*** hoppenの韓的な日々♪ ***
「屋根部屋の皇太子」インタビューの数々【1】
の続きです。
文字数が多すぎて、一つにまとまりませんでした。^^;;
続いては、10asiaのインタビュー。↓↓↓
ここのインタビューって、とてもいいんですよー。
抜粋が長くなってしまいそうです。
記者会見では、ユチョンの素の魅力が記者たちを魅き付けたみたいで。
インタビュアーの冒頭のコメントに、「だからユチョンって好きー」と同調しちゃいます。^^
韓国ドラマは撮影がハードなので、俳優には瞬発力が求められると言います。
ユチョンはその瞬発力が強いんだと思っていました。
でも、瞬発力だけではなくて、キャラクターへの理解がめっちゃ深い!
だからこそ、これまでの二つのドラマでの役柄も、今回のイ・ガクとヨン・テヨンも、
どれも、まったく違う人物に演じ分けて見せられたんですね。
ラストシーンの解釈には、ユチョンの思慮深さと優しさを感じます。
自分の思いが、演技を通して視聴者に伝わる楽しさ。
ユチョンは、演じることの喜びをこのドラマで知ってしまったようです。
そして、このドラマで、悲しい出来事も救われたというユチョン。
愛すべき作品に出会わせてくれたのは、やっぱりお父さんなのかな。
誠実なユチョンへのプレゼントのようなドラマだったのかもしれません。
年末の授賞式、今からとても楽しみです!
ユチョンもそうなんですね。^^
*** 10asia (Kstyle記事) 2012.06.07配信 ***
Vol.1 ― JYJ ユチョン「僕はイ・ガクでなければならなかった」
Vol.2 ― JYJ ユチョン「自由さを発揮するためには、経験が必要である」
疲れた様子がありありと見えた。
ドラマの撮影とJYJの海外ライブを同時にスタートさせ、
いきなり父親を亡くした悲しみが落ち着く前に20話まで撮影を続けてきたため、
当然のことだった。
子供のように指折り数えてスケジュールが終わる日付を教えてくれた
ユチョンの疲れた顔は、絶望的にも見えた。
しかし、嘘みたいに、作品の話を始めるとユチョンは生き生きと蘇ってきた。
部屋の中に集まった記者たちが一気に笑い出すような冗談を喋ったり、
「あ、面白いことがあったのでお話しします」と積極的にエピソードを打ち明けたりもした。
そして、それは確かにショーマンシップやリップサービスではなかった。
興味のあることに打ち込んでしまう、しょうがない性格。
ステージやドラマで天才的な才能、ものすごい必殺技を持たなくても
視線を引き付けられるその特有のエネルギーが、
インタビュー現場でもそのまま伝わったのだ。
作品に出演する間、「とても楽しかった」と楽しい顔で話すユチョンとの会話を紹介しよう。
単純だがとても明快で、彼の答えはむしろ正解のように感じられた。
―瞬発力を発揮するためには集中力が必要なものだが、
ドラマの前半にJYJのツアーもあって、
交通事故や個人的な事件が多かった。
ドラマだけに集中することが大変だったと思うが。
<ユチョン>
前作のMBC「ミス・リプリー」の時は、
どうしてもKBS「トキメキ☆成均館スキャンダル」へのプレッシャーが大きかった。
スタートすると同時に自分が作ったプレッシャーに苛まれながら、
自信を大きく失って撮影途中で諦めようともした。
でも、それを乗り越えて自分なりに決着を付けたら、
今回のドラマをやっているうちは気持ちがずっと楽だった。
頑張ろう、上手くやろうと誓うこともなかった。
さらには、ドラマを成功させなければならないという考えもなく、
ただ自然にドラマに打ち込むことが最優先だった。
―ドラマ序盤の分量が時代劇であるため、
今回の作品で「トキメキ☆成均館スキャンダル」をかなり連想したが、
実際に本人はその作品から離れていたということが興味深い。
<ユチョン>
イ・ソンジュンとイ・ガクは人物自体が違って身分も違うため、
明らかに違う人物でしかないと思ったら、気が楽になった。
