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好きな漫画やBL小説の二次小説を書いています。
作者様・出版社様とは一切関係ありません。

白銀の夜明け 第1話

2024年05月15日 | F&B 吸血鬼ハーレクイン転生パラレル二次創作小説「白銀の夜明け」
「FLESH&BLOOD」二次小説です。

作者様・出版社様とは一切関係ありません。

海斗が両性具有設定です、苦手な方はご注意ください。

1880年、ウィーン。

「ちょっと、あたしの衣装は何処なの?」
「もう、こんな時に髪型が決まらないなんて、最悪!」
ウィーン中心部にあるオペラ座では、夜の公演が控えているバレリーナ達が忙しく動き回っていた。
「ねぇ、あの子は?」
「あの子って、どの子よ?」
「ほら、赤毛の・・」
「知らないわよ!」
地上で忙しくしているバレリーナ達は、地下で歌のレッスンに励んでいる赤毛の少女―海斗の存在など忘れて公演の準備に追われていた。
「カイト、そこはもっと優しく。」
「はい・・」
海斗がピアノの伴奏に合わせて歌うと、空気が微かに振動した。
「そうだ、その声だ。」
ピアノの前に座っていた男はそっと椅子から立ち上がると、愛おしそうに海斗の髪を一房手に取り、それに口づけた。
「ねぇ、あなたは俺を知っているの?」
「あぁ。お前の事なら、お前が生まれる前から知っている。」
男は灰青色の瞳で海斗を見つめた。
(何だろう、この人に見つめられると頭がおかしくなりそう。)
「どうした、何を考えている?」
「いいえ・・」
「さぁカイト、歌え。」
「はい・・」
地下で美しい声で歌う海斗の姿を楽譜越しに見ながら、“怪人”ことナイジェルは、初めて彼女と出会った時の事を思い出していた。
今から遡る事300年前、海斗とナイジェルは、ロンドンの宮廷で出会った。
「ナイジェル、あれがカイト様だ。」
養父に連れられ、初めて足を踏み入れた王宮で、美しい炎のような髪を持った少女を一目見たナイジェルは、彼女に心を奪われてしまった。
ナイジェルの視線に気づいたのか、少女は彼に優しく微笑んでくれた。
「何をしている、早く来い!」
「は、はい!」
「ねぇ、さっきここを通りかかったのは誰?」
「あぁ、あの子は道化師見習いですわ。」
「道化師見習い?」
初めて宮廷に上がった海斗だったが、宮廷に上がる前、養父から宮廷には女王に仕える道化師が居ると聞いた事があった。
「じゃぁ、あの子と毎日宮廷で会えるの?」
「ええ、いずれそうなるかもしれませんわ。」
「楽しみだわ。」
海斗が侍女達とそんな話をしている頃、ナイジェルは親方である養父から鞭打たれていた。
ここ数日、ナイジェルは何も食べておらず、空腹と疲労の所為で何度も芸を失敗していた。
「てめぇ、いい加減にしやがれ!」
養父はそうナイジェルに怒鳴ると、容赦なく彼を鞭打った。
ナイジェルは寒さに震えながら歩いていると、彼はあの赤毛の少女とぶつかってしまった。
「ごめんなさい、大丈夫?」
「あぁ、大丈夫・・」
ナイジェルはそう言うと、気を失った。
「ヘンリエッタ、この子は助かるの?」
「ええ。この子は、ただお腹が空いているだけですわ。それに、疲れているようなので、ゆっくり休ませた方が良さそうですわ。」
ナイジェルが目を覚ますと、そこはいつも寝ているチクチクとした干し草のベッドの中ではなく、フワフワとした寝心地の良い清潔なシーツの中だった。
「ここは、天国か?」
「面白いことをおっしゃるのね。ここは、わたくしの部屋よ。あなた、うちの中庭で倒れていたから、あなたをここまで運んだの。」
「君が?」
