心を込めて

心の庵「偶垂ら庵」
ありのままを吐き出して 私の物語を紡ぎ直す

わかってほしい

2022-07-03 19:36:13 | 新しい心持へ

ずっと人が怖かった、どう思われるか怖かった。

ずっと人から好かれたいと思っていた、関心を引きたかった、だから怖かったのだ。

記憶の奥底を探ると「母に好かれたい」「母に愛してほしい」がある。

私の苦しい記憶が私を縛っていたのだ、だから「わかってほしい」が強かったのだ。

だから私はもう演じることを止めようと思う、嫌な人には嫌われたっていいのだから。

嫌みを言われても、陰でコソコソ言われても、それは相手の問題、すべてが私の責任ではないのだ。

自分が正しいと思う生き方を「全う」していいのだ、誰かの為に生きなくていいのだ。

「誰かの為に」「相手が望むような」「嫌な役割」を「常に」演じなくていいのだ。

「母の為」に「ダメなお姉ちゃん」を演じなくてもいいのだ。

 

「嫌われてもいい」これまでの私の世界にない価値観なので混乱している。

本当の感情を「自分でも」無視して感じないようにしていたから。

これまでは、本心では苦しくても自分を騙すのは簡単だった、演じればいいから。

心で泣いて、表面は明るく振舞う、自分なんて簡単に誤魔化せたのだ。

一人暮らしで独身の頃、生活の為に働くには自分の惨めさに向き合わねばならなかった。

中学時代クラスメイト全員から無視された時と同じで、惨めでも生きていけたから。

惨めでも死ねないし人間は消えないのだ、惨めでも無常に朝は来るからと、自分を蔑ろにしてきた。

しかし、惨めだと絶望に似た苦しさを抱え続けなくてもいい、未熟でも生きていていい。

自分はダメな人間だと、惨めだと、自責して生きることは止めると決意したんだ。

東日本大震災で苦労した自分の為に、ただでは立ち上がらないと決めたんだ。

嫌われてもいい、私自身が私自身を価値のある人間だと、そう信じて生きていきたい。

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バランスです

2022-07-03 19:03:48 | 気づかされた言葉

「バランスです」

悩んでいた答えはずっと前に貰っていたのかもしれない。

嫁ぎ先や自分、子どもの病気のことで悩み女性外来の先生に言われた言葉。

私が今抱える生き辛さ、答えは出ない悩みなんだと思った。

そして今更ながら気づくのは、「私が」生き辛い「特性」を抱えて苦労していたんだなという事。

努力しても上手くできない自分をずっと責めていた、普通に生きたいのに努力しないと普通を保てない。

どうしてそんなに一生懸命なの? でも、それでもありえない失敗をするのだ。

生まれつきの能力の差はやはりあるのだ、努力でどうにもならないことがあるのだ。

それを医者は分かっているのだ、人間の摂理を、ただ言わないだけで。

動物を育てていた私は知っている、能力の劣る家畜が生まれることを。

植物を育てていた私は知っている、形や味が不味い実がなることを。

私はそういう役目を背負って生まれたという事だ、生物である以上この揺らぎは避けられないのだ。

ならば私はどうありたいのか。せめて迷惑をかけないで生き、そして死んでいきたい。

私に与えられた生きるという役目を全うして。

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