ただ、イ・ソンジュンや「ミス・リプリー」のソン・ユヒョンが
しなやかに台詞を話す人物であったため、
初めにトーンを作っていく段階で謹厳さが足りなかったとは思っている。
それで、台詞の強弱を調節する部分、呼吸を続けていく程度、
語尾の処理などの部分を重点的に練習して、
イ・ガクの感じに近付こうとした。
―Twitterにイ・ガクに頼る部分があったと、
感謝しているという文章を書いたこともあるが、
演技に集中することで
むしろ他の悩みや思いを解消することが出来たように感じられる。
<ユチョン>
そんなところもあるが、それは撮影をしながらすぐに感じられる気持ちではなかったと思う。
実は、父が亡くなって撮影現場に復帰する気持ちにはなれなかった。
でも、僕の出番自体がもともと多くて、
自分が選んだ作品を諦めてはいけないという責任感も感じたから
現場に行かざるを得なかったけど、
こんな感情を持ってどう笑えばいいのかという悩みも少しあった。
でも、実際に撮影現場では慰めてくれた方々もいて、
その慰めすら重いかと思って気楽に日常会話をしてくれた方々もいて、
僕も少しずつ日常に戻りつつ、重い心を振り払い始めたと思う。
そうやってドラマを終えてみたら、
僕がこのドラマに、イ・ガクという人物に、
ここに出演する俳優たちとスタッフたちにたくさん慰められたんだと思えた。
たとえ僕のことを慰めてくれたつもりではなかったとしても、
僕には一つ一つがすべて慰めだったから。
―最終話の撮影をしながら涙をものすごく流したと聞いたが、
イ・ガクの立場でもあるが、ユチョンとして流した涙もあったと思う。
<ユチョン>
カメラが回る間は100%イ・ガクとしての涙だった。
没頭していたのもそうだが、ラストシーンを撮る時は夕暮れに近かったので、
現場が本当に無我夢中で忙しかった。
ヨン・テヨンとしてさっさと撮って、
「ユチョン、着替えて来い!」と言われたら「はい!」と答えて走って行って
イ・ガクに着替えてまた撮影する状況だったので、
感情に浸る余裕がなかった。
みんな放送に間に合うように流したいという気持ちだったから(笑)
でも、撮影が完全に終わった後はユチョンとしても少し泣いた。
―エンディングに関しては様々な解釈があるが、
その役を演じる立場からはどんな風に考えたのか?
<ユチョン>
エンディングでの彼は100%ヨン・テヨンだった。
そのため、イ・ガクの記憶は持っていないと思った。
ただ、イ・ガクとテヨンが完全に別人だと思って演じたら、
パク・ハに残されたこの世があまりにも残酷過ぎるので、
転生の雰囲気を少し残しておいた。
コーヒーショップでテヨンがパク・ハに出会う時も、
台本のト書きには“パク・ハのことに全く気づかない”と書いてあったが、
監督と話し合ってその状況を少し変えたりもした。
そのため、最後にイ・ガクの姿になるエンディングシーンにでも、
その状況はファンタジーだけど、
伝えようとした感情だけは極めて現実的なものだと解釈した。
愛する人を手放したら、もう2度とその人に会えることができず、
そのため“転生”という言葉を胸に刻むほどの恋しさ、痛み、悲しみがそこにあるのである。
テヨンとして演じる時は泣かなかったけど、
イ・ガクとして演じる時は涙を流したのもそういう理由からだった。
―そういう自由さは俳優としても新たな経験だろうが、
歌手としては感じることのできなかった部分だと思う。
ステージの上で息がぴったり合う、高い完成度を見せたチームのメンバーだったから。
<ユチョン>
そうだ。
歌手として見せられる自由さというのは、ステージでライブをする時、
特にバンド演奏の時に可能だと思う。
しかし、そんな自由さを感じるにはその状況が十分ではなかった。
他の分野ではあるけど、その時の渇きを解消することができて嬉しかった。
そして、そんな自由を発揮するためには、
結局その先にその人の経験が必要であることにも気づいた。
