ユーラシアの風~2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

悔しい、歯がゆい、カシュガル強制沈没

2010年09月13日 | 中国(4)烏市→喀什
キルギス行きの前に、タシュクルガンという町へ病み上がりのトレーニングに行った。キルギスは標高が高いので、高地での走行に慣れておきたかった。

行きは車に自転車を乗せて行く。日本人サイクリスト二人で、ウイグル人ドライバーに連れられて山道を300km。着いて初日は雨。2日目を迎える朝、再び高熱に襲われた。
たまたま出会ったもう一人の日本人旅行者に自転車を託し(シンジさん、無茶苦茶な状況でしたがほんまにありがとうございます)、一人バスで山を降りて、すぐにカシュガル一の大病院へ向かった。病院で使う単語など知っているわけもなく、とにかくジェスチャーと漢字で詳細な検査を要求。X線と血液検査の結果は肺炎。5日間の点滴を命じられる。13日の再出発は絶望。再び療養生活が始まった。

この間、ラマダンが明けた。年に2回の集団礼拝も、広場でのダンス大会も見逃した。その晩に現れた旅行者にパソコンを貸したら、強烈なウイルスに感染してそのまま使用不能に。持ち主も持ち物もボロボロ。災難もある程度なら笑いとばせるのだが、いい加減疲れてきた。





かれこれ一ヶ月近くこの町で、たくさんの旅人に出会い、一緒にご飯を食べたり、観光にいったりもした。でも、自分だけが一向に出発できないこのもどかしさは苦しい。走るのによい季節も、旅行資金もどんどん減っていく中で、家族からも帰って来いコールが飛ぶ。それを頑なに拒む自分のその意図も、実際はよく分らなくなってきていた。

2度とない大切なチャンス。大陸横断自転車旅。ここで帰ればその旅費は致命的。耐えるしかない。でも、本当にそれが正しい答えなのか?自分でもよく分らない。乾いた咳とぼんやりした頭にやられながら、今日も旅立つ人を見送る。そして一人病院に通う。







思えば体を壊した回数も多かった。続々とやってくる自転車乗りに比べると、体力、自転車のグレード、装備、語学力、経験…あらゆるものが劣って見えた。時期尚早だったか?背伸びしすぎたか?でも、自分には今しかなかった。どうしても、来年じゃなく、十年後でもなく、今だった。大切な人や、家族、自分の職歴…うん、やっぱり、今だった。

無理をするなといわれても、明らかに無理をしている。無理をしなけりゃ進めない、そんなの世の常だと思っていた。父に言われた「意地ばっか張って、それで取り返しのつかないことになったら、それこそ笑いもん」という言葉は響いた。でも、意地がなければ、ここまでこれなかった。

そしてなお、どうしてもここで終わりたくない。前に進めると信じたい。何のためにとか、誰のためにとか、今となってはそんなことどうでもいい。悶々としながら、ただ流れていく日々。歯がゆくて悔しくて、叫びたくなる。この単調なカシュガルでの毎日が、いつか何かの役に立つのか?動けない苛立ちをナンとともに噛み潰す。焦っていても仕方ない。でも、心穏やかでいられない。
まだ、走りたい。