一橋MBAブログ 「くにたち」な日々

HMBA有志による非公式リレーブログ

自分は何を知りたいのか?(疑問の書き換え)

2006-12-01 10:27:05 | 戦略ってなに?(P&N)
こんにちは。P&Nです。   

今週のゼミで、先生のコメントが私の頭に残りました。ニュアンスとしては、「企業の仕事の仕組みがどんな背景から生まれてきたかを調べるのは歴史家の仕事。仕事の仕組みがどうしてうまく循環しているのかを調べるのが経営学者の仕事」という内容でした。私は次のように理解しました。

ある日新聞の「A社最高益更新」という記事を見て「なぜA社は強いのか」と疑問に思ったとします。研究開発→生産→販売、がすべてうまく回っているように見えます。なぜ好循環なのか? この秘密がわかればそれを自分の会社に当てはめて競争力を高めることができるかもしれません。ではA社の好循環のカラクリをどのような視点で解きほぐしていけばいいのか? 

先生のコメントから私は「頭が混乱しないするためには疑問を書き換えるとよい」と考えました。
つまり、「なぜA社は強いのか」を次のような疑問に書き換えるということです。

①好循環がどう機能し、どう利益が生み出されているのか?
②好循環はどうやって生まれ、育ってきたのか?
③好循環を生み出した経営者の意図や哲学は?

先生の言い方をマネすると、①は経営学者の仕事、②は歴史家の仕事、③は伝記作家の仕事、という言い方になります。

まず①の視点。企業の強みは会社によって違います。例えば研究開発に特徴がある企業(例えば花王)、生産が強い企業(トヨタ自動車)、販売が強い企業(販売店が多かった頃の松下電器)などです。どんな強みが、どんなメカニズムで全社的に相互作用して競争力になっているのか、が①の視点です。研究開発が強い→いい商品→売れてもうかる→研究費が豊富、という好循環。 販売ルートからお客さんの声がいろいろ入ってきてそれが開発に生かされる、という好循環などです。また、このような業務の流れによる好循環とは別に、「A社の社員は仕事の中でどのように能力を高めているのか」というのも重要な視点です。つまり①は、どんな仕組みだから好調なのか、という疑問だけではなく、どんなふうに人材を育成しているから好調なのか、という内容にも疑問を書き換えることができます。

しかし、このような優れた仕組みは、どのような背景から生まれてきたのか? これが②です。松下電器は流通が整備されていなかった戦後の時代に自分で流通網を作る必要があった。トヨタは市場規模が小さいわりに多様な車種を作らねばならず、複数の車種を同じラインで生産しなければならなかったことが逆に生産ラインを鍛えた。しかも安くしないと当時の日本人には買えず、カイゼン活動が進んだ。などです。

そして③は、松下幸之助氏や本田宗一郎氏のどんな考え方が社員に影響を与え、会社の成長に役立ったのか、です。経営者の製品へのこだわり、企業観、歴史観、そして人間観。何が、どう企業の成長に影響したのか。そしてこれらの想いが経営者の個人的な生まれや育ちも含め、どのように形成されてきたのか、これも研究のテーマになります。①②③とも、企業の強さの源泉です。

どれも重要な問題意識で、どの視点で調べ、経営に生かすかは、調べる人の趣味や経営上の必要によります。また②や③も、違いを分りやすくするためここでは歴史家の仕事、伝記作家の仕事、という表現をしましたが、もちろん経営学上の重要な視点です。さらに①②③以外の視点もあると思います。

ともあれ、焦点を絞って調査していくために、まずは自分が何を疑問に思ったのか、自分が何を知りたいのか、を明確にすることが大切であろうと思いました。

当事者意識

2006-11-24 17:20:26 | 人事組織のハナシ(学級委員長)
そういえば、先々週でこのブログも1周年を迎えていたんですね。細々とではありますが、1年間情報発信を続けたことはすごいことではないかと思います。一橋MBAは入学前に情報を得にくいのが難点だとは、恐らく多くの人が感じているのではないでしょうか。でも、実際に入学してどれほどの人が外に向かって情報発信しているかを考えると、それは極めて微妙な数だと思われます。入ってしまえば関係ない。それも確かにそうなんですけどね…。いい意味での情報発信は、質の高い学びの「場」を作っていくためには重要な気もしています。

