フンを見る鹿
今ごろ?と言われてしまうかも知れませんが、このあいだクウェンティン・タランティーノの『イングロリアス・バスターズ』という映画を観ました。
キャスティングが素晴らしいですね。役柄と役者のマッチの仕方が、異常。キャスティングが抜群にうまい監督というとすぐにクリント・イーストウッドを思い出すのですが、この映画に関して言えば、タランティーノもクリント・イーストウッド並みにうまい。
そういう配役のバシッッ!とキマった登場人物をまた惜しげもなくじゃんじゃん殺してしまうので、見ていてなんだかもったいない気持ちになったりして。
そういう配役のバシッッ!とキマった登場人物をまた惜しげもなくじゃんじゃん殺してしまうので、見ていてなんだかもったいない気持ちになったりして。
残酷なシーンも多いので誰にでもおすすめすることは出来ませんが、相当面白い映画です。大ヒットした作品だし、私などが今さら言うまでもないのですが。
この映画の中に、大きな武勲をたてて国民的ヒーローのような存在になっているナチスの青年兵士が出てきます。この兵士が映画館を経営するフランス人の娘を気に入っていて、なんとかものにしようとしてあれこれ画策するのですが、ある決定的な事実を知らないが故に、いわゆる「見てるこっちが恥ずかしくなるバカ」の状態になってしまっているのです。
こういう、当の本人はまるで無自覚だけれども、事情に通じた人間が見るとこっぱずかしい以外の何物でもない言動というのは、誰でもしてしまう可能性がありますよね?
こんなね、こんな、自分が知らないうちにかいてしまった恥は、出来たら一生自覚しないまま墓に入りたいものですよね?
でも、もし何かのはずみで、ある過去の一点における自分の言動が実はかなり恥ずかしいものであったということに不幸にして気づいてしまったとしたら、その時その人は(私は)、いったいどうすればいいんですか?
最善の策は、さっさと忘れてしまうことですよね。だけど私は、何かを忘れるときにはまず大事なことから忘れるたちなんです。そして憶えていてもなんの得にもならないことや、むしろ忘れたほうが良いようなことに限って、それはそれはしつこく憶えている。恥辱系の体験はとりわけ鮮明に記憶に残りがちで、大昔にかいた恥でもかきたてホヤホヤのフレッシュさで追体験できるほどです。
だから今それをやってて、それですごくしんどいの。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます