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いろいろレビュー(旧サイト)

本と映画とときどき日記

里山資本主義 ―日本経済は「安心の原理」で動く

2014年03月11日 | 一般書

『デフレの正体』の藻谷浩介さんとNHK広島取材によって書かれた本。

<「里山資本主義」とは、お金の循環がすべてを決するという前提で構築された「マネー資本主義」の経済システムの横に、こっそりと、お金に依存しないサブシステムを再構築しておこうという考え方だ。お金が乏しくなっても水と食料と燃料が手に入り続ける仕組み、いわば安心安全のネットワークを、予め用意しておこうという実践だ>(p. 121)

ということで、現代にはびこるマネー資本主義へのアンチテーゼとして、発想の転換を提案する内容の本書。実例としては、岡山県真庭市での木材利用によるエネルギー創出や、広島県庄原市での地域福祉事業など、地方での取り組みが挙げられている。

こういうのを見ると、「田舎で自給自足と相互扶助を」みたいな発想になりがちなんだけど、里山資本主義では、「お金で買えない資産に、最新のテクノロジーを加えて活用することで、マネーだけが頼りの暮らしよりも、はるかに安心で安全で底堅い未来が出現する」という方針がキモで、あくまでサブシステムの構築を前提とし、マネー資本主義を全否定するわけではないらしい。

でもこうした発想にはたしかにハッとさせられるものがあって、ちょうど発生から3年が経つ東日本大震災が起きたときに体験しかけた、「経済活動がストップした途端に、水と食料と燃料が手に入らなくなる!」という恐怖感を思い出す。それに、大災害というほど切羽詰まった状況でなくても、世界経済の情勢によって日本が財政破綻に近い状態になってしまうという可能性も皆無とは言えない。

ここでふと思い出したのが、小さなウェブ開発会社で働いている知り合いと呑んでいたときのこと。ウェブ開発業ではもちろんお客さんと直接会って打ち合わせをしたりすることもあるんだけど、基本的にはパソコンひとつあれば発注から納品・請求まで、ある程度の仕事はできる。だからその気になれば、たとえば海外に居住して働くのもありだと(英語が不得意なのがネックだと言ってましたけど)。この先本当に日本が大丈夫なのか保証はできないし、どうかなっちゃったときのために「人生のバックアップを持っておいたほうがいい」というその人のことばは印象的だった。

でもそういえば、それってイケダハヤトさんが『旗を立てて生きる』で言っていた「明日、会社がなくなったらどうしますか?」という問いにもつながることで、ほんとにこのシンプルな問いに対する答えをちゃんと用意しておかないとまずいのかも。

あと個人的な感想として、こうした考え方に基本的には賛成なんだけれど、「都市生活者はどうすればいいんだろう?」という素朴な疑問も残る。

というのも、大都市圏においては身近に利用できる資源はなさそうだし、それこそ水と食料と燃料をお金以外でどうやって手に入れるのかということになると、ちょっと想像がつかない……。マネー資本主義どっぷりの都市生活に、どうやってお金に依存しないサブシステムを用意するかというのはけっこう難しい気がする。(なんか当分は自己責任でやっていくしかないような気がするけど)

最終総括で、藻谷さんは2060年の日本は人口がかなり減少し、GDPも低下するけれど、里山資本主義の実践によって暮らし向きはむしろ豊かになると言いっていた。ちょっと楽観視しすぎかもしれないけど、そうあってほしいし、そうありたいですね。

フード左翼とフード右翼

2014年02月22日 | 一般書

「これって何の本?」というタイトルですが、終章のことばから引用すると、

<本書は、現代に見合った政治意識のひとつの分野として「食」を取り上げ、現代の「食」における左派と右派に当たる立場を考えてみるという試みである>(p.196)

とのこと。

いろいろ細かいことを言い出すと当然無理矢理感があるのですが、「食」を軸に日本人を分断してしまうという視点とその具体例、そして速水節ともいうべき語り口は読んでいてとてもおもしろかったです。

実は本書のイベントとして行われた、著者の速水さんと担当編集者の方によるライブトークショー(紀伊國屋新宿南店の「ふらっとすぽっと」)にも行ってきちゃいました。(というか実はその場でこの本買ってサインもらったんですが……)

そこでもいろいろとおもしろい話題が出たのですが、特に印象に残っているのが、「自分はミリオタだけど、戦争そのもの(戦略)よりも、戦争が行われている裏側で何を食っていたか(兵站)のほうに興味がある」という速水さんの発言でした。

本書を見てみると、なるほど、2012年の「ウォール街占拠デモ(オキュパイ・ウォールストリート)」で、デモ参加者がどうやって食料補給をして、とんな食事をしていたかということに触れていました。

『ニューヨーク・ポスト』が報じたという、オーガニック料理っぽい「オキュパイ・ディナー」の中身。クレジットカード決済で世界中の支持者からデリバリーサービスでの差し入れを受けるという、ITを駆使した食料調達法。そして、それによって彼らがアッパーミドル層のリベラル大学生であり、労働階級者との分断があったという内実が浮かび上がってくる構図。

あと、政治的対立の表出として引き合いに出されていた話として、「『イージー・ライダー』が撃ち殺されるわけ」というのもおもしろかったです。

<もし彼らがあの変なフリンジのついた服でも、頭にヘルメットのかわりにテンガロンハットをかぶって、バイクの代わりに馬でぽこぽこ走っていたら、撃たれはしなかっただろう>(p.72)

というのは、内田樹さんからの孫引きになるのですが、あの映画の最後でイージー・ライダーの二人が撃ち殺された理由が、単純に「変な格好をしていたから」という解釈。要するに地域による政治意識の違いだと。『イージー・ライダー』は10年以上前にVHSで観たんですけど、ラストシーンの映像的な記憶はあれど、その理由についてはずっとわからずじまいになっていたので、なんだかやっと腑に落ちた感じです。

ちなみに、そんなふうに印象に残るエピソードがいくつもあったわけですが、速水さん自身は、

<僕は本書の執筆を通して不完全ではあるが「フード右翼」から「フード左翼」の側に転向したのだ>(p.202)

とあとがきで述べており、その単純かつフレキシブルな姿勢がオチになっているかのようでした。

かく言う私自身も、牛丼屋やB級グルメはわりと好きだし、コンビニ弁当を食べることにも躊躇はなく、どちらかというと「フード右翼」的な人間に分類されると思います。正直、過剰に「フード左翼」的な人たちとは「あまり友達になりたくないな」と思っていましたが、ややその拒否感が緩和されたのかもしれません。

本の逆襲

2014年02月11日 | 一般書
京都の恵文社一乗寺店に行ったときに買った本。

刺激的なタイトルだけど、そもそも「逆襲」とは何なのか? 第1章のことばを引用すると、以下のことを指すようです。

<本はもはや定義できないし、定義する必要がない。本はすべてのコンテンツとコミュニケーションを飲み込んで、領域を横断して拡張していく。>(p. 45)

簡単に言うと、本や、本を取り巻く環境をドラスティックに「拡張」しようという提案。
本というと、(特に日本においては)これまで紙媒体として発行され、書店や図書館などで手にすることが当然とされてきたわけですが、電子データのテキストや、音楽ファイルとして触れるものだって本だし、本と出会う場所にしても雑貨屋や飲食店、インターネット上でもいいじゃないかということです。極端な話、「カレーも本」だと……。

で、著者の内沼さん自身も、そうした「本を拡張する」具体的な試みやアイデアとして、「文庫本葉書」などの企画を考えたり、自分で新しい本屋を経営して毎日イベントを開催してたりするわけなんですが、全体としては、どちらかというとクリエイターサイドというよりは、本を取り巻くコミュニケーション空間、つまり今の状況で言えば書店側に立った話が多かったように思います。

もちろん、本書で言われてることって一側面でしかないし、出版社側からすれば、その「拡張」をやりたくてもできない現実的な事情が山積してるわけなんですが、それも含めて、本の在り方を直視するための刺激を得たような気はします。(ちなみに内沼晋太郎さんは自分と同い年なんですよねー)

ふしぎなキリスト教

2014年01月08日 | 一般書

このまえ読んだ『おどろきの中国』がおもしろかったので、遡って関連書の『ふしぎなキリスト教』を読んでみました。

「われわれの社会」→「近代社会」→西洋的な社会がグローバル・スタンダードになっている状況→キリスト教型の文明

ということで、いまのわれわれの社会を成り立たせている世界基準は、ほぼ西洋文明からなるキリスト教圏から来ているわけなんだけど、なぜそれはイスラムやヒンズーや仏教ではなく、キリスト教でなければならなかったのか?

単純だけどとても根の深いこの疑問について、一神教のベーシックな考え方から始まって、「イエス・キリストって何?」という根本的だけどよくわからないことを議論したりしながら、じわじわ迫っていきます。

構図としては大澤真幸さんが様々な疑問をぶつけて、橋爪大三郎さんがそれに応えるというものでしたが、このやりとりが何というかとても率直。言ってる内容はけっこう難しそうなんだけど、ざっくばらんに話してるせいか意外なほどスッと入ってきます。こういう内容だと対談っていうやり方がぴったりくるんですね。

特にあらゆる宗教がどのように違うのかということについては、やや強引な説明かもしれませんが、けっこうスッキリさせられました。同時に、これまでモヤっとしてた日本人の宗教観についてもちょっと納得。

でも一方で、説明されればされるほど、 キリスト教ってほんとにややこしい宗教だなーという思いも募ります。いろんなエピソードを聞いてると、「えー、それってどんなふうにも解釈できちゃいそうじゃん」という感じ。大澤さんが何度か言ってたように、一神教の在り方という点だけで見ると、イスラム教なんかのほうが感覚的にはよっぽど受け入れやすい気がします。

本を読む人のための書体入門

2014年01月07日 | 一般書

「書体入門」ということで、最初は編集者向けのハウツーものかと思って手にとったのですが、「本を読む人のための」とあるように、実際は読者を想定した本でした。

 文字は「記憶を読む装置」である。

 書体を「見分ける」とは、文字の中に記憶を見出す行為である。


というように、そもそも「文字とは?」「書体とは?」というところからじっくり考える内容で、やや大げさに言えば書体哲学の本といった感じです。

ただ、どこでどんなフォントが使われているかいろいろと事例があったり、本文中でもいろんなフォントを使ったりしていておもしろかったです。冒頭はいきなり『吾輩は猫である』を4つの書体で比較。ホラーでよく使われる「淡古印」や、横書きの芥川賞作として話題になった『abさんご』の説明なんかもけっこう「なるほどー」という感じで納得でした。

その書体を見て人がどう感じるかということには、ちゃんと理由や背景があるんですね。これまで何となく見過ごしていた書体に接する態度が変わりそうです。