昨日見たTVの話し・・
痴呆のおばあさん
ホームでもほとんどしゃべらなかった。
自分の事も忘れてしまって・・
ミュージックセラピーというのがあって、音楽、歌を使って痴呆の改善に向わせるということらしい。
そのおばあさん、セラピストがギターを弾き歌いだすと、少しづつ歌いだした。そして、自分が教会の聖歌隊で歌っていた事、住んでいた場所の事を少しづつ思い出した。。
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そんなにすぐ効果があるの?と言う事はおいといて・・
思い出というのは人が生きていく上で非常重要な事らしいのです。
思い出の積み重ねがその人をその人らしくするそうです。
思い出や記憶という事で街や家を考えると
その重要性はほとんど気にされていません。
「古い建物は価値がなく、新しければいい」
それでは、いつまでも、その街がその街らしくならないという事ですよね。
家を建て替えると、お年寄りの痴呆が発症することがある、という話も聞きます。
『街の記憶が多い程、豊かでいい街である』という価値感を、みんなが持たなければいけないのです。
今の技術は壊さない技術に向わなければいけないと思います。
壊したものを復活させる技術に向わなければいけないと思います。
街の記憶、それは街の質感です。家もその質感の一つです。
全て元通りというのではなく、その質感を残しつつ時代時代で少しづつ変えていけばいいと思うのです。
やぶれた障子も、それが思い出と重なるものであれば美しいじゃないですか。
思い出と重なった障子という記憶は、たとえ張り替えたとしても、思い出として残ります。
『柱のきず・・』と同じように
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