ユーラシアの風~2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

2010年・自転車による単独ユーラシア大陸横断記

民族意識と運命と

2010年09月23日 | 中国(4)烏市→喀什


宿屋のユスフ、ムサジャ。
近所に住む大学生のアイパリ。
カバブ屋の店主。屋台のおっさん。
エイティガール寺院の前で出会った教師。





―概して陽気な彼らウイグル人は、仲良くなるとそっと語りかけてくる。

私たちには自由がない。
ウイグル人は、いつまで経っても豊かにはなれない。


―彼らの背負うものを垣間見る。

漢語なんて使いたくないんだ。
英語を話せるか?英語で話そう。

本当は、今こうやって君と話しているのもよくないんだ。
私たちは警察に連れて行かれてしまうんだ。

この子は私の一人娘だよ。
英語を教えているんだ。
少し相手をしてやってくれ。


奴らは私たちに漢字の名前をつけて、
私たちの町の名前を変えて、
私たちに漢語を覚えさせた。

私たちの土地ですき放題している。
私たちからあらゆるものを奪っている。



○市政府前の毛沢東像。
 4、5年前は老城だった場所らしい。


○これがまたでかいのだ。どうしてこんな人の神経を逆撫で
 するような真似ができるんだろう、この国家は。


―漢族の旅行者はこう言う。

漢族の生活レベルは高い。
私たちがこの地に入ってきたことで、インフラは整い、
少数民族の生活水準は向上した。

彼らには上昇の機会だって開かれている。
漢語は必須さ。その国の言葉やルールを学ぶことは当然じゃないか。

彼らはひがんでばかりいる。努力もせずに、不平、不満、悪口ばかりだ。
しっかり働かず、よく分らない行動ばかりして。信用できないんだ。
それなら、無理して少数民族を雇うより、漢族を雇いたくなるよ。
分かるだろう?

新疆に資源は多い。でも、彼らだけでそれを活かすことができると思う?


―もし自分がこの町に生まれていたら、何を思うだろう。

この町に、ウイグル人として生まれていたら?
漢族として生まれたら?

そんなことを思う度に、自らにある日本人としてのアイデンティティを探し始める。
アイデンティティなど意識せずとも生活していける、日本という国の特殊性を思う。


日本人の旅行者と、中国や日本の行く末なんかを話した。
「日本大和族自治区」なんてことになったらどうしようか、なんてことを笑って話した。
尖閣諸島の件を知って、いつまでも笑ってられないかもね、なんてことも真顔で話した。

日本が日本であることは、決して当たり前などではなく、
過去から続く各方面の絶え間ない努力と幾多の偶然によってのこと。

いわゆるただの不良社会人に甘んじている今の自分が、そんな大局に影響を及ぼすことなどできはしない。
だからこそ、何がどうなっても、沙漠のウイグル人のように生きたいと思った。
陳腐なナショナリズムを掲げるという意味ではない。
爆弾を積んで突撃する勇気でもない。
昨日隣町でテロが起こっても、漢族の客だろうが、日本人の客だろうが、ボることも出し惜しむこともせず、いつもどおりの最高にうまいラグメンを出し、うまいか?と聞いて回り、家族に囲まれて陽気に笑っている。





「そのとき」「そこに」生まれてしまった運命は受け入れるしかない。
人間は、その境遇を嘆きつつも、生き延びるしかない。
どうせ生き延びるなら、笑っていたほうがいい。


ま、漢族も逞しく、いや、かしましく?生きてるけどね…
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