horitaakioのgooブログ

88歳の老人ですけれど、天寿の続く限り頑張って見たいと思います

すもんとり

2002-07-19 16:08:00 | 日記
  今でも大阪で力士のことをこう言ってるかどうか、ひょっとしたら子供言葉だったのかもと自信が無くなってしまってるが、あの頃は大の相撲好きだった。まだ真空管式ラジオも普及してなかった時代、貧乏教師の我が家には無くて、隣の家のラジオ実況放送の声を壁に耳つけて聞いたりしていた。

それが或る日、隣家の子(たしかアキラ君といった。こちとらアキオちゃん)のお相伴で大相撲の興行を見に行く幸運に恵まれたのだ。当時(昭和十二、三年頃)大阪の何処でどんな風に催されていたのか全く記憶にないが、四本柱の屋形の土俵での取り組みを「マス席」で見たのは確かなことで、横綱玉錦は下り坂、天下無双の双葉山や巨漢男女川(みなのがわ)、かっこいい上手投げの清水川などを間近で見られたのだから、すっかり興奮してしまった。

中でも今なお目に焼き付いてるのが後に横綱になった照国の姿だった。肌の色が他の力士と全く違って真っ白な上にアンコ型でふっくら、まだ平幕だったと思うが土俵上でのしぐさに優雅さと風格すら感じさせるのだ。
昔は立ち合いに制限時間などなかった。仕切り直して塩に戻るの繰り返しの間に両者の気合が高まり双方立ち気充分になった瞬間から勝負が始まる。この間合いを観客はじっくり楽しんでもいたのである。

実はその時の照国の肌の色がここで書きたかったことなのだ。仕切りでグッと構える時にも顔に赤味がさすのだが、次第に気合がはいってくると顔だけではなく肩口から胸にかけて綺麗な桃色が白肌にさしてくる。やがて立ち合いの仕切りに入る頃は全身ほんとに見事なピンク色にそまつていた。

勿論生まれてはじめての相撲見物だったし、小学四、五年生での話なのだが、このような美しさに感動したのは、その後六十数年の人生経験の中でも最初にして最後、まさに空前絶後の思い出なのである。

 勝負は声援空しく照国土俵際で真っ赤になって堪えたが及ばず敗れたのだが、勝った相手のことは全く忘却の渕、はなはだ以って申し訳けない。