「当事者意識」。ワークショップの仲間がこんなテーマに触れていました。企業のトップは従業員に当事者意識を持たせようとするけれども、そもそも当事者意識って何なんだろうか?。本当に当事者意識を持って働いている人なんているんだろうか?。経営側からすれば、当事者意識を持って主体的に働いてもらえればそれは嬉しいでしょうし、働く側としても当事者意識を持って主体的に仕事をする方が受身でやるよりは面白いはずです。でも現実は…。

皆が当事者意識なんて持っていたら、逆に組織が成り立たないという話もあります。じゃぁ、せめて一部のリーダーだけでも…。リーダーだから当事者意識を持つのか、当事者意識を持っているからリーダーになるのかは微妙ですが、自ら主体的に組織に関わるリーダーの存在は極めて重要だと思います。

さて、MBAがビジネスリーダー予備軍だとしましょう。だとすれば、MBAとして主体的に組織に関わるスタンスは、知識やスキル以上に重要な要素のように思えます。こればかりは学校で教えてはくれません。自分で学び、実践するのみ。その意味では、企業以外のどんな組織であっても、普段から当事者意識を持って参加するスタンスはあっても良いのではないかと思います。

冒頭の情報発信の話題に戻りましょう。もし我々がMBAという組織に主体的に関わるスタンスを持っているなら、情報発信というのも当事者意識の1つの表れではないかと思います。自分達の組織をより良くするために、自ら主体的に関わること。個人で勉強するのも良いですが、そんなことをもう少し考えてみても良いのではないかと感じています。

冷静なときと熱くなるとき

2006-11-22 23:04:00 | メンバー紹介
こんにちは。P&Nです。

会社の中では、冷静=合理的、に対し、感情を顕わにすることはあまりよくないことだとされていると思います。「あの人は感情的だ」といわれて嬉しい人はあまりいないでしょう。しかし人の集団の中では、時として熱くなることも必要かもしれません。

組織論の授業で、人の集団がどのように動くかの例として「12人の怒れる男」という映画を取り上げました。授業の狙いとは方向違いですが、この映画から次のような印象を持ちました。

話は、父親を殺したという容疑で裁判にかけられた少年が有罪か無罪か、陪審員が議論するという設定です。有罪なら少年は死刑です。
主人公を除く陪審員はみな法廷での検察側の立証を聞いて「これは有罪だよね」と思っており、早々に全員一致で「有罪」の結論を出そうとします。しかし主人公は唯一「人間ひとりの命を決めるのだから、少し話し合おう」と主張します。

話し合いが始まりますが、「どう考えても有罪」と思っている人は真面目に対応しません。時間の無駄で迷惑なことだ、という態度で話し合いにまともに加わろうとせず、机の上で○×ゲームを始めます。それまで冷静に話をしていた主人公はそれを見て、一瞬、色をなして○×ゲームの紙をわしづかみにして破り捨て、「真面目に議論しよう」と訴えます。それに対し○×ゲームをしていた陪審員は怒りだし、場の雰囲気は一瞬にして険悪なものとなります。

主人公の態度によって、12人の陪審員からなる「組織」の雰囲気は悪化したとも言えます。しかし、主人公が示した「大義に対する本気」をきっかけに、真面目に議論する陪審員が増えていきます。

同じような例は、三枝匡「V字回復の経営」(日本経済新聞社 2001)にも出てきます。組織改革案を作り、その説明会を行っている主人公は、斜に構えた態度で改革案を批判する管理職を一喝します。我々は会社を立て直すために懸命に考えているのに、その態度は何だ! というわけです。

別の例では、古いですが黒澤明の映画「七人の侍」でも次のようなシーンがあります。野武士から村を守るために農民が侍を雇うという話ですが、村を要塞化して防衛するためには、村から少し離れたところにある自分の家を放棄しなければならないと知った農民が、バカらしい、と離脱しようとします。それに対し侍のリーダーが、村の安全なくして、お前らは生き残れない。自分のことだけを考えるものは、全体をも危うくし、結局は自分も滅びる! と農民たちの目前で刀を抜いて大喝します。

「12人」の主人公も、三枝匡の主人公も、侍のリーダーも、普段は冷静でおだやかな人です。しかしそんな人がある一瞬、本気で怒ります。それをきっかけに、集団が「引き締まり」ます。

