ご迷惑をお掛けしております。 By 為清 勝彦 さん
為清 勝彦さんの『ご迷惑をお掛けしております。』には感服した。
日本を襲った今回の一連の事態を、このお方のように捉えたアナリストを他に知らない。
私が遠距離にいて訪問させて頂いている有能ブロガーの皆様は、一様に相当に混乱されているように伺えるが、またそれも当然の大惨事であった。
ブロガー様方の中に眠れない方々がおられても不思議はない。
(逆に眠れて困るという人々もいるようだが)
私は、詰まるところ、為清さんのような捉え方をするのが “正しい” と考える。
それ以外に解決はない。
たまたまここを訪問された皆様はどのようにお考えであろうか?
皆様が為清さんのこの記事を読まれて、 “目からウロコ” 体験をされることを切に願う者である。
以下、全文を転載
掲載2011年3月22日
ご迷惑をお掛けしております。
日本が「ひ」の本の国
艮(うしとら)のかための国
「ひ」出づる国
国常立大神がウシトラの扉をあけて出づる国と言うことが判りて来んと
今度の岩戸ひらきは判らんぞ
(日月神示 極めの巻 第四帖) ※ウシトラ=東北
ご迷惑をお掛けしております。
3月11日の大地震に始まった「東日本大震災」ですが、実は「私」がやりました。ご迷惑をお掛けしております。
アメリカが地震兵器を使ったとか、爬虫類人が月から攻撃しているというまことしやかな情報を流す人がいます。パニックになると、ついついそうした情報を信じてしまいがちですが、それは本当だからです。でも、考えてみると、よくスピリチュアル系で「ワンネス」とか「すべてはひとつ」などと言われる通り、「私」がやったことです。
厚かましいと思われるかもしれませんが、まだまだやります。今度はどこの原発にしようかと迷ってます。ここで原発停止運動が盛り上がって自主的に停止などになると「私」としてはエキサイティングではないので、このまま運転を継続させ、日本列島全体を放射能で覆ってみたいと思っています。化学物質や細菌テロも同時に起こすと、もっと楽しいかと思ってます。更にアメリカ、全世界へとこのスペクタル映画を派手に展開させ、UFO、宇宙人も登場させたいと思っております。
また、「私」は、お涙頂戴の感動ストーリーも好きです。だから、絶体絶命のピンチに人々を陥れ、少し待たせてじらした後で、颯爽とヒーローを登場させたりもします。「オペレーション・トォモデイティ」(トモダチ作戦)。また、人と人の「愛」「助け合い」が広がるのを眺めているのも好きです。こんな不幸な災害がなければ味わうことができません。
基本的に「私」は、スリルと感動を求めています。感動を味わうためには不幸や恐怖が必要です。
本当のスピリチュアルな解釈
インテレクチュアルな観点で考えると、地震兵器とか原発の安全管理などいろいろな議論があるわけですが、スピリチュアルな観点では、このように「すべてはひとつ」として考えます。基本的には「私」がすべてやっています。その理由はたった一つ。楽しいからです。
そんなことはないと思われるかもしれません。ですが現実に、例えば、生命尊重という観点に立つと、すぐに全国の原発を停止・封印すべきなのに、そうしないのは、それでは「私」は面白くないからです。
その証拠と言えますが、我々が楽しいと思って見たり読んだりしている小説、ドラマ、アニメ、ゲームなどのストーリーを見てください。例えば、宇宙戦艦ヤマトは、放射能に汚染された地球を救うために、イスカンダルに放射能除去装置を取りにいく物語です。そうしたヒーローが存在するためには、ガミラスのような悪役も必要であり、大勢の弱者・犠牲者、ボケ役、いくら親切・丁寧に説明しても理解できない強情で頑迷なバカ役も必要なのです。作品なので、現実の制約はありません。自由にストーリーを考えてよいはずです。それでも、自由に「面白い」ストーリーを考えられる場合、人間はヒーローと悪役、喜怒哀楽、苦痛と快楽を入れ込むのが好きなのです。そして実は、仮想現実である「この世」も、他でもない、「私」が創作しています。
だから、楽しんでいられるならそれでよいですし、楽しくないならやめた方がいいと思います。「私」も誤解しているところがあって、自分はいつもヒーロー役になることができる、あるいは傍観者役でいることができると思っているところがあります。しかし、犠牲者役、悪役をするのも、「私」以外にいません。他に存在はないからです。勇敢にも被災地に乗り込んで救援活動をしている方がいます。そうした人々に活躍の場が与えられるのは、すべて災害、犠牲者の存在とセットです。かくいう私も、製薬会社などの陰謀を暴いて楽しむことができるのは、邪悪な彼らの存在のおかげだと、いつも感謝しています。
しかし、そうは言っても、そんなはずはないと思われるでしょう。ですが、そこが我々が「私」を誤解しているところです。「私」には何もかも起こせるすごいパワーがあり、それに気付いていないところに本当の問題があります。間違った「自己」認識です。我々が本当の「自己」に覚醒するまで、気の遠くなる昔から続いてきたこのストーリーは、これからも未来永劫に続いていくでしょう。
覚醒は難しくない
