人皆有黨 亦少達者 是以或不順君父 乍違于隣里
— perfumekawaee (@perfumekawaee) 2017年2月27日 - 22:50
【口語訳】
人みな党あり。また、達(さと)れる者少なし。ここをもって、あるいは君父(くんぷ)に従わず。また隣里に違(たが)う。
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然上和下睦 諧於論事 則事理自通 何事不成
— perfumekawaee (@perfumekawaee) 2017年2月27日 - 22:51
【口語訳】
しかれども、上和(かみやわら)ぎ、下睦(むつ)びて、事を論(あげつら)うに諧(かな)うときは、事理おのずから通ず。何事か成らざん。
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要するに聖徳太子の十七条憲法第一条後半には、次のように書いてある。
— perfumekawaee (@perfumekawaee) 2017年2月27日 - 22:51
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人は派閥やグループをつくりたがり、悟りきった人格者は少ない。君主や父親のいうことにしたがわなかったり、近隣の人たちともうまくいかなくなったりする。上の者も下の者も協調・親睦(しんぼく)の気持ちをもって論議しなさい。そうすれば、おのずからものごとの道理にかない、どんなことも成就する
— perfumekawaee (@perfumekawaee) 2017年2月27日 - 22:52
つまり、聖徳太子の十七条憲法第一条後半を要約すれば、議論というものは、偏狭なドグマにとらわれるのではなく、陛下を尊崇し、父祖を敬い、互譲と感謝の心をもってするものです、と書いている。単に「和をもって」仲良くしなさいではないのです。ここが大事なところなのだろうと思うのです。
— perfumekawaee (@perfumekawaee) 2017年2月27日 - 22:52
しつこいようですが、前段だけだと、「和が大事だ、逆らうな」とも読める。しかし最後まで読めば、「君主や父祖を敬い」、「感謝と互いの信頼の心を大切にせよ」と書いてある。だから「忤(さから)う事なかれ」なんです。「逆らう」ではない。
— perfumekawaee (@perfumekawaee) 2017年2月27日 - 22:53
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「忤う」は、呪詛し、抵抗することです。互いを呪い、抗戦する。まるで、おとなりの国の民族です。「恨」こそが文化だと自慢している。おとなりの国は、まさにそこからしてダメなんです。
— perfumekawaee (@perfumekawaee) 2017年2月27日 - 22:54
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そしてこういうことのほうが、聖徳太子か厩戸皇子か、十七条憲法は誰が書いたかなんていうマニアックな議論よりもはるかに、大切なことです。教科書を書くということは、書く学者たちの学説の「対立」を子供たちに押し付けることではありません。
— perfumekawaee (@perfumekawaee) 2017年2月27日 - 22:54
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子供たちに明るい未来の建設と、それができる能力を身につけさせることが大事です。その意味で、いまどきの教科書は、目的と手段を取り違えている。
— perfumekawaee (@perfumekawaee) 2017年2月27日 - 22:55
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せっかくなので、十七条憲法の「全文」を以下に記します。まさに十七条憲法は、日本の心の原点です。
— perfumekawaee (@perfumekawaee) 2017年2月27日 - 22:56
原文、読み下し、現代語訳は、↓ を転載させていただきました。 geocities.jp/tetchan_99_99/…
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