疾風の帰り径

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筑豊タイムスリップ

2008-03-12 18:08:44 | Touring
 昨日は、快晴で休み。走るしかありません。でも山にはまだ雪。それで過去へタイムスリップです。



 昭和初期の住宅ですね。





 飲み屋が並んでいます。



 畳屋さんもありますね。



 とある一軒のおうちに侵入。



 お邪魔しまーす。



 昔の日本家屋ってこの廊下がいいですよね、冬は日差しががたっぷり。



 夏になると、戸を開け放ってアウトドア感覚。雑巾がけは夏休みの子供の仕事。スイカの種飛ばし。梅干し干し。昼寝。セミの声。



 窓際にはミシンもあります。
 そうここはオカンの家なんです。

 住宅地の駐車場に車を停めたら、おばちゃんが来て、見学だっしゃー、鍵開けてけろ、だって



 昔の鍵がそのままなんですが、どうも硬くて開けられないということで、私が来たら早速のお願いでした。
 ということはこの日私が最初の見学者? 11時過ぎだったんだけど。



 この住宅、元々は、宮城県北の鴬沢町細倉にあった、鉛鉱山の職員住宅だったのが、壊されずに残っていたものなんです。
 そこを、映画「東京タワー オカンとボクと時々オトン」のロケ地を探していた監督が見つけ出して、筑豊の炭住のロケに使ったのですね。



 案内ボランティアの菅原さんが、それはもう親切にマンツーマンで案内してくれました。



 上は昔のコタツですね。豆炭や練炭を使うやつ。
 おそらく十数年前ぐらい前までは実際に使用されたところに、映画で使った小道具大道具も少し残っていて、年代的にはいろいろ混ざっているのですが、私の年代には十分なノスタルジーです。



 私より3つ歳上の菅原さん、仙台の上杉からこの細倉に嫁入りして来たとは思えない地元訛りで、1/3くらいは理解できませんでしたが、とにかく熱心に説明してくれました。ここにちりちりんさんが居たんだよというのが、樹木希林さんだと判るまで少し時間を要しました。
 説明ありがとうございました。感謝します。

 これがオトンの家。ここの鍵も私が開けました。



 私は残念ながらこの映画をまだ見ていないので、なぜオトンとオカンの家が別なのかはよくわかりません。



 休日には500人以上の人が来ることもあったそうで、備品が盗まれたりもしたそうです。無料で見学できるのに、怪しからんやつがいるものです。
 来年1月まで公開され、その後は取り壊されてしまうようなので、まずこの映画を見て、またもう一度菅原さんに会いに行こうと思います。



 夕方誰かが鍵を閉めてくれたのでしょうか。心配です。

 この日は雲は無かったものの、春霞と黄砂と花粉が、強い風で落ち葉と共に舞い、炭住の街は西部開拓地のようでした。

 昼飯は、栗駒の名店「金龍」に行こうかと思っていたのですが、菅原さんに「だるま屋」に行くように奨められたので、行ってみました。



 どうも映画のななかで、ちりちりんさんが働いているシーンを撮影した食堂のようです。



 ごくごく普通の食堂で、ソースカツどんをいただきました。

 細倉といえばちょうど1年前に廃線になったくりでんの終点です。
 まだ線路は残っているのに、踏み切りの標識や警報機が無くなっているのがとても悲しい風景です。



 美しい栗駒山の姿を拝みに行ったのですが、霞と花粉と黄砂のおかげで山は全く見えませんでした。

 それで、帰りにちょっと回り道をして金成へ。



 金成ハリストス正教会、美しい木造建築です。
 函館の教会とも深い関係があるようですが、まだ研究不足です。

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