3つの例のいずれでも、主人公の主張が本当に正しいとは限りません。「12人」でも議論を始めてみたとしても、やっぱり最初考えられていたとおり「有罪」で決着するかもしれません。でもともかく真面目に議論を始めないと、納得できる結論は出てきません。同様に三枝の主人公の改革案も侍の防衛策も、その作戦が絶対に正しいとは言い切れません。もっといい改革案や防衛策もあるかもしれません。でもそう言い出したら、いつまでたっても作戦会議で、どんな手も実行に移せません。だからあるタイミングでは、「怒る」ことによってでも、批判を封じ、議論を終わらせ、組織を一つの方向にまとめあげなければいけないこともあるのかもしれません。

そのときに必要なのは合理的な納得性よりも、リーダーの「本気」ではないかと思います。自分は命がけで大義を信じているのだ、この案に命を懸けているのだ、とリーダーが本気で思っているからこそ、組織の人たちはそこに何かを感じ取り、リーダーが訴える方向に沿って活動を始めるのではないでしょうか。

企業は経済や競争の中で経済合理性で動きます。しかしその中で働く人間は情と理の生き物でもあるのだと思います。

睡眠不足というリスク

2006-11-18 00:52:27 | 人事組織のハナシ(学級委員長)
「睡眠不足は企業リスクである」。ハーバードビジネスの最新号(12月号)の記事になります。別のブログで別の記事を取り上げたので、こちらでは睡眠不足気味の私に直接関連するこの話題を取り上げたいと思います。

「睡眠時間が平均4時間という日が4、5日間続くと、認知能力は24時間起き続けているのと同じくらい低くなります」「これは、酒に酔っていると法的に判断されるのと同じレベルになります」、だそうです。だから自分は日常でもテンション高いんですかね…。なんて感心している場合じゃない!。

私の場合、前職の時は平日の睡眠時間が3時間平均になることも結構ありました。電車で寝られても計4時間が精一杯だったので、これはある意味で酩酊状態で仕事をしていたことになります。眠気はあってもそんな自覚はないですから、危険ですね。さらに前々職では、深夜勤務を含む平均睡眠時間4時間の時期が2ヶ月以上続いた時期がありましたから、今思うと、こちらもかなり深刻な状態でしたね。ちなみに、MBAでも1週間平均1時間半睡眠の時期もありましたから、結局ずーっとこんな状態が続いているとも言えます。さすがに最近は良く寝るようにしていますが、早死にしないようにだけはしたいと思います。

で、そんな冗談が冗談ではないというのが今回の記事です。猛烈社員が評価される傾向にある今日の成果主義の下では、多くの人が睡眠不足であろうことは想像に難くありません。そうでなくても人員削減の影響で山のような仕事を抱えていたりするわけですから…。でも、この研究によると、こうした無理の積み重ねによる生産性の低下はかなり重大な状況になっていると思われます。そして、睡眠不足や過労が原因で事故や事件が起これば、それは個人の問題に留まらず、企業にとっても大きなリスクだというわけです。

でも、そんなことを真剣に心配している企業なんてほとんど無いのも現実でして…。睡眠不足の測定器とか開発されませんかね。それで測定して8時間寝ていないとボーナス減るとか…。でも、そういうことになると測定器を誤魔化すための薬が開発されたりして、結局悪循環になり…。

こんな記事書いている暇があったら寝た方が良さそうですね。

知識を整理する指針

2006-11-16 23:50:13 | 戦略ってなに?(P&N)
こんにちは。P&Nです。 

先週読んだ『野中郁次郎・竹内弘高1996「知識創造企業」東洋経済新報社』の後半に「ハイパーテキスト型組織」という部分があります。この部分を読んでいて、なるほど、と思ったことがありました。

まず、本の中で言われていることは、私が理解したところでは、次の内容であるようです。普段働くときに社員はいろいろな経験をします。まず、①普段所属する部門で働くときに知識を実践、蓄積します。②また特別なプロジェクトなどに参加し、他の部門の人と接したりして新しい知識を獲得します。③そしてこの知識は、企業のビジョンや組織文化の文脈に沿って再分類、再構成されます。この①、②、③を行ったり来たりすることで組織はより効率的に知識を創造できる、ということのようです。