「いいえ、うちの下男のジョンよ。」
「そうか。」
「まだ起きては駄目よ。あなたに必要なのは、栄養たっぷりの食事と、休息よ。」
「わかった。」
「お嬢様、大丈夫なのですか?勝手にあの子を・・」
「お義父様には、わたしから話しておくわ。」
海斗はそう言ってヘンリエッタを安心させた後、養父・ジョゼフが居る書斎のドアをノックした。
「お義父様、入ってもよろしいかしら?」
「あぁ、入ってくれ。」
「失礼致します。」
海斗が書斎に入ると、ジョゼフは執務机の前で、気難しそうな顔をしていた。
「どうなさったの、お義父様?何か問題でも・・」
「カイト、お前が中庭で保護した少年だが、どうやら厄介な事になったらしい。」
「もしかして、あの乱暴者がナイジェルを返せと、お義父様に文句を言いに来たの?」
「いや、わたしに文句を言いに来たのは、ナイジェルの実父だ。」
「あの子の実の父親?」
「あぁ・・グラハム卿だ。」
その名を養父から聞いた時、海斗は恐怖の余りその華奢な身体を震わせた。
グラハム卿―ウィリアム=アーサー=グラハムは、エリザベス女王のお気に入りの廷臣の一人で、政敵を葬り去る事に対して情け容赦がない事で知られている。
そんな冷酷非道な男と、養父がどのような関係にあるのか、海斗にはわからなかった。
「カイト、先程わたし宛に届いた手紙には、グラハム卿は明日我が家に来るそうだ。」
「急な話ですね。」
「あぁ。だから、失礼のないようにグラハム卿をもてなさなければな。」
「わたしにお任せください、お義父様。」
「頼んだぞ。」
ジョゼフからそう言われたものの、これまでどう客をもてなおしたらいいのかわからない海斗は、養母・アゼリアが生前使っていた部屋へと向かった。
海斗の養母・アゼリアは几帳面な性格で、領地の管理や家計管理、そして客人のもてなし方などを一冊の本に纏めていた。
「あった、このページだわ!」
海斗がそう言いながらそのページを捲ると、そこにはアゼリアの美しい文章と絵で事細かに客人をどうもてなすのかが書かれていた。
こうして海斗は、半日という限られた時間の中でグラハム卿を完璧にもてなす為の準備を終えた。
「ナイジェルの様子はどう?」
「あの方は、中庭でリュートの練習をしておりますよ。」
「ありがとう。」
ヘンリエッタに礼を言うと、海斗はナイジェルが居る中庭へと向かった。
ナイジェルが爪弾くリュートの音色に合わせ、海斗はいつの間にか歌っていた。
「ごめんなさい、つい・・」
「君は、綺麗な歌声をしているな。」
「ありがとう。歌は本格的に習った事は無いけれど、昔ここに来ていたロマの人達に歌と踊りを習ったわ。」
「ロマ?」
放浪の部族と呼ばれたロマは、黒い髪と瞳を持った者達だ。
彼らはこの時代の欧州に於いて、差別や迫害の対象となっていた。
「実は、わたしはこの家の養女なの。実の親が誰なのかわからないの。でも、わたしには大好きなお義父様がいらっしゃるから、寂しくないわ。」
「そうか。俺は、物心ついた頃から今の親方と暮らしていた。その前は、俺と母は小さな修道院で暮らしていた。母は、俺が三歳の時に肺炎で死んだ。母は俺を育てる為に、身を粉にして働いていた。」
「お父様を捜そうとは思わなかったの?」
「あぁ。私生児を産んだ母を屋敷からその身ひとつで追い出した男を、俺は父と呼べないし、これからも呼ぶつもりはない。」
そう言ったナイジェルの瞳は、何処か悲しみを宿していた。
「ねぇ、もう暗くなるから、屋敷の中へ戻りましょう。」
「あぁ。」
ナイジェルが海斗と共に中庭から去ろうとした時、急に背後から強い視線を感じて振り返ったが、そこには誰も居なかった。