悟りとか覚醒とか言います。厳しい精神修養を積んだ人でないとできないことのように、あるいは頭の良い人でないとできないことのように、誤解されているかもしれませんが、決して難しいことではありません。むしろ、難しく考えるほど、覚醒できなくなります。そういう意味では、知能の高い人は、ハンディキャップを負っています。ひどいことに、簡単に覚醒できてしまうことがわかると商売にならないので、仏教などの組織宗教では難しく言っています。何も考えないで、アホになってみます。肉体とそれ以外が区別できなくなるぐらいアホになってみます。そこまでアホになれますか? そういう意味の難しさはあります。ですが、それが覚醒状態です。肉体や思考(顕在意識)が、本当の「自己」ではないことに覚醒することです。
(参考) 「自分」とは何か?
実は、我々は毎晩、覚醒しています。それを「睡眠」と呼んでいます。寝ている間に「自分」がありますか? 無いですよね。しかし、自分が無くなってしまったわけではありません。「自分」が見たことも聞いたこともないことを夢に見るのは何故でしょうか? 「他人」の記憶にアクセスしている証拠ではないでしょうか。つまり、この昼間の世界では「個人」として別々に思っているものが、本当の世界では一緒くたです。しかし、夢の中でも、自分という意識が消失しているわけではありません。同時に、目覚めているときのような明確な肉体感覚があるわけでもありません。自分が存在していながらも、他との区別が無い状態、それが覚醒です。(そういう意味では「覚醒」という言葉は誤解を生むのかもしれません。むしろ「痴呆せよ」というべきかもしれません)
「すべてはひとつ」である本当の「自己」とは、その夢の集合意識のようなものです。もちろん、信仰(思い込み)の天国・地獄といった想念が作る限定された夢の世界、死後の世界もあります。だから、夢の中ならば覚醒しているという単純な話ではありません。何重もの仮想現実があるわけです。そのあたりは、慎重に判断していただければと思います。
また、他にも肉体の枠を超える日常的な行為として、セックスがあります。これも覚醒をもたらすことがあります。例えば、爬虫類人が支配するために作ったキリスト教では、生殖の目的以外にセックスを禁じている宗派もありますが、それは人間の養殖のために必要な範囲はやむなく認めるが、本来の両性的な「自己」に覚醒してほしくないので、エッチなこと、良くないことというイメージを与えているわけです。性的快楽の本質は、自分の殻を破ること、閉ざされた自己を開放するところにあります。他人であるはずの相手と肉体を共有することにあります。自分の身体なのか相手の身体なのか分からない状態です。脳と皮膚は同じ細胞から発達するようですが、抱き合い、触り合うということは脳と脳を直結する行為であり、そういう意味で五感的な快感は重要なきっかけになります。しかし、それが性的快楽の全てではありません。セックスの商品化とは、性的快楽を視覚などの五感に矮小化することであると言えるかと思います。今の混乱の時代に、本当に愛することのできる相手がいる人は、とても幸せなことです。そんな相手とセックスしている最中には不安も恐怖も消えているはずです。このことからも分かるように、覚醒というのは難しく考えてできることではないわけです。そんな状態を、どんな状況でも維持できるようになるのが本当の覚醒だろうと思います。
また、我々は通常、空気の中で生活していますが、それと比べて覚醒した状態は、水の中にいる感じに喩えられるかと思います。水中に潜ったような感じで、すべてがつながっているのが感じ取れます。空気中でもつながっているわけですが、水中だとつながっているのをより実感できるかと思います。喜怒哀楽といった感情はなく、時間も停止して、至福感に包まれている状態とも言います。
今の時代、太陽からのフォトン(デーヴィッド・アイクが"Truth Vibration"=「ホンモノのバイブ」と呼んでいるもの)も支援してくれています。今回の放射能汚染も眠っていた遺伝子のスイッチをオンにするプラス効果もあるのではないかと思います。
恐怖と不安から脱却すること
言い換えると、覚醒するということは肉体を超越することであり、覚醒すると生死を超越できます。放射能が迫ってくるなどと怯える必要もなくなります。不安や恐怖が常になくなる状態が完全なる覚醒であり、あえて「成長」という言葉を使うならば、我々がとりあえず目標にすべき成長段階はそこにあると思います。
覚醒すると単純なことが分かるようになります。例えば、この地震は連鎖するので、原発は停止しておいた方が良いという判断ができるようになります。人類がそうした単純なことが分かるようになるまで、しばらくの辛抱です。マネーを集めることに夢中になり、本当に大切な自然や健康を失っているという単純なことに人類が気付くまで、しばらくの辛抱です。「私」にはパワーがなく、政府や偉い学者が頼りになるという錯覚から人類が目覚めるまでの辛抱です。
すべて「私」がやっているのです。「私」にすべてのパワーがあります。
宗教は、悔い改めよと言います。謝罪せよと言います。誰に謝罪するのですか? 「私」以外の誰に?
あるいは、感謝せよと言います。しかし、誰に感謝するのですか? 「私」以外の誰に?
他人を愛せよと言います。しかし、他人はいません。すべて「私」です。
罪、感謝、利他というのは、あたかも「私」以外の何者か崇高なものが存在すると思わせるための、「私」の本当のパワーに気付かせないための、邪悪な勢力の言うことです。もちろん、その邪悪な勢力を創作して、この世を複雑に面白くしているのも「私」です。
覚醒パワーを結集させ、ストーリーを書き変える
今回の異変がどれぐらい続くのか、数年なのか数十年なのかわかりませんが、この経験を通じ、覚醒する人が急増します。地面が常にゆらゆら揺れ続けるので、地面は安定して動かないものという常識が崩れます。「たまゆれ」、魂も揺さぶられます。
今、人類を束縛している宗教はマネーです。災害になると、そのマネーを集めることにあまり意味がないことに気付くでしょう。それも一つの覚醒のきっかけになります。また、今の人類の病気は、権威主義です。(架空である)他人を信じたり、他人に依存することです。しかし、これから全国的に災害が連発しますので、政府やマスコミは完全に機能が停止します。今でも殆ど機能していませんが。それが更に完全に頼りにならないことに気付くでしょう。インスリンが無いと騒いでいる内に、断食効果で糖尿病が治る人も続出するでしょう。それで医者という権威が信頼できないことにも気付きます。そして、最終的には、肉体的な生き残りにこだわるから恐怖が生じていること、この世は仮想現実に過ぎないことに気付くでしょう。
「私」は、この地震さえ起こせるほどパワーを持っています。その覚醒したパワーも、一人ひとりバラバラでは大したことないかもしれません。しかし、二人、三人と増えていき、それが結集すると壮絶な相乗効果が出ます。(注:人によってはカンフー映画を見た直後に感じるような高揚感・錯覚に過ぎないこともあるかと思いますので、そのあたりは慎重に自己診断していただければと思います)
一人一人は力弱くとも一つに和して下されよ。
二人寄れば何倍か、三人寄れば何十倍もの光出るぞ。
(日月神示 黄金の巻 第九十四帖)
覚醒した人間が、相互に対立したり、内輪もめをすることはありえません。一時的に意見の相違があっても、必ず一つに収束します。独裁体制とは異なる、全会一致の合議体ができあがります。その結束パワーは強烈なものがあります。その結束を怖がっている爬虫類人が、必死で地震を起こしたり、毒を空中散布したり(ケムトレイル)、水道に入れたり(フッ化物)、食品(遺伝子組み換え)や医薬品(ワクチン)に盛っているわけです。人間界は放っておけば、世界政府へと統一されていきます。できれば防ぎたいものですが、たぶん無理でしょう。しかし、心配する必要はありません。アメリカが日本を占領・支配するために天皇を利用したように、ピラミッド構造の弱点は頂点を奪われることです。
爬虫類人が構築している世界支配ピラミッドが完成した瞬間に、その頂点を奪えば良いだけです。実に簡単なことに思えてきませんか? 異次元の存在が相手なので、サイキックな世界の戦いになります。
そして、この映し出された仮想現実(うつしよ)の根源にある「ストーリー」を書き換えればよいだけのことです。今度の「ストーリー」は勧善懲悪ものはよしましょう。(^O^)/
転載終り
為清 勝彦さんの『ご迷惑をお掛けしております。』には感服した。
日本を襲った今回の一連の事態を、このお方のように捉えたアナリストを他に知らない。
私が遠距離にいて訪問させて頂いている有能ブロガーの皆様は、一様に相当に混乱されているように伺えるが、またそれも当然の大惨事であった。
ブロガー様方の中に眠れない方々がおられても不思議はない。
(逆に眠れて困るという人々もいるようだが)
私は、詰まるところ、為清さんのような捉え方をするのが “正しい” と考える。
それ以外に解決はない。
たまたまここを訪問された皆様はどのようにお考えであろうか?
