまだ暇なので、途中で辞書を引くのが面倒になって放うったらかしていた『赤毛のアン』の英語版を再チャレンジした。さっそく、から衣並みに意外性があって、面白い個所に出くわした。アン ( Anne ) というのは主人公の女の子の名前なのに、「 Annes 」と、複数形でも使えることを知った。日本なら柳生一族とか山口一家という言い方があるけれど、同一人物の複数形をどう表現して良いか分からない。aikoの「二人」という曲はあっても、愛子2人とは畏れおおくて言わない。 ところが、アンが養母マリラにお喋りする下りに;
There's such a lot of different Annes in me. I sometimes think that is why I'm such a troublesome person. If I was just the one Anne it would be ever so much more comfortable, but then it wouldn't be half so interesting.
 この部分は、松本侑子訳では、「私の中には、何人ものアンがいるのね。だから私という人間は、こんなに厄介なんだわ。でも、もし一人のアンしかいなかったら、ずっと気は楽だけど、半分も面白くないでしょうね」
 こんなセリフが口をついて出るアンの空想力も創造力も魅力的だし、作者モンゴメリの発想に吸い込まれてしまう。
 それに対し、取材対象の点数、評価に怯え、萎縮した日本の報道に幻滅せざるを得ない。見たり、読んだりする気が起きないので、ますますステイ・ホームが詰まらなくなり、暇を持て余す。テレビの製作のプロセスを全然知らないのでええ加減な話であるけれど、局で一気通貫しているのでなく、外部製作会社の持ち込み作品をつなぎ合わせている感じがする。タイトルを見ても何を見せてくれるのか分からないので、見なくなった。それでも局スタッフだけで製作するよりも活気があってマシなのだろう。新聞もこれに倣ってはどうか。ただ麻雀をしておこぼれネタを取材対象の了解を得ながら記事にしているから、官報と変わりなく面白くも何ともない。そんな役立たず記者を全部解雇して、フリー記者から力作を買い取る方が生き生きとした紙面になるのではないかと思う。各新聞社はそれぞれに年間、月間、週間、日々の編集方針を示すだけで良い。もっとも、編集方針を立てても新聞社自体が、読者減少、広告減少に喘いで、つい政府、官公庁の買い上げ、財政支援に依存しているため、大本が瓦版体質、大本営発表型追従記事精神に染まっているとしたら、改革の手の施しようがない。



本歌:伊勢物語第9段

から衣
きつつなれにし
つましあれば
はるばるきぬる
たびをしぞ思ふ

(古今和歌集巻第九
 羇旅歌の部

 在原業平朝臣)

(Ann → Anne = Ann with e でした)


噴火

2020-05-22 13:39:39 | 日記

 コロナ緊急事態解除で喜んでいるのは今のうちのことで、楽しみはこれからだ!、というくらい恐ろしいことが待ち受けている予感がする。カムチャツカ半島の最高嶺クリュチェフスコイ火山が22日までに大噴火し、赤黒い噴煙が5500メートルの天空まで覆っていると伝えられている。また、千島列島の幌筵島(パラムシル島)のエベコ山が21日までに噴火し、噴煙が1900メートルまで上がったという。両島ともに東京からは湖北省武漢くらい遠い異国の話ではあるけれど、クリュチェフスコイ山とエベコ山を繋いだ延長線にはバッチリ富士山があり、ユーラシアプレートと太平洋プレートがぶつかってしのぎを削る地震・火山帯で結ばれた親戚遠縁同士であることが無気味である。おそらく地底マグマでは必ず行き来しており、弥次郎兵衛みたいに、あっちが上がった後にはこっちが上がる仕組みだとすると、物凄く怖い。クリュチェフスコイ山と富士山を繋ぐ天秤棒の中心点の支点を仮に札幌市と取ると、札幌とクリュチェフスコイの距離と噴煙の高さ5500メートルの2つの因数が与えられているわけであるから、次に富士山の地底マグマに点火して爆発炎上する大体の日付と噴煙の規模は数理物理学上、計算できるはずである。しかし、ただでさえ新型コロナウイルス防御に追われて、自分の身を守るのに精一杯なのに、他人のことを構っていられないので暫く伏せておく。
 黒川東京高検検事長の麻雀賭博については、週刊文春にスクープ撮などと見出しが出ていたので、そんな場面に導くシナリオを書いて裏で糸を引く意図が誰のものか想像できずに、無闇に面白がっていられない気がした。文春の待ち伏せスクープ撮を可能にしたのは、身内の産経新聞なのか、官邸なのか、検察なのか、によって今後の展開にバリエーションが出てくる。進退窮まって本人、あるいはご主人を思い遣った愛犬がリーク元、というのは一番あり得ないストーリーであろう。
 いずれにしても神の裁きでないことは確かである。いまさら検察に政治的中立性と絶対正義を求めるのは、アイドルに純潔を求めるのと同じくらい、ナイーブで愚かなことである。秋霜烈日の勲章のように称えるロッキード事件摘発にしても、三木武夫政権と田中角栄軍団の政争に絡んだ鬼っ子であるし、厚労省女性局長冤罪事件や甘利明大臣のUR口利き疑惑の捜査処理など、公正性の疑わしい扱いが連綿としてきている。エベコ山に蓋をしても、いつ御嶽山が噴石を飛ばすとも限らない。マグマを支配するには、とりあえず選挙に勝ち、政権を握ることである。
 そうでないと、もう良いだろうと安心して炬燵を片付け、冬のジャンパーを洗って仕舞ったのに、昨日今日みたいに寒いと、また取り出して二重手間になることがある。群発地震や火山といい、人の浮き沈みといい、いつの世も出る杭は打たれる、モグラ叩きによって舞台が回っている。

あら怖はや
かむちゃつかに昇る
遠ほ烽火
ころな好しとて
ふじのやまひに




昼夜

2020-05-20 15:07:04 | 日記

 コロナ一色の新聞も見飽きて、読む気をなくした。感染者数も死者数も激減した。しかし、東京と近県は緊急事態宣言解除に躊躇している。そんな当局口移しの垂れ流しではさっぱり要領を得ない。海外の感染状況を見て、過剰に怯える必要はない。欧米や中国、韓国では日本よりはるかに強烈なロックダウンを実施していて、収まりつつある一方、本邦は政府要請に基づく自粛だけでほぼ感染がなくなった。それなら小売・サービス業などを自主休業させて営業妨害することなく、政府宣言を完全撤回して、自由経済に復旧すればよい。それをいつまでもうじうじ、うじうじ継続しているのにはどういうわけがあるのか、調べて報道するのが新聞の役割ではないのか。人口1千数百万人の東京都において新型コロナ感染数が1桁なら、他の病気と比べてニュースでも何でもない。警戒の必要などない。日本はクラスター方式により成功していると自慢するなら、5人くらいの発生ならすべて感染ルートを把握し、安全性は確立されているはずである。検査数も1日2万件に達しているなら、何も心配する必要がない。それなのに解除に踏み切れない本当の要因を分かりやすく伝えないから、読むところがない。だって不安なんだもん、という調子の情緒的な記事では話にならない。
 と思って、パラパラ中程までめくると、社会部が総力を上げたような力作記事が全ページにわたって展開されているのを見付けた。大見出しは『昼も夜も 男性の元気に自信』。続いて『漲る活力 実感の声多数』。小林製薬に突撃取材したコロナ自粛時代を乗り切る『エディケアEX』の効能特集であった。コメントも活き活きと「あまりの元気さに、私よりも妻が驚いています」「おかげで昼も夜も充実し、満足しています」と、生の声を伝えている。繰り返しステイ・ホームと言われても、旧番組再放送ばかりのテレビも、読書にも飽きてくると、生産年齢にとって他に遣ることは限られてくる。勢いアルギニン配合の健康維持食品などで精力を増強するのが理にかなっている。しかし当局のステイ・ホーム指令に従うと、子供たちに大事なお仕事があるから、お外で遊んでいなさいとも命令できず、増強し過ぎても問題が生じてくる。マンションなどでは隣りの大きな声が激し過ぎるといったトラブルが多発しているのではないだろうか。ステイ・ホーム中のテレワークで、昼休み中に薬が効き出して、慌ててスイッチを切り忘れ、昼も充実した姿を本社の画面に実況中継していたといったミスも頻発していないか心配になる。
 もっと心配になるのが、夏の甲子園の中止決定である。私も中学、高校の計6年、夢を見ながら野球練習に打ち込んで、いつも1回戦敗退だったけれど、負けて流す涙も今となっては良い思い出である。それが試合すらできないとは、気の毒すぎる。海外から羨ましがられるコロナ勝利国の日本なら、選手、関係者の検査を徹底すれば、試合を開催するのに何の不都合もない。もし、無観客で強行しても主催者団体に1銭の儲けにもならないから中止するのであれば、反国民的行為である。
 今朝のNHKラジオ英会話は、どれだけ何々しようとも、という譲歩の表現であった。最後の英作文の課題は「君が何を望もうと、私が手に入れてあげるよ」であった。解答例は;
Whatever you want, I will get it for you.
2問目は、「君がどこに行こうとついていくよ」であった。解答例は;
Wherever you go, I will follow you.
―――日本高校野球連盟などには、こんな根性はないのか。恋をしたことはないのか。大事なものを守る魂がないのか。
 家の階段を昇り降りすると、曲がり角に爪痕が残っている。2年前に永久の別れをした愛猫ミャー太の忘れ形見である。今は朝起きて下に降りて行っても、ミャーの鳴き声も、脛に擦り付けるふあふあの毛も無くなった。こんなに虚脱することはない。しかし、全力で愛し、全力でお仕えしたことは分かってもらえていると思う。

負へぬなら
負ふことなかれ
人の命
雨にも陽にも
傘を整へ








銀山

2020-05-19 14:55:53 | 日記

 天気が良くないと自粛生活の息抜きの散歩まで陰気となる。菖蒲園にちょうど良いお湿りと諦めるより仕方ない。外食や遠出が封じられると、ただでさえ単調な隠居生活がますます湿気てくる。テレビ、ネットも骨董屋の店仕舞いセールみたいのばかりである。あるいは、病原菌が何者か誰も分からないで議論するから、もっともらしく装った常識か、自分善がりの床屋談義に終始していて、退屈してしまう。図書館はずうっと閉まっているので、借りっ放しの本か、手持ちしかない。プライムビデオもそうそう当たりばかりでない。有料コンテンツの名作シリーズ会員に契約しようかとも検討している。でも、せいぜい2時間前後の作品でも、一気に観通すド嵌まり物は滅多に出合わない。TVドラマのシリーズなんて、いくら暇でも根気が続かない。
 NHKは看板の大河ドラマも一時中断するそうであるから、年末一大イベントの紅白歌合戦はリモート・テレワーク演出かな。『家、ついて行ってイイですか?』も今では、出演者が自分でメイキャップし、カメラ、マイクの取り付けなど、自宅で舞台設営しなくてはならない。個人宅でフル・オーケストラなんて無理だろうから、歌唱はカラオケ方式しか仕方ない。歌手選考も3密回避から単独か、グループだと最大3人以内だろう。小林幸子がまた選ばれたら、独りで衣装を着付けるのは大変難儀と思われ、同情する。審査員はまどろっこしいから省略になると思う。審査は視聴者がネット送信して採点するのではないか。応援団は慎重に選抜しないと、目立ちたがり芸人から放送NGの映像がいきなりオンエアされたり、ハプニングが楽しみとなる。
 自動車免許の高齢者講習と、車検しか今年の予定がないため、カレンダーに書き込む事がない。久しぶりにめくったら、5月6月分は天皇皇后両陛下の和やかなお写真だった。ご愛犬の端正な表情が印象的である。令和が始まって1年経ったか。お披露目のパレードがあったり、トランプ米大統領が大相撲見物に来日したり、裏千家流茶道を習ったり、それなりに目移りしながら動いていたけれど、今年に入っていきなり回転木馬の電気が切れたように景色が止まってしまうと、ボーッと見物者の気楽さで居られなくなり、自分でコマを回さないと詰まらない。でも、無理をしても空回りか、裏目が出るかがオチだろう。おしんちゃんの晩年のように、来し方を振り返る好機かもしれない。やっぱり、銀山温泉あたりでゆっくりしたいな。自粛解除基準は自分で作るとして、最初に出掛けるとしたら、賑やかに高知県のひろめ市場を第1候補にしている。
 検察庁法案が今国会見送りかあ。政府の目玉施策が30万円給付構想に次いで短期間に2度も撤回とは、政権運営能力が問われる失態であるのに、政府与党内に風雲の兆しも見られないのは面妖である。自民党が群雄割拠の活気のある時代なら、馬力よく引責辞任を迫り、受け皿を立てるためあちこちで会合が持たれたものであるけれど、完璧に骨抜き無気力政党に成り下がっているようである。安倍首相の立ち居振る舞いがおネエっぽい印象なら、後継第1候補と目される石破茂元幹事長がさらに輪をかけた感じなので、政局が煮え切らないのは当然の帰結かもしれない。これが2世、3世議員政治の成れの果てと言えよう。政権構想とか経綸抱負を持たず、世界の中における日本の進む道を示そうとするより、代々の地盤に安住し、目指すのはポスト争奪のみであるから、政治の地盤が揺らいでいても人の顔を窺って済ませている。結局は、議員の本分の立法の仕事を行政に丸投げし、リモートからテレワークで操縦されているだけの、小学校のクラスルーム討論のような議会制民主主義ではないか。

喪明けには
ひろめ銀山
数有れど
先ずは己れが
後追ふなかれ