俳優が演技や自分の役に夢中になり、それと自分の経験との間に繋がりができた時、
自由に引き出して披露することのできる表現が生まれると思う。
貯水池でパク・ハを抱きしめて泣き叫ぶシーンも、
、実際に僕が経験したことであるからそんな風に演じることができた。
色んな面で僕が持つ感情を活用できる演技を見せられる部分が多い作品だった。
そういう点は幸いだと思ったし、俳優として恵まれたとも思った。
―(ハン・ジミンとの)そのように信頼が重なり、本当に共感できた瞬間があったと思うが。
<ユチョン>
19話のエンディングシーンを撮った時だった。
その時、僕はリハーサルを行う前まで特に何も感じなかった。
しかし、リハーサルが始まりジミンさんは感情が一気に込み上がってきた。
僕は元々、悲しい映画を見ても泣かないほど感情が薄い方だけど、
すぐにでも泣きそうなジミンさんを見た瞬間、頭の中に色んな思いが瞬間的に通り過ぎていった。
父親もこんな気持ちだったんだろうかと思えてとても申し訳なく、
そういう気持ちが辛くて自分自身も知らないうちに涙が出そうだった。
実際、そのシーンで“泣く”というト書きはなかったけど、
そんな気持ちを感じたら、泣きながら撮影するしかなかった。
ただ、姿が消えていく時、「大丈夫、大丈夫」という気持ちであえて笑いながら手を差し伸べたけど、
放送では手ではなく身体から消えていったため、見ながら慌てた(笑)
僕は手から消えると思って手の演技に集中したのに、「あれ、何だこれ!」と思った。
しかし、レビューや反応を見たら、僕が伝えたかったことを正確に分かってくれている人たちがいた。
そういう時、本当に大きな喜びを感じる。
こちら↓↓↓は、韓国語の記事なんですが、
19話でのラストシーンでの撮影秘話に、
ユチョンの瞬発的な演技力とキャラクターへの理解の深さを感じずにはいられません。
演技であっても、俳優自身の感情と一体になる瞬間、
見ている人にその感情が伝わるんですね。
韓国の俳優が、よく言う言葉。
「真実の感情を伝えたい」というのは、こういうことなのか。
ユチョンのインタビューの答えを読んで、とても納得しました。
初めてのキスシーンの涙にも、そんなに深い意味いがあったなんて。
あらためて、日本語字幕版を見る楽しみが増えました。
JYJで活動を始めてから泣くことがなかったというユチョン。
このドラマでイ・ガクに寄り添うことで、
心の中に溜まっていた感情をようやく解放できたんですね。
よかった。。。
あれほど感情豊かだったユチョンが、
JYJとして活動を始めてからずっと泣くことがなくて、
それが心配だったんです。
やっぱり、泣くことって、人にとってはとても大切なんですよね。
(翻訳機なので、翻訳が物足りなくてミヤネ。)
*** TV Daily(韓国記事) 2012.06.08配信 ***
ユチョンは、この人は特別な何かがある[インタビュー]
JYJ活動を始めてからは、いくら悲しい映画を見ても、
演技に陥っていない時には、泣くことはありません。
序盤に良くないことがありましたが、泣きの感情がなかったんですよ。
ところがジミン姉さんがスンガクかっとんですよ。
その時は本当に申し訳ありませんでした。
本当に多くのことが頭をかすめて過ぎて行きました。
私たちの父もこんな気持ちだったのかという気がするから、心がとても痛くて思わず涙が出ました。
当時のシナリオでは、泣くという指示はなかった。
しかし、別れをしなければならないイ・ガクとパク・ハの心を考えると涙を流すことがマトゲトダたかったし、
この別れ惜しむ撮影当時のスタッフたちが悲しみに陥っていたという。
イ・ガクが消える前に大丈夫、大丈夫だし、うなずいては熱心に笑いジオトジョ。
そしてパク・ハが泣いている姿が心が痛くて、涙を拭いてあげようと手を差し出したその瞬間、
イ・ガクが消えるようになるでしょう。
ところが手からシュート消えるのに放送では、体から消えるんですよ。
だから、 "これは何?"としながら戸惑いましたね(笑)