皆様が為清さんのこの記事を読まれて、 “目からウロコ” 体験をされることを切に願う者である。
以下、全文を転載
掲載2011年3月22日
ご迷惑をお掛けしております。
日本が「ひ」の本の国
艮(うしとら)のかための国
「ひ」出づる国
国常立大神がウシトラの扉をあけて出づる国と言うことが判りて来んと
今度の岩戸ひらきは判らんぞ
(日月神示 極めの巻 第四帖) ※ウシトラ=東北
ご迷惑をお掛けしております。
3月11日の大地震に始まった「東日本大震災」ですが、実は「私」がやりました。ご迷惑をお掛けしております。
アメリカが地震兵器を使ったとか、爬虫類人が月から攻撃しているというまことしやかな情報を流す人がいます。パニックになると、ついついそうした情報を信じてしまいがちですが、それは本当だからです。でも、考えてみると、よくスピリチュアル系で「ワンネス」とか「すべてはひとつ」などと言われる通り、「私」がやったことです。
厚かましいと思われるかもしれませんが、まだまだやります。今度はどこの原発にしようかと迷ってます。ここで原発停止運動が盛り上がって自主的に停止などになると「私」としてはエキサイティングではないので、このまま運転を継続させ、日本列島全体を放射能で覆ってみたいと思っています。化学物質や細菌テロも同時に起こすと、もっと楽しいかと思ってます。更にアメリカ、全世界へとこのスペクタル映画を派手に展開させ、UFO、宇宙人も登場させたいと思っております。
また、「私」は、お涙頂戴の感動ストーリーも好きです。だから、絶体絶命のピンチに人々を陥れ、少し待たせてじらした後で、颯爽とヒーローを登場させたりもします。「オペレーション・トォモデイティ」(トモダチ作戦)。また、人と人の「愛」「助け合い」が広がるのを眺めているのも好きです。こんな不幸な災害がなければ味わうことができません。
基本的に「私」は、スリルと感動を求めています。感動を味わうためには不幸や恐怖が必要です。
本当のスピリチュアルな解釈
インテレクチュアルな観点で考えると、地震兵器とか原発の安全管理などいろいろな議論があるわけですが、スピリチュアルな観点では、このように「すべてはひとつ」として考えます。基本的には「私」がすべてやっています。その理由はたった一つ。楽しいからです。
そんなことはないと思われるかもしれません。ですが現実に、例えば、生命尊重という観点に立つと、すぐに全国の原発を停止・封印すべきなのに、そうしないのは、それでは「私」は面白くないからです。
その証拠と言えますが、我々が楽しいと思って見たり読んだりしている小説、ドラマ、アニメ、ゲームなどのストーリーを見てください。例えば、宇宙戦艦ヤマトは、放射能に汚染された地球を救うために、イスカンダルに放射能除去装置を取りにいく物語です。そうしたヒーローが存在するためには、ガミラスのような悪役も必要であり、大勢の弱者・犠牲者、ボケ役、いくら親切・丁寧に説明しても理解できない強情で頑迷なバカ役も必要なのです。作品なので、現実の制約はありません。自由にストーリーを考えてよいはずです。それでも、自由に「面白い」ストーリーを考えられる場合、人間はヒーローと悪役、喜怒哀楽、苦痛と快楽を入れ込むのが好きなのです。そして実は、仮想現実である「この世」も、他でもない、「私」が創作しています。
だから、楽しんでいられるならそれでよいですし、楽しくないならやめた方がいいと思います。「私」も誤解しているところがあって、自分はいつもヒーロー役になることができる、あるいは傍観者役でいることができると思っているところがあります。しかし、犠牲者役、悪役をするのも、「私」以外にいません。他に存在はないからです。勇敢にも被災地に乗り込んで救援活動をしている方がいます。そうした人々に活躍の場が与えられるのは、すべて災害、犠牲者の存在とセットです。かくいう私も、製薬会社などの陰謀を暴いて楽しむことができるのは、邪悪な彼らの存在のおかげだと、いつも感謝しています。
しかし、そうは言っても、そんなはずはないと思われるでしょう。ですが、そこが我々が「私」を誤解しているところです。「私」には何もかも起こせるすごいパワーがあり、それに気付いていないところに本当の問題があります。間違った「自己」認識です。我々が本当の「自己」に覚醒するまで、気の遠くなる昔から続いてきたこのストーリーは、これからも未来永劫に続いていくでしょう。
覚醒は難しくない