今回私が、なるほど、と思ったのは③の部分です。

普段自分の部署で普通に仕事するときは、自分が持っている経験や知識を使って働いています。そしてちょっと特殊な仕事を割り当てられて新しい経験をすることで、また一つ知恵がつきます。ここまでは別に新鮮さはありませんでした。

しかし、自分が得た知識を再分類・再構成するために何らかの指針が必要だということは、今まで明確に意識していませんでした。確かに、仕事で知識が増えたといっても、そのままでは頭の中で、ただの知識の羅列、知識のごった煮状態です。何かの方法でそれを自分の中で整理し、心の倉庫のどこかに位置づけておかないと、別の機会に、うまくその知識を思い出せず、利用できないかもしれません。

例えば、急にあるプロジェクトに狩り出され、そこで今まで知らなかったエクセルの使い方を教わったとします。その結果仕事が効率的に処理できました。その経験はそのままでは、あ~よかった、あの時は苦労しなくて済んだ、という思い出になるだけです。しかし、その経験を「仕事の効率化の例」として頭の中に一度整理しておけば、所属部署に戻ってエクセルで表を作るときに、「何とか効率的にできないか」→「効率化といえば、そういえば、あのとき教わったあの手を使えば楽になる」と思い出すことができます。もちろん、この程度は普段無意識にやってしまっているのですが、効率化という心の倉庫の中に入っているからこそ、思い出せるのだと思います。

心の倉庫に整理しておく意義は、もうひとつあると思います。それは心の倉庫の中にある別の知識と結びつけて、さらに一歩先を考えられるようになる、という点です。仕事を効率的にやりたいと思ったときに、心の倉庫を探してみたら、別の成功例が保管されてありました。「そうだ、効率化といえば、別のときには別の方法でも効率化できた。ではその両方を使えばもっと楽に処理できるのではないか」ということで、複数の効率化例を組み合わせることで、相乗効果が出てくるように思います。

こうなるためには、社員の心に「効率化」という棚が作ってあることが大前提です。そして、それは社員の心がけでもありますが、組織の雰囲気がそう促すかどうかも重要でしょう。思うにトヨタ自動車では、組織文化の働きかけによって、社員の皆さんが自分の心にいろいろなテーマの整理棚を作っているのではないでしょうか。コストダウン例、部品点数をどうやったら減らせるか、どうやれば短時間で作業できるか、不具合を減らすには、材料の無駄遣いをしないためには、・・・。そして普段の仕事から得た知識をどんどんその整理棚に蓄積していき、必要であれば自由に取り出し、組み合わせ、活用しているのではないかと思います。

一橋MBA同窓会

2006-11-10 14:36:26 | 人事組織のハナシ(学級委員長)
この間の3連休の最終日に、同窓会をやりました。何の同窓会かと言いますと、もちろん「MBAの同窓会」です。年に一度の総会。120名近い会員が集まって相互に交流を図りました。

我らがMBAの同窓会は設立3年目です。コース自体はMBAの前身も含めると11年目。まだまだほやほや感のある同窓会ですが、MBAとしての蓄積は溜まりつつあるので、それを何とか組織化して活かしていこうと必死なわけです。

さて、今回の同窓会で大変だったのは、自分達現役2年生が幹事だったこと。昨年はわけも分からず参加するだけでしたが、今年は企画運営を主体的に行わなければいけません。ワークショップの論文作成準備で忙しいこの時期に、結構重たい企画だったんですが、それでも何とか無事におわれてほっとしています。良き伝統は受け継ぎ、発展させていかなければいけませんしね。そのための苦労なら、多少はやむを得ないと思っています。

そんな苦労とは裏腹に、参加者が思った以上に増えなかったのが残念ではあります。3連休の最後という日程が悪かったのか、それともそもそも別の問題があるのか。この辺りは知る由もありません。ただ、卒業生が増えるにしたがって、微妙に参加者が増えてくれるとよいなとは思うんですけど…。

同窓会に何を期待するか。現状ですと、「懐かしい」「久しぶり」といったノスタルジーな感覚ぐらいしか期待できないのかもしれません。だから目玉講師の講演会企画を組んでいるんですけどね。有効なインセンティブにはなっていないということのなのかもしれません。難しいですね。

同窓会に何を期待するか。恐らくこの「問い」自体が間違っているのかもしれません。同窓会に何を「還元」するか。望むらくはこうでしょうね。何かを得る前に、何かを還元すべきではないか。それが金銭的貢献なのか、知的貢献なのかは人によりますけれど。MBAでの2年間を糧に、ビジネスで活躍して得た経験や資産を元に、同窓会に還元する姿勢こそが、同窓会の発展に繋がり、同窓会への期待を実現することになるんだと思います。

そんなわけで同窓会をよろしくお願いします。

知識とは?