ところが、幸いにも視聴者の反応やレビューを見たら、
私の心を知ってくださった方々もいらっしゃるんですよ。
私が表現したいことを知るようになったまま反応してくれるのか、喜びが感じられました。
。初めてパク・ハとキスをするとき、私が涙を流したことに対して、誰もが困惑してくれました。
私が思ったのは、イ・ガクがパク・ハに告白をするのは一般的な愛の告白ではなく、
朝鮮を放棄するという意味ですね。
以前から好きな気持ちがあったが熱心にではないとしたのも、そのような心のためでした。
告白をすることで、朝鮮に帰らなければ、事件を解決すべきことをすべてノァボリゲされているじゃないか。
だから、無責任な人になるという痛みに、涙が自然に出てきたようです。
そんなことを考えながら演技したし、私自身本当に胸がいっぱいでした。
そして、最後にご紹介する↓↓↓のは、インタビューではなくて、
俳優パク・ユチョンの講評です。
「静かに積もった雪の威力」
見事な表現。
大きくうなずくことばかりで、結局、全文を転載させていただきます。
ユチョンは、日本でJJYとして活動していた時、BeeTVのドラマに出演していました。
でも、それは、お世辞にもうまいとは言えなかった。
日本のドラマ制作は、スポンサー(広告主)を満足させるためのものであり、
出演しているタレントの好感度が上がることが最優先。
だから、出演者がキャラクターを理解するとかってことまでは、要求されないわけです。
用意された台本のまま、読むだけでいい。
でも、韓国ドラマは、どれほど人気のあるアイドルでも、
キャラクターを表現することを求められます。
ユチョンは、技術ではなく、感性でそれを可能にする俳優。
日本のドラマでは引き出せなかったユチョンの魅力は、
韓国ドラマの、いい作品を作らなければならないという状況によって、開花したんですね。
「自由に自然に人物を理解して没頭できる環境が与えられれば
パク·ユチョンのイコライザは、期待以上の数字を記録する。」
本当に、その通り!!
(翻訳がちゃんとできなくて、すみません…)
*** 10asia (韓国記事)2012.06.07配信 ***
ユチョン│静かに積もった雪の威力
"あなたは本当に白いね"
パク·ユチョンを見ると浮かぶこの文章はもちろん、彼が出演したラーメン広告のコピーだ。
しかし、これとは別に、パク·ユチョンは見る人の感嘆を誘う白である。
意欲と好奇心でいっぱいだが、まだ特定のイメージに拘束されていない彼は、
俳優としてどんな絵でも描く準備ができているように、白く見えた。
少年の笑いと男の肩の間で、明確な未熟さやはっきりとした成熟さに規定されていなかったから
透明にも見えた。
だがSBS の最後の会が終わった後、これ以上彼は新しいキャンパスや空欄ではなかった。
結構自分の役割をして出すと思っていた新人俳優は、
ある瞬間老練さや上手さでは代えることはできない場面を作り出したし、
ついに画面を、事件を、話を導いていく力を発揮することもした。
それでも彼が別の色で塗られたことはない。
まだ、パク·ユチョンは本当に白い。
代わりに夜の間に降った雪のように、
彼の純白の感情は、欠点の足跡をまんまと覆ってしまうほど
厚く威力な武器として洗練されていた。
<結局作品全体を説得させる>
いわばホールインワンを多くこなすには、初心者ゴルファーの試合を見るような気分だ。
発音と発声、呼吸や動線などの技術的な部分でもパク·ユチョンは、新人としての経歴を隠さない。
姿勢も完全でないし、パットも下手で、
いつバンカーにボールを飛ばしてしまうかも分からなくて見る人をはらはらするようにする選手だ。
しかし、練習で実力を積んだ専門家たちも自由に呼び出すことができないホールインワンで
勝負を決めてしまう妙齢のように、
パク·ユチョンは、時々テクニックは完成することができない感受性を介して
視聴者たちと交渉に勝利する。