「どうかしたの?」
「いいえ・・」
(今、誰かに見られていたような・・)
ナイジェル達が去った後、茂みの中から一人の男が出て来た。
その髪は、美しい銀色だった。
「見つけた、我が花嫁・・」
男はそう呟くと、闇の中へと消えていった。
冷たい夜風が、木々を揺らした。
「ねぇ、おかしくないかしら?」
「ええ、大丈夫ですよ。」
グラハム卿をもてなす為、海斗は自分が持っている物で一番上等な深緑色のドレスを着ていた。
そのドレスは、アゼリアが海斗の為に仕立ててくれたものだった。
「お見えになられましたよ!」
グラハム卿一行が海斗達の元を訪れたのは、彼の手紙がジョゼフの元へと来てから数日後の事だった。
グラハム卿は、金髪碧眼のいかつい顔をした男だった。
どうやらナイジェルは、美人の母親に似たらしい。
「グラハム卿、ようこそいらっしゃいました。こちらが、わたしの娘のカイトです。」
「はじめまして。」
「素敵なお嬢さんですね。わたしの息子の結婚相手にいいかもしれん。」
グラハム卿はそう言ってあごひげを弄った後、自分の背後に立っている少年を自分の元へと呼び寄せた。
グラハム卿と瓜二つの顔をした少年は、海斗と目が合った途端、何処かへと行ってしまった。
「済まないな、息子は人見知りでね。」
グラハム卿とその息子を囲んだ夕食は、賑やかなものとなった。
「このパイは美味しそうですね。」
「我が家で獲れた苺を使った物なのですよ。」
グラハム卿は海斗お手製のパイに舌鼓を打った後、ジョゼフとある話をしに、彼と書斎へと入って行った。
海斗はナイジェルを捜しに、彼が滞在している離れへと向かった。
だが、そこには彼の姿はなかった。
(何処へ行ったのかしら?)
ナイジェルは、屋敷から少し離れた森の中にある小屋に居た。
そこには、産まれたばかりの狼の子供達が居た。
母親の狼は、数匹の子供達を遺して漁師に撃たれ、亡くなった。
ナイジェルは乳離れしたばかりの子供達の世話をしていた。
そこへ、ナイジェルの異母弟がやって来た。
「こいつらがお前の新しい家族か、ナイジェル?」
ナイジェルの異母弟・ジークは、そう言うと彼をまるで脅すかのように、手に持っていた松明を掲げた。
だがナイジェルは、このあばた面の異母弟が臆病者だという事を知っている。
だからナイジェルは、少し彼を脅す事にした。
「あぁ、お前を殺す日までに、こいつらと仲良くしようと思ってな。」
「う、嘘だ!」
「じゃぁ、今から確めてみるか?」
ナイジェルがそう言って一匹の狼をジークに向かってけしかけると、狼は彼に牙を剥いて威嚇した。
「ふん、こいつはまだガキの狼だ、僕を襲える訳がない!」
「どうした、ガキの狼相手に怯えているのか?」
「うるさい!」
苛立ったジークは、持っていた松明をナイジェルの顔に近づけた。
「お前の生意気な顔を焼いてやる!」
「その前にあなたの首が飛ぶわよ。」
炎のような髪をなびかせ、海斗はそう言うとジークの首筋に短剣を押し当てた。
「貴様、僕を誰だと・・」
「あなたが誰なのか、よく存じ上げているわ。親の威を借りた臆病者、グラハム家の恥さらし。」
「黙れ、赤毛の魔女め!」
海斗の言葉に、激昂したナイジェルは彼女を殴ろうとしたが、その前に海斗から強烈な膝蹴りを股間に喰らい、悲鳴を上げて地面に転がった。
「畜生!」
「今度わたしを侮辱したら、お前の食べ物に強烈な下剤を仕込んでやる!」
ジークが森から去った後、海斗はナイジェルの方へと向き直った。
「怪我は無い?」
「ああ。それよりも、君は強いな。」
「わたし、刺繍も剣術も好きなの。」
「そうか。」
海斗のような貴族の令嬢が剣術や馬術を習う事は珍しい。
