すっかり秋らしくなって、
素晴らしい秋晴れの空が広がっている。
さわやかで、ほんとうに気持ちいい
少し前、友達と話していて、気がついたことがある。
とりとめのないことを、楽しく話していたのだが、
ふと、え、ちょっと待って、今の発言、ほんとにあなたの発言?って思ったことがあった。
そういったことって、実はよくあることなのではないだろうか?
その時は、気楽な親しい友達だったので、こんな風に言ってみた。
「ねえ、今の、オバサンみたいな発言だったよ。誰が喋ってたのよ?」って。
(オバサンみたいな発言っていうのは、あまりいい表現ではないのですが・・
別にオバサンに限らず、若い子だって男の人だって、こんな会話はたくさんあります。
・・オバサンっていうと分かりやすいのは、なぜだろう??)
友達は、すぐに何か気がついて、こんな風に言いました。
「あ、そう、今自分もそう思った。なんか誰かそこら辺の人が乗り移っちゃったみたい。
変だねー、自分が喋ったんじゃないよー」って。
そんなことを話して笑っちゃったのですが、
これってよくあることじゃないでしょうか?
なんとなく、よく言われていることとか、よく聞く言い回しなんかを
会話に取り入れて、あたかも自分が話しているように、話すこと・・
大人じゃなくて、子供にだってあります。
カフェなんかで、隣り合った人たちの会話をつい聞いてしまうと、
あるある、というか、会話のほとんどがこれで成り立っていたりします。
○○さんがこう言ってた、今日テレビで云々、ウチの旦那が、子供がetc
会社の○○さんが、クラスの○○が、、あの先生が・・
または、いわゆる社会通念みたいなこととか・・etc
これはこれで、楽しいのですが、これらは、みんな自分の「外側の事」なので、
こればっかりで会話が成り立っていたりとか、
またはこれらの「考え」をつい自分のものとして喋ってしまうと、
「内側の自分」を見失ってしまい、小さくなっていってしまう。。
今、喋っているのは、誰??
それは、自分のもの??
時々、そんな風に意識してみると、
ちょっと、おもしろい。
素晴らしい秋晴れの空が広がっている。
さわやかで、ほんとうに気持ちいい
少し前、友達と話していて、気がついたことがある。
とりとめのないことを、楽しく話していたのだが、
ふと、え、ちょっと待って、今の発言、ほんとにあなたの発言?って思ったことがあった。
そういったことって、実はよくあることなのではないだろうか?
その時は、気楽な親しい友達だったので、こんな風に言ってみた。
「ねえ、今の、オバサンみたいな発言だったよ。誰が喋ってたのよ?」って。
(オバサンみたいな発言っていうのは、あまりいい表現ではないのですが・・
別にオバサンに限らず、若い子だって男の人だって、こんな会話はたくさんあります。
・・オバサンっていうと分かりやすいのは、なぜだろう??)
友達は、すぐに何か気がついて、こんな風に言いました。
「あ、そう、今自分もそう思った。なんか誰かそこら辺の人が乗り移っちゃったみたい。
変だねー、自分が喋ったんじゃないよー」って。
そんなことを話して笑っちゃったのですが、
これってよくあることじゃないでしょうか?
なんとなく、よく言われていることとか、よく聞く言い回しなんかを
会話に取り入れて、あたかも自分が話しているように、話すこと・・
大人じゃなくて、子供にだってあります。
カフェなんかで、隣り合った人たちの会話をつい聞いてしまうと、
あるある、というか、会話のほとんどがこれで成り立っていたりします。
○○さんがこう言ってた、今日テレビで云々、ウチの旦那が、子供がetc
会社の○○さんが、クラスの○○が、、あの先生が・・
または、いわゆる社会通念みたいなこととか・・etc
これはこれで、楽しいのですが、これらは、みんな自分の「外側の事」なので、
こればっかりで会話が成り立っていたりとか、
またはこれらの「考え」をつい自分のものとして喋ってしまうと、
「内側の自分」を見失ってしまい、小さくなっていってしまう。。
今、喋っているのは、誰??
それは、自分のもの??
時々、そんな風に意識してみると、
ちょっと、おもしろい。