悟りとか覚醒とか言います。厳しい精神修養を積んだ人でないとできないことのように、あるいは頭の良い人でないとできないことのように、誤解されているかもしれませんが、決して難しいことではありません。むしろ、難しく考えるほど、覚醒できなくなります。そういう意味では、知能の高い人は、ハンディキャップを負っています。ひどいことに、簡単に覚醒できてしまうことがわかると商売にならないので、仏教などの組織宗教では難しく言っています。何も考えないで、アホになってみます。肉体とそれ以外が区別できなくなるぐらいアホになってみます。そこまでアホになれますか? そういう意味の難しさはあります。ですが、それが覚醒状態です。肉体や思考(顕在意識)が、本当の「自己」ではないことに覚醒することです。
(参考) 「自分」とは何か?
実は、我々は毎晩、覚醒しています。それを「睡眠」と呼んでいます。寝ている間に「自分」がありますか? 無いですよね。しかし、自分が無くなってしまったわけではありません。「自分」が見たことも聞いたこともないことを夢に見るのは何故でしょうか? 「他人」の記憶にアクセスしている証拠ではないでしょうか。つまり、この昼間の世界では「個人」として別々に思っているものが、本当の世界では一緒くたです。しかし、夢の中でも、自分という意識が消失しているわけではありません。同時に、目覚めているときのような明確な肉体感覚があるわけでもありません。自分が存在していながらも、他との区別が無い状態、それが覚醒です。(そういう意味では「覚醒」という言葉は誤解を生むのかもしれません。むしろ「痴呆せよ」というべきかもしれません)
「すべてはひとつ」である本当の「自己」とは、その夢の集合意識のようなものです。もちろん、信仰(思い込み)の天国・地獄といった想念が作る限定された夢の世界、死後の世界もあります。だから、夢の中ならば覚醒しているという単純な話ではありません。何重もの仮想現実があるわけです。そのあたりは、慎重に判断していただければと思います。
また、他にも肉体の枠を超える日常的な行為として、セックスがあります。これも覚醒をもたらすことがあります。例えば、爬虫類人が支配するために作ったキリスト教では、生殖の目的以外にセックスを禁じている宗派もありますが、それは人間の養殖のために必要な範囲はやむなく認めるが、本来の両性的な「自己」に覚醒してほしくないので、エッチなこと、良くないことというイメージを与えているわけです。性的快楽の本質は、自分の殻を破ること、閉ざされた自己を開放するところにあります。他人であるはずの相手と肉体を共有することにあります。自分の身体なのか相手の身体なのか分からない状態です。脳と皮膚は同じ細胞から発達するようですが、抱き合い、触り合うということは脳と脳を直結する行為であり、そういう意味で五感的な快感は重要なきっかけになります。しかし、それが性的快楽の全てではありません。セックスの商品化とは、性的快楽を視覚などの五感に矮小化することであると言えるかと思います。今の混乱の時代に、本当に愛することのできる相手がいる人は、とても幸せなことです。そんな相手とセックスしている最中には不安も恐怖も消えているはずです。このことからも分かるように、覚醒というのは難しく考えてできることではないわけです。そんな状態を、どんな状況でも維持できるようになるのが本当の覚醒だろうと思います。
また、我々は通常、空気の中で生活していますが、それと比べて覚醒した状態は、水の中にいる感じに喩えられるかと思います。水中に潜ったような感じで、すべてがつながっているのが感じ取れます。空気中でもつながっているわけですが、水中だとつながっているのをより実感できるかと思います。喜怒哀楽といった感情はなく、時間も停止して、至福感に包まれている状態とも言います。
今の時代、太陽からのフォトン(デーヴィッド・アイクが"Truth Vibration"=「ホンモノのバイブ」と呼んでいるもの)も支援してくれています。今回の放射能汚染も眠っていた遺伝子のスイッチをオンにするプラス効果もあるのではないかと思います。
恐怖と不安から脱却すること
言い換えると、覚醒するということは肉体を超越することであり、覚醒すると生死を超越できます。放射能が迫ってくるなどと怯える必要もなくなります。不安や恐怖が常になくなる状態が完全なる覚醒であり、あえて「成長」という言葉を使うならば、我々がとりあえず目標にすべき成長段階はそこにあると思います。
覚醒すると単純なことが分かるようになります。例えば、この地震は連鎖するので、原発は停止しておいた方が良いという判断ができるようになります。人類がそうした単純なことが分かるようになるまで、しばらくの辛抱です。マネーを集めることに夢中になり、本当に大切な自然や健康を失っているという単純なことに人類が気付くまで、しばらくの辛抱です。「私」にはパワーがなく、政府や偉い学者が頼りになるという錯覚から人類が目覚めるまでの辛抱です。
すべて「私」がやっているのです。「私」にすべてのパワーがあります。
宗教は、悔い改めよと言います。謝罪せよと言います。誰に謝罪するのですか? 「私」以外の誰に?