戦場に出るのは男の仕事で、その帰りを待つのが彼らの妻や娘の仕事だからだ。
「この子達、可愛いわね。本当に狼なの?」
「まだ小さいが、立派な牙が生えているぞ。」
「まぁ!」
ナイジェルは、海斗と過ごしている時と、狼達と戯れている時だけが、心が安らいだ。
このままずっと、心安らかな時が続いたらいいのに―ナイジェルがそんな事を思い始めた時、悲劇が起きた。
海斗の養父・ジョゼフが狩猟中の事故で亡くなり、孤児となった彼女は修道院へ送られる事になった。
「ナイジェル、起きている?」
海斗が修道院へ送られる日の前夜、彼女はナイジェルの元へとやって来た。
「カイト、その髪は・・」
海斗の腰下まであった長い髪は、首の後ろに届くか届かないかの長さになっていた。
「ナイジェル、あなたこれから、親方とロンドンへ行くのでしょう?」
「あぁ。」
「わたしも連れて行って!わたし、修道院なんかには行きたくないの!」
「カイト・・」
「お願い、わたしを助けて!」
「わかった。親方には事情を話しておく。」
「ありがとう!」
こうして海斗は、ナイジェルと共に道化師見習いとして一路ロンドンへ旅立つ事になった。
「あの娘が逃げただと!?」
「はい、わたしが目を離した隙に・・申し訳ございません!」
「あの娘を見つけ出して、殺せ!」
「は?お嬢様と一緒に旅をするだと?ふざけるのもいい加減にしやがれ!」
ナイジェルの親方・フランクはナイジェルにそう怒鳴ると、彼に向かって鞭を振り上げようとした。
しかし、彼の前に海斗が現れると、フランクは鞭を下ろした。
「お嬢様、その髪は・・」
「わたしは殺されたくないのです。」
「わかりました。」
フランクは深い溜息を吐くと、海斗を道化師見習いとして連れて行く事にした。
「お嬢様、これからはあなた様を特別扱いしませんよ。かといって、優しくもしません。」
「わかっています。」
「道化師見習いとなるからには、何か芸を披露して頂かないと・・」
「わかりました、では・・」
海斗は深呼吸した後、幼い頃乳母がよく歌っていた子守唄を歌った。
その歌声は、美しく澄んだものだった。
「これでいかが?」
「いいでしょう。お嬢様、これからよろしくお願い致しますよ。」
「こちらこそ。親方、これからは俺の事をカイトと呼んでくだせぇ。」
海斗はそう言うと、笑った。
「ナイジェル、決して間違いを犯すんじゃねぇぞ、わかったな?」
「間違いって?」
「わざわざ俺が言わなくてもわかるだろう、鈍い奴だな!」
フランクはナイジェルの背を強く叩いた。
「安心して下さい、親方。」
「そうか。」
フランク達がロンドンへ向かっている頃、海斗の命を狙っている一人の貴婦人が、グラハム卿の元を訪れていた。
「ラウル様、お忙しいのにわざわざ来て下さり、ありがとうございます。」
「いいえ、こちらこそ色々とご子息の事で立て込んでいるのではなくて?」
「あいつの事は、諦めております。」
「まぁ、そうなの。」
貴婦人―ラウルは、淡褐色の瞳でグラハム卿を見た。
「確か下の息子さんは、ジークとおっしゃったかしら?今はどちらへいらっしゃるの?」
「ジークは風邪をひいてしまってね、中々治らないのですよ。」
「丁度良いわ、昨日風邪に効くハーブを摘んだのですよ。後で差し上げますわ。」
「そのお気持ちだけで充分です。」
「あら、残念。」
ラウルは口元を扇子で覆った後、客間から出て行った。
(魔女め!)
「奥様、お茶が入りました。」
「そう。」
「あのう・・」
「あの男、どうせわたしの事を魔女だの何だのと言っているのでしょう。放っておきなさい。」
「は、はい・・」
(何度でも言うがいい。最後に勝つのはこのわたし!)