大使と指紋を置いて一つ一つ考えてみれば指摘のものがあるが、
イ・ガクが朝鮮に落ちた時の戸惑いや
パク・ハと恋に落ちる瞬間のときめきのような状況の表現は十分に伝えて出す。
素晴らしい俳優だと言うことはできませんが、素晴らしい演技を見せてくれる俳優。
煙のイコライザが、通常のバランスとは異なり、調整された俳優である。
歌手出身の新人俳優たちの中でも特にパク·ユチョンの演技に対して
ほうが克明に分かれる理由がここにある。
多肢選択採点法では、未達の答案用紙がソスルヒョン評価では、試験管を満足させる事例だ。
俳優に訓練されたテクニックが必要な場合、
彼は演技の美しさにアクセスすることができなかった初心者ですが、
俳優の分け前が人物を説得するのであれば
パク·ユチョンは、不思議なことに近道を自ら体得している人だからだ。
KBS のイ·ソンジュンや
MBC <ミスリプリー"のソン・ユヒョンが示した成果と限界も同じだった。
いきいきとした彼の演技で、
世界との確執でありながら母性愛を刺激する人物の特徴を発見した人々は
彼の演技に説得されたし、さらにドラマの世界観に同意することができた。
しかし、パク·ユチョンというキーに当てはまらない人々に
彼が演じた人物はもちろん、作品も評価の基準は変わらざるを得なかった。
"計算がなくてもいい俳優"と呼ばれるハン·ジミンの評価は明らかに褒め言葉だが、
一方でこれは賭けでもある。
手札が引っ繰り返る瞬間、パク·ユチョンに向けたぬるま湯評価はありません。
同意するか、または否定するか、見る人の立場は鮮明にナヌィジルだけだ。
<120を見せてあげたい俳優のキャンバス>
パク·ユチョンが自分の演技のプロセスについて、
"自然"という表現を特に多く使用されたのはそのためで注目する部分である。
彼は台本を使って自然に魅力を感じ、自然に人物に同化されており、
自然に相手の演技に反応した。
この自然とグクサシルジュウイジョクイン生活の復元や憑依に近いメソッド演技ではなく、
ただキャラクターを理解し、作品を受け入れる方式である。
人物を理解するために、複雑な設計図を描く代わりに、
"イガクの真剣さと謹厳さだけ押して、"入金と言っ判断したり、
"もっとイガクになってしまうと容態のを延期するイガクも演技することができるだろう"と判断するのは、
このような過程をで得られた自然な結果だ。
そしてきちんと正しい道を探して歩かないが、最終的には、目的地に到着することで、
パク·ユチョンの賭博はスコアを得る。
しかし、まだナビゲーション外を歩いているとして、次回にも彼は警告音で自由でない。
興味深いのは、 "屋上部屋の皇太子"が視聴者に訴求する方法が、
これらのパク·ユチョンの演技スタイルと似ているという点である。
可能性と論理、文字の運用と調整など、ドラマは多くの部分で失敗を積んだ。
それにもかかわらず、時空を超えた永遠の愛というテーマだけは確実に実装され、
その一つの素晴らしさすれば他の欠点は、希釈されてしまった。
そしてその大切な愛を語るためにドラマは奇想天外なシーケンスを作成したり、
広く知られる名セリフを動員する代わりに、
俳優を使用して、視聴者がそれを信じるようにした。
イ・ガクの愛はパク·ユチョンの目つき、パク·ユチョンの声、パク·ユチョンの心を介して説明され、
俳優と作品のクライマックスは、同じ速度で同じポイントに到達したおかげで、
20回の最後の場面は、作品が積み重ねてきたこと以上の力を発揮することができる。
"台本を読 みながら、すでに作家の本気が伝わった"は、
パク·ユチョンの言葉がお世辞にに聞こえないのはそのためだ。
"120を見せてくれる俳優になりたい"と抱負を全くでたらめないように感じられることも同じだ。
自由に自然に人物を理解して没頭できる環境が与えられれば
パク·ユチョンのイコライザは、期待以上の数字を記録する。
だから、彼は相変らず不安新人俳優で、またしても期待することになる有望株だ。
そして両方とも継続して見守ることになるという点で同様の力を発揮する。
白が結局は染まってしまうかも、真っ白ドィドプオてしまうかも、
結果が気になるのはメハンガジだからな。
ミュージカル界で、ジュンスがその道を切り開いたように、
ユチョンは、ドラマ界で、現役のアイドルでも、
俳優として充分に貢献できることを示しました。
東方神起として、進出が不可能と思われた日本のアイドル界で、
道を切り開いた強さを思い起こさせます。
20120529 SBS E!K-STARnews K-POPスターが演技者に変身!【字幕付】
この記事を書いている途中で、ワーナーマイカルで
イケメンフェスティバルvol.2『ミス・リプリー総集編』を見てきました。
ワーナーマイカル<イケメンフェスティバルvol.2>
わざわざ前売りを買って、ポストカードをゲットし・・・
プリクラも撮ったけど、慣れてないから失敗。。。
いさんで初日に見に行って特典(表裏のプラカード)をもらったけど、劇場はたったの4人でした。
人数が少ないから、ユヒョン御曹司を堪能できたんですが、
このドラマ、韓国社会の負の部分を描いてて、ストーリーも斬新だったなぁと。
そして、イ・ガクと同一人物が演じてるとは思えないユヒョンを見て、
ユチョンって、やっぱすごいわって思って。
予告で見た『成均館スキャンダル』のソンジュン様もまったく違うし。
ユチョン自身は雪のように真っ白なままで、
これからもいろんなキャラクターの色を出していってほしいと思います。
『屋根部屋の皇太子』、思う存分堪能しました!
長々と読んでくださった方、ありがとうございます。
ユチョンも髪を切って、イ・ガク様とはお別れしたみたいですね。^^
*** OSEN (Kstyle記事) 2012.06.05配信 ***
JYJ ユチョン、ショートヘア&小麦色の肌の写真を公開
本文にも同じ内容のコメントと、動画を追記しました。
ユチョンの功績は大きいなぁと、改めて思います。
ありがとうございます。
東方神起の5人は、日本でのK-popの道を切り開きました。
彼らが日本に放り込まれて、地道な活動を続けたことで、
日本でのアイドル市場でその地位を築きました。
それは、不可能と思われていたことですよね。
今は、ジュンスがミュージカル界で、そして、ユチョンはドラマ界で、
アイドルの進出の可能性を広げました。
それも、彼らが切り開いた道です。
やっぱり、彼らは新しい道を切り開く運命なんでしょうか?
彼らに降りかかる困難も、彼らがもっと進化し、
次の道を切り開くために用意された試練なのかと思えてしまいます。
淡々と真摯に目の前の仕事に打ち込み、成長し、それが成功につながる姿を見ていると、
勇気づけられるし、学ばされるし、応援したくなりますよね。
その声援を受け入れてくれるというのが、また、うれしいです!
私たちも、5人に負けずにがんばりましょうね!^^
俳優パク・ユチョンの開花をこの目で見てきて、改めて韓国ドラマの魅力を再認識しました。
ユチョン、コマウォヨー!
韓国映画も、いい新人がとどまることなく出てきていますし。^^
やっぱり、韓流はやめられません!
有難うございました。
このドラマを字幕付きで見られる日を
心待ちしています。
それとね、hoppenさん、
今日JYJのMSカードが届いて
ストタラップや写真を手に
考えたんです。
いい歳の私ですが、こういうことは
全く初体験です。
JYJを知り、色々あった時に
署名したくてツイートやFBなども
手探りで登録したり。
今日ここで2回分の記事を読みながら
私も彼らからすごくいっぱい学んだんだ・・と
実感しました。
こうして彼らを応援する方々のブログからも
様々学んできました。
ユチョが泣かなくなった、ってことを
心配していた、とhoppenさんが
書いてらして、本当に胸が温かくなりました。
歌う姿を自由に誰でもが見られる日が
早く来て欲しいです。
長くなってしまいましたね。
またお邪魔します。