あるいは、感謝せよと言います。しかし、誰に感謝するのですか? 「私」以外の誰に?
他人を愛せよと言います。しかし、他人はいません。すべて「私」です。
罪、感謝、利他というのは、あたかも「私」以外の何者か崇高なものが存在すると思わせるための、「私」の本当のパワーに気付かせないための、邪悪な勢力の言うことです。もちろん、その邪悪な勢力を創作して、この世を複雑に面白くしているのも「私」です。
覚醒パワーを結集させ、ストーリーを書き変える
今回の異変がどれぐらい続くのか、数年なのか数十年なのかわかりませんが、この経験を通じ、覚醒する人が急増します。地面が常にゆらゆら揺れ続けるので、地面は安定して動かないものという常識が崩れます。「たまゆれ」、魂も揺さぶられます。
今、人類を束縛している宗教はマネーです。災害になると、そのマネーを集めることにあまり意味がないことに気付くでしょう。それも一つの覚醒のきっかけになります。また、今の人類の病気は、権威主義です。(架空である)他人を信じたり、他人に依存することです。しかし、これから全国的に災害が連発しますので、政府やマスコミは完全に機能が停止します。今でも殆ど機能していませんが。それが更に完全に頼りにならないことに気付くでしょう。インスリンが無いと騒いでいる内に、断食効果で糖尿病が治る人も続出するでしょう。それで医者という権威が信頼できないことにも気付きます。そして、最終的には、肉体的な生き残りにこだわるから恐怖が生じていること、この世は仮想現実に過ぎないことに気付くでしょう。
「私」は、この地震さえ起こせるほどパワーを持っています。その覚醒したパワーも、一人ひとりバラバラでは大したことないかもしれません。しかし、二人、三人と増えていき、それが結集すると壮絶な相乗効果が出ます。(注:人によってはカンフー映画を見た直後に感じるような高揚感・錯覚に過ぎないこともあるかと思いますので、そのあたりは慎重に自己診断していただければと思います)
一人一人は力弱くとも一つに和して下されよ。
二人寄れば何倍か、三人寄れば何十倍もの光出るぞ。
(日月神示 黄金の巻 第九十四帖)
覚醒した人間が、相互に対立したり、内輪もめをすることはありえません。一時的に意見の相違があっても、必ず一つに収束します。独裁体制とは異なる、全会一致の合議体ができあがります。その結束パワーは強烈なものがあります。その結束を怖がっている爬虫類人が、必死で地震を起こしたり、毒を空中散布したり(ケムトレイル)、水道に入れたり(フッ化物)、食品(遺伝子組み換え)や医薬品(ワクチン)に盛っているわけです。人間界は放っておけば、世界政府へと統一されていきます。できれば防ぎたいものですが、たぶん無理でしょう。しかし、心配する必要はありません。アメリカが日本を占領・支配するために天皇を利用したように、ピラミッド構造の弱点は頂点を奪われることです。
爬虫類人が構築している世界支配ピラミッドが完成した瞬間に、その頂点を奪えば良いだけです。実に簡単なことに思えてきませんか? 異次元の存在が相手なので、サイキックな世界の戦いになります。
そして、この映し出された仮想現実(うつしよ)の根源にある「ストーリー」を書き換えればよいだけのことです。今度の「ストーリー」は勧善懲悪ものはよしましょう。(^O^)/
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