「ラウル様、グラハム卿がお帰りになられました。」
「そう・・さてと、身支度を手伝って。王宮へ行かなければね。」
「王宮へ、ございますか?」
「ええ。」
ラウルは櫛で髪を梳き始めながら、グラハム卿と初めて会った日の事を思い出していた。
それは、王宮で開かれた宴の事だった。
皆酒を飲み、浮かれていた。
ラウルも、その一人であった。
「いや、離して!」
「へへ、お前もその気なんだろう?」
泥酔した男に迫られ、ラウルは必死に抵抗した。
気が付けば、彼女は血に塗れた短剣を握っていた。
そこへ、グラハム卿がやって来た。
彼はラウルと横たわっていた男を見ると、男の遺体を処理した。
「この事は、我ら二人の秘密に致しましょう。」
「はい。」
(まさか、こんなにグラハム卿との関係が続くとは思ってみなかったわね。)
エリザベス女王の廷臣である彼を利用しなくては、トレド家のような没落貴族は女王に見向きもされない。
生きる為には、嫌な相手に媚を売らなければならないのだ。
「奥様、本日の宝石はいかが致しましょう?」
「そうね。このエメラルドのネックレスがいいわ。」
「かしこまりました。」
侍女から手渡されたエメラルドのネックレスは、かつて結婚の約束をしていた相手からの贈り物だった。
「まぁラウル、そんなに着飾って何処へ行くのかしら?」
ラウルが廊下を歩いていると、そこへ兄嫁・イザベラがやって来た。
「王宮ですわ。」
「婿捜しをするにしては、地味なドレスね?」
「ただ派手に着飾ればいいのではありませんわ、お義姉様。」
ラウルは、これ以上イザベラと話したくなくて、そのまま彼女の横を通り過ぎた。
「相変わらず、気味が悪い子ね!」
(うるさい女よりは良いわ。)
王宮へと向かう馬車に揺られながら、ラウルは亡き恋人の顔を思い出していた。
もし彼が生きていたら、今頃自分はどうなっていただろうか―そんな事をラウルが思っていると、突然馬車が揺れて停まった。
「どうしたの?」
「申し訳ありません、馬車の前に突然人が飛び出してしまって・・」
ラウルが馬車の窓から顔を出すと、道に長身の男が倒れているのを見た。
「早くその男を退かしなさい。」
「はい・・」
御者のパトリックは馬車の進路を妨げている男を退かそうとしたが、その身体はビクともしなかった。
「どうしたの?」
「男が・・」
ラウルは舌打ちすると、馬車から降りた。
男の方を見ると、彼は時折唸っているが一向に起きようとはしない。
そっと爪先で男の腰辺りを蹴ると、漸く男は静かに目を開けた。
「やっと起きたのね。さっさとここから立ち去って頂戴。」
「わかった・・」
男はそう言って立ち上がり、ふらふらとした足取りで雑踏の中へと消えていった。
「王宮へ急いで。」
「はい。」
ラウルを乗せた馬車が静かに動き出した頃、海斗達は近くの町で芸を披露していた。
ナイジェルが奏でるリュートの音色に合わせて歌い踊る海斗と狼の芸は人気を博し、行く先々で彼らは温かい毛布と食事にありつけた。
「お前ぇのおかげだぜ、カイト!こんなに儲かったのは、はじめてだ!」
フランクはそう言うと、美味そうにエールを飲んだ。
「親方、おいらちょっと買い物に行って来ます。」
「気を付けて行けよ、最近物騒だからな!」
「はい!」
海斗は宿屋から出て、買い物をする為町を歩いていた。
すると、背後からじぶんをつけてくる気配がしたので、海斗は人気のない場所へ移動すると、木陰に身を隠し尾行者の喉元に短剣を突きつけた。
「ひぃ!」
「あなた、さっきから俺の後をつけていましたよね?」
「誰が言ったの?」
「それは・・」
尾行者が次の言葉を継ごうとした時、空気が唸る音が聞こえ、彼の胸に矢が深く突き刺さっていた。
(この矢は、一体何処から・・)
姿勢を低くしたまま、海斗が周囲を見渡すと、銀色の髪をなびかせた男が自分の方へとやって来ている事に気づいた。
海斗は静かに、その場から立ち去り、宿屋へと戻っていった。
「カイト、どうした?顔色が悪いぞ?」
「ナイジェル、実は・・」
海斗はナイジェルに、何者かに命を狙われている事を話した。
「そうか。親方に話して、すぐにこの町から離れるように頼んでみる。」
「ありがとう、ナイジェル。」
買い物をした後、ナイジェルはフランクの部屋へと向かった。
「親方、居ますか?」
「どうした、そんな深刻そうな顔をして?」
「実は・・」
ナイジェルは、フランクに海斗の命が何者かに狙われている事を話した。
「今から移動したら、次の町に着く前に暗くなっちまう。明日の朝、ここを出るぞ。」
「はい。」
「カイト、風呂の用意が出来たぞ。」
「ありがとう。」
海斗が台所へと向かうと、そこには風呂桶が暖炉の近くに置かれていた。
三日ぶりの風呂を満喫した後、海斗は台所の窓から外を見ると、闇の中で揺らめく白銀の髪のようなものが見えた。
(気の所為かな?)
その日の夜、海斗が部屋で眠っていると、突然狼のガブリエルが激しく吠え始めた。
「どうしたの、ガブリエル?」
眠い目を擦りながら、海斗が窓の方を見ると、外にはあの男の姿があった。
「ひっ!」
「カイト、どうした?」
「ナイジェル、今外に・・」
海斗がそう言って部屋から出ようとした時、男が窓を突き破って部屋に入って来た。
「動くな。少しでもおかしな真似をしたら殺す。」
銀髪の男は、海斗の首にナイフを押し当てながらそう言うと、真紅の瞳で彼女を睨んだ。
「俺を、どうするつもり?」
「一緒にわたしと来て貰おう。話はそれからだ。」
「わかった。」
海斗は男と共に、ある場所へと向かった。
そこは、あのストーン・ヘンジを思わせるかのような古代の神殿のような所だった。
「ここは?」
「我々の聖地だ。かつて、ここは我々の一族が治めていた。しかし、ここは“敵”に滅ぼされた。」
「“敵”?」
「人間だ。お前は、わたしの花嫁。」
「何を、言っているの?」
「自分でも身に覚えがあるのだろう?どんな大怪我でも一時間経てば治る。よく、謎の渇きに襲われる・・」
「そんなの、良くある事でしょ?」
「お前は、人間ではない。」
「そんな・・」
「いつまで、人間と共に居るつもりだ?彼らはお前より早く死ぬ。」
「俺に、どうしろっていうの?」
「わたしと共に生きてくれ。」
「カイトから離れろ!」
「ナイジェル・・」
「人間風情が、わたしの邪魔をするな。」
男はそう言うと、ナイジェルを突き飛ばした。
男に突き飛ばされたナイジェルは、石柱に頭をぶつけて気絶した。
「俺に近づくな!」
「これでわたしを刺すつもりか?」
海斗は男を短剣で刺そうとしたが、その刃は海斗の胸に深々と突き刺さった。
「カイト、しっかりしろ!」
「無駄だ。」
「貴様ぁ!」
激情にかられたナイジェルが男を睨みつけると、彼はナイジェルに短剣を投げて寄越した。
「この者は、少し眠っているだけだ。じきに目を覚ます。」
「お前、何者だ?」
「闇の眷族・・古の時代、“神”と呼ばれた者だ。」
男は海斗の髪に優しく触れた後、そのまま闇の中へと消えていった。
「カイト、大丈夫か!?」
「ナイジェル・・」
ナイジェルが海斗の胸の傷を見ると、傷口は完全に塞がっていた。
「ナイジェル・・」
「早く戻ろう、親方が心配している。」
「うん・・」
(知られてしまった・・ナイジェルに、俺の秘密を。)
「どうした、カイト?」
「何でもありません、親方。」
ロンドンに着いた海斗は、ナイジェルが急に自分に対して時折避けている事に気づいた。
「ナイジェルはどうした?」
「さぁ・・」
「パンを買いに行くと言って、全然戻って来ねぇんだ。少し様子を見て来てくれねぇか?」
「はい。」
海斗がパン屋へと向かうと、そこにナイジェルの姿はなかった。
(ナイジェル、一体何処へ・・)
雑踏の中で必死に海斗がナイジェルを捜していると、ガブリエルが海斗の元に駆けて来た。
「ガブリエル、これはナイジェルの・・」
海斗は、ガブリエルが咥えているナイジェルのハンカチを見て、嫌な予感がした。
「ガブリエル、俺をナイジェルの所へ連れて行って!」
ガブリエルに導かれる様にして、海斗はナイジェルの元へと向かった。
そこは、ある貴族の地下牢だった。
(ナイジェル、何処に居るの?)
ナイジェルは、地下牢の一番奥に居た。
「ナイジェル、ナイジェル!」
「カイト、か?」
そう言って海斗を見つめたナイジェルの身体は、傷だらけだった。
特に酷かったのは、右目の傷だった。
「一体、ここで何があったの?」
「逃げろ、カイト!」
海斗は何者かに後頭部を殴られ、気絶した。
「この子が、お前の恋人かい?」
ラウルはそう言うと、ナイジェルを見た。
「あんたは、一体何が目的なんだ?」
「グラハム卿に、私生児が居るなんて知らなかったわ。」
ラウルは、ナイジェルの血だらけの右目に包帯を巻いた。
「俺には、父親など居ない!」
「自分があの役立たずな息子よりも身分が低いのは、我慢ならないだろうね。」
「何が言いたい?」
「お前は、一生日蔭の身で居るつもり?お前のような聡明な子は、父親よりも高い地位の人間になる事だって出来る。わたしに仕えれば、の話だけれど。」
ナイジェルは悪魔に魂を奪われぬよう、彼女と目を合わせないようにした。
「強情な子だね。まぁいい、わたしにも考えがある。」
「待て!」
地下牢から出たラウルは、女中に“ある物”を持って来るよう命じた。
「ん・・」
「気が付いた?あなたは屋敷の前で倒れていたのよ。」
海斗は、目が覚めると天蓋で覆われた寝台の中に居た。
「あなたは・・」
「わたしは、ラウル=デ=トレド。さぁ、このワインをお飲みなさい。元気になるわ。」
「はい・・」
海斗はラウルに言われるがままに、“ワイン”を飲んだ。
「さぁ、ゆっくりと休みなさい。」
“ワイン”を飲んだ後、海斗はゆっくりと眠りの底へと落ちていった。
「ラウル様・・」
「どうしたの?」
「久しいな、ラウル。」
「あら、こちらにあなたがいらっしゃるなんて、珍しい事。」
ラウルは、銀髪の男―ルシフェルを見てそう言った後、笑った。
「わたしの花嫁を、どうするつもりだ?」
「まだあなたの花嫁と決まった訳ではないでしょう?」
「地下牢の人間を、どうするもりだ?」
「それは秘密。」
ルシフェルは、ラウルの胸元に輝くエメラルドのネックレスを見た。
「まだ、あの男に未練があるのか?」
「まぁね。」
「あの人間を、殺すのか?」
「いいえ。殺すのは間違いないけれど、あんなに綺麗な子を、放っておく訳ないわ。」
「そうか。」
ルシフェルは、そう言うと笑った。
「ナイジェル、元気なんですか?」
「ええ。」
ラウルに案内されたのは、トレド家のワインセラーだった。
ナイジェルは、樽に縛り付けられていた。
そして、彼の手首から真紅の血が流れ、それはグラスに注がれていた。
「そんな・・」
「この子は、もう死んでいるわ。」
ナイジェルの遺体に抱き着いて泣き喚く海斗の頬を、ラウルは優しく撫でた。
「彼を救う為には、あなたの血が必要よ。」
ラウルは、海斗に短剣を手渡した。
「やり方は、わかっているわね?」
海斗は短剣で己の手首を傷つけると、その血をナイジェルに飲ませた。
こうして、ナイジェルは吸血鬼となった。
「カイト、どうした?」
「少し、昔の事を思い出していただけ。」
「そうか。」
オペラ座の地下でのレッスンを終えた海斗の様子が少しおかしい事に気づいたナイジェルは、彼女をカフェへと連れ出した。
「俺の所為で、あなたが・・」
「あの時、お前に助けて貰わなければ、俺は死んでいた。」
「でも・・」
ナイジェルは、そっと海斗の手を握った。
「あの時の事を今悔やんでも仕方ない。過去を見つめるよりも、未来を見つめる方が大事だ。」
「うん・・」
二人がカフェを出てオペラ座へと戻ると、バレリーナのエリスが何やら慌てた様子で彼らの元へとやって来た。
「カイト、大変なの!アンジェリカの声が出なくなっちゃった!」
「そんな・・今日は、皇太子様がいらっしゃるのに。」
「カイト、あなたが、アンジェリカの代役をして!」
「え!?」
「もう時間が無いわ!」
エリスに支度部屋へと連れて行かれた海斗は、楽譜を渡された。
「ナイジェル、俺に出来るかな?」
「大丈夫だ、自分を信じろ。」
ナイジェルに励まされ、海斗は生まれて初めてオペラ座の舞台で歌った。
「カイト、素晴らしかったわ!」
「そうかな?」
「そうよ。」
「オペラ座の新たなプリマドンナの誕生ね!」
美しい歌声を持った赤毛の歌姫を、ウィーンのマスコミは称賛した。
「“ウィーンの新星誕生”・・」
「奥様、どうかなさったのですか?」
「いいえ、何でもないわ。」
下着姿の貴婦人は、そう言うと新聞を閉じた。
「今日のドレスは、この紫のドレスがいいわね。」
「かしこまりました。」
「宝石は、エメラルドのネックレスがいいわ。」
ホーフブルク宮で開かれた皇帝主催の舞踏会には、社交界デビューを迎えた貴族の令嬢達の姿があった。
「ねぇ、今夜は皇太子様にお会いできるかしら?」
「一度だけでもいいから、お会いしたいわ!」
令嬢達がそんな話をしていると、一組の男女が大広間に入って来た。
美しい赤毛をシニョンに纏め、緑のドレスを着た海斗は、隣に立っているナイジェルを見た。
「ナイジェル、俺おかしくない?」
「大丈夫だ。」
「そう、良かった。」
海斗の胸元には、ナイジェルから贈られたトパーズのネックレスが輝いていた。
「ネックレス、ありがとう。大切にする。」
「あらぁ、久し振りね。まさか、こんな所で会えるなんて。」
背後から美しい声が聞こえ、海斗とナイジェルが振り向くと、そこには華やかなドレスで着飾った宿敵の姿があった。
「どうして、あなたが・・」
「招待されたのよ。あなたの歌声、聞きたかったわ。」
ラウルはそう言うと、そのまま去っていった。
「大丈夫か?」
「ええ・・」
帰りの馬車の中で、ラウルは口端を歪めて笑った。
「お帰りなさいませ、奥様。」
「お帰りなさいませ。」
「暫く部屋で一人にして。」
「はい・・」
ラウルは自室に入ると、結っていた髪を解き、櫛で梳き始めた。
(これから面白くなって来た・・)
「ラウル、こんな所に居たのか?」
「あらあなた、お早いお帰りね。ブタペストで羽を伸ばしていらしたのではなくて?」
「君に会いたくてね。」
「まぁ、嬉しい。」
ラウルは愛想笑いを夫に浮かべながら、彼に抱き着いた。
「週末、フロイデナウ競馬場へ行かないか?」
「わかったわ。」
週末、ウィーン郊外のフロイデナウ競馬場で、ラウルは海斗とナイジェルを見かけた。
「ラウル、どうしたんだい?」
「いいえ、古い“知り合い”を見かけたのよ。」
「そうか。」
(わたしを、お前達は殺せない。お前達の断末魔の悲鳴を聞くのが、今から楽しみだわ。)
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