2006-11-09 22:03:22 | 戦略ってなに?(P&N)
こんにちは。P&Nです。 

今、『野中郁次郎・竹内弘高1996「知識創造企業」東洋経済新報社』を読んでいます。基本的なメッセージは、「組織の中で働く中で、暗黙知が見つけ出され、共有され、そしてその知識が組織の人の身体に染み付いていくというサイクルが知識創造である。このサイクルを生むにはどうすればいいのか。」という話です。

面白いです。といっても実は、今はまだ第二章を読んでいる段階で、第三章から始まる知識創造の本論には入っていません。ではどの点が面白いかと言うと、第二章に書かれている「さまざまな経営学の理論は、知識をどう扱っていたか」という点です。

生産ラインでの最適な動作を追及したテイラーについては、「労働者の経験や判断を新しい知識の源泉として見ることに失敗した」と評価します。要は、何も考えず決められた動作で組み立てろ、ということでしょう。そしてホーソンは労働者の士気や集団への帰属意識が生産性を高めることを示しましたが、知識については明示的に取り上げませんでした。サイモンは、人間の認知限界を克服されるための情報処理システムとして組織を理解しましたが、暗黙知的な知識はノイズでしかない、と理解しました。そしてボストン・コンサルティング・グループによる「ポートフォリオマネジメント」やM.ポーターの「5つの力モデル」では、「そもそも知識やビジョンの創造の可能性は最初からその理論に入り込む余地はない」そうです。

経営学者以外にも、ハイエク、シュンペーターなどの経済学者が登場し、さらにはプラトン、アリストテレス、デカルト、カント、西田幾太郎、も登場させ、彼らが「知識」をどのように捉えていたかを論じます。この辺になると、難しくて理解できませんが。

経営における知識をどう理解し、どこに位置づけ、描写するか、学者の考え方によって切り口がさまざまだということですね。ちょうど、人間を描写するときに、どの角度から見るか、という感じかもしれません。人間を後ろ姿で論じると鼻は見えません。横顔で論じると鼻の側面しか見えません。レントゲン写真を取れば、鼻は軟骨なのでうっすらとしかレントゲン写真に写らないでしょう。では顔の真正面から写真をとると、鼻の高さが分りません。私の理解では、この程度です。

いろいろな意見、議論を多角的に見て理解を深めるということなのでしょう。

リストラの向こうに

2006-11-03 23:38:08 | 人事組織のハナシ(学級委員長)
「雇用調整」「首切り」の代名詞になって幾久しい「リストラ」。本来の「リストラクチャリング」、すなわち「事業構造の再構築」という意味はかなり薄れてしまったのではないでしょうか。でも、実際は大胆かつ迅速にリストラを敢行して、企業を立て直す必要も時にはあります。そんな時、本来の意味を離れて、単なる「人件費削減」としての「リストラ」を行うとどうなるか。

『企業戦略白書Ⅲ』(伊丹敬之・一橋MBA戦略ワークショップ/東洋経済新報社)の中で触れられている内容の1つが冒頭のお話です。「良いリストラ、悪いリストラ」。最近、この白書に関連して過去のシリーズを読み返していまして、面白かったんでここで取り上げてみます。詳しい内容は本書をお読み下さい。

本文中の事例では「良いリストラ」として松下電器が、「悪いリストラ」として日立と東芝が取り上げられています。どちらの事例でも、いわゆる「人員削減」は行われています。ですが、その後急速にV字回復を遂げた松下と、その後も低迷を続ける日立や東芝との間には、やっぱり何か明確な差があったのではないか。そんな視点で分析がなされています。

さて、何が明暗を分けたのでしょうか。複雑に絡まった要因を極々簡単に表現すれば多分こういうことでしょう。「リストラの向こうに何が見えたか(何を見せたか)」。業績が悪化してリストラとなると、企業内では様々な変化が起こります。戦略も変わる、組織体制も変わる、人事制度も変わる。人員が減って、賃金も下がる。こうした内向きのネガティブなパワーをどこかで外向きのポジティブなパワーに変えないと、リストラに伴う負のスパイラルに巻き込まれて抜け出せなくなります。そこで、「リストラの向こう側」が大切になってくるわけです。

といっても、いつまでたっても向こう側にいけないと、やっぱり負のスパイラルが襲ってきます。ですから、極めて慎重かつ大胆なリストラが必要なんですが…。事例の内容はやっぱり本を読んでみてください。我々も先輩方の偉業に貢献しないといけませんしね。歯切れが悪いですが、今日はこの辺で。

わかりやすいストーリー

2006-11-01 21:41:53 | 戦略ってなに?(P&N)
こんにちは。P&Nです。

先週に続き、プロ野球の日本シリーズの話題にします。

残念ながらドラゴンズに奇跡はおこらず、日本ハムが押し切って日本一となりました。個々のプレーも勝因敗因なのでしょうが、中日には「ストーリー」という逆風が吹いてしまったような気がします。

まずは「新庄の引退の花道を飾らせてやりたい」というストーリーです。さらに、ビジネスや経済の関心が強い人には「景気が悪い北海道を何となく応援したい」という気持ちもあったのではないでしょうか。

「北海道に来て3年目、球場を満員にして、優勝をして、自分の野球人生の花道を飾る」というベタベタのストーリーは少しできすぎだよね、というちょっと皮肉な心の声と、達成しちゃったらそれはやっぱり感動モノだよね、という心の声とが私の心の中に両方あったように思います。さすがに古巣タイガースを破って思い出の甲子園で日本一、とまではいきませんでしたが。

今日授業で、ある企業の社長さんの講演がありました。創業約30年の企業で、ものづくりの特殊技術に絞り込んでいるために会社規模は大きくないですが、その技術を持つ会社は日本で唯一、そして世界では4社だけという企業です。

社長さんが言うには「自分が信じる主張を10年間訴え続ければ、それが他人からはどんな風変わりな主張に見えても、”騙されて”支援者になってくれる人が出てくる」ということでした。 ”騙されて”という大変謙虚な言い方をされたのですが、そのエネルギッシュな話し振りを見て、こういう人に何度も同じ話をされたら、確かにそのうち、「わかったわかった」と言ってしまうだろうと納得しました。

新庄が日本ハムに入団したときの会見をうっすらと覚えています。確かに球場を満員にする、優勝したい、といったようなことを言っていました。「相変わらず言ってる言ってる。元気そうで何より。」と思っていましたが、まさか本当に実現してしまうとは・・・。恐れ入りました。

あるストーリーが単純で分りやすくて語り手が本気で信じていると、人を巻き込み流れができて本当に実現してしまう、という例なのでしょうね。

組織は流行に従う

2006-10-27 16:08:21 | 人事組織のハナシ(学級委員長)
「組織は戦略に従う」。経営史の大家でいらっしゃるチャンドラー氏はこの命題を導いたことで有名です。例えば、デュポンは火薬メーカーでしたが、第1次大戦後の火薬不況によって多角化戦略を取るに至ります。その結果、事業部制組織なる組織形態が発生してくるといったお話です。自動車産業でもフォードがかの有名なT型フォードの単一製品大量生産を行っていたときは機能制組織で対応できましたが、対するGMは多ブランド戦略を取った結果、やはり事業部制組織へと移行することになります。詳しくはちゃんと本を読んでください。(参考:A.D.チャンドラー『組織は戦略に従う』ダイヤモンド社

「戦略は組織に従う」。これは製品-市場マトリクスで有名なアンゾフ氏が提唱したものと言われます。近年の資源ベースの考え方も背景は同じでしょう。つまり、何らかの戦略を立案したとしても、組織構造や組織能力、文化などが備わっていないと戦略が達成されないという考え方になります。だから、戦略は必ず組織の裏づけが必要だと。すなわち、戦略は組織に従う。

多分、これはどちらも真なりです。時間軸の捉え方によっても理解は変わってくる気がします。(参考:伊丹他『ビジネススクール流「知的武装講座」』プレジデント社

「組織は流行に従う」。「戦略は流行に従う」でも良いのかもしれません。これは決して冗談ではありません。制度学派という立場の方たちの主張になります。これは「べき」論ではなく、現実を説明しているