天愛元年

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新元号『天愛』元年にスタート

審判

2020-06-14 23:05:52 | 日記

 アトランタといえば日本人にとっては、アカデミー賞受賞映画『風と共に去りぬ』の舞台となり、南北戦争の南軍の拠点で黒人労働者による綿花栽培が盛んだったというイメージがまず浮かび、次に夏季オリンピック(1996年)の開催地という印象である。そんな土地で、ミネアポリス警官による黒人男性暴行死事件に端を発して「Black Lives Matter」が全米から全世界に拡大しているさなかに、また黒人男性が警官に撃たれ死亡した事件が発生した。メディア情報に突き動かされて判断するのは慎重にならなければならないが、なぜ自制が効かなかったのか、残酷で痛ましいという印象しか起きない。折から『風と共に去りぬ』に人種差別的描写があるという理由で、配信が停止となり注目されていた。同市の警察署長が辞任する事態に陥っている。この悪い連鎖を世界の民主主義陣営のリーダー国が、良識と対話で食い止められなくてどうするのか。圧政や民族抑圧を行っている国があっても、自国がお手本を示せなくては、政治介入したり、武力制圧する正統性が失われるであろう。法と秩序を回復するために、蛮行が許されてはならない。まず為すべきことは、国民の政府に対する信頼を回復することである。言葉の不自由な他国の匹夫が要らざる口出しをして誤解を招くのは避けなければならないが、アトランタ事件ニュースの感想として、
 That's cruel ! 
 Shot by the cop.
 Gone with the Feud. 
---と新聞社に送信した。
 コロナウイルスのパンデミックを押さえようとすると、どうしても徳と天罰という古くからの政治思想を持ち出さないと腑に落ちない。国民というより権力志向の大統領が適当にあしらっている国に被害が大きい傾向がある。ヒドロキシクロロキンでも飲めば治るとか、風邪の一種で気にすることはないとか、ウオッカで消毒すればよいといったような、マッチョだが粗雑な思考に頼る嫌いがあるためかもしれない。経済は国民の欲を上手く引き出せば、為政者が大したことをしなくても潤滑に回ることがある。一方、病原菌は一応、科学的知見に基づいて対処しなくては制御できない。しかし、新型コロナウイルスについては組成や発生のメカニズムがまだ何も分かっていない状況である。罹患者の治療については、肺の機能を代替する医療技術で回復することもあるけれど、大概は自己免疫力に頼っている。病原菌の特性がよく分からないものだから、感染の経路も解明されていない。だから、古代からの医療法である、人から人への伝染を抑える方法、いわゆる3密回避、ソーシャル・ディスタンス、手洗い、うがい、マスク着用程度しか思いついていない。感染者・死者の多寡は、国ごとの医学的処置の優劣を反映するというより、運不運に左右されている嫌いもある。これを医療専門家という人種が、無理に何とか総括しようとする。それをまた政治用語に変換すると、「日本モデルの力を示した」という、大多数の愛国的日本人が納得したけれど、私にはよく咀嚼できない結論が導き出されている。そんな不思議な迷路にさ迷い込んでしまったものだから、つい、特異な気質の大統領のそれぞれの「徳」に起因するのではないかと考え込んでしまう。また、彼らが自分の脚下を見直すよう「天罰」が下ったのではないかという結論に誘惑される。しかし、徳の薄さから世界を見渡すと、まだまだ天の審判は大物に向け進行中という予感がする。

神の怒り
弾けぬ前に
跪け
ちからと力
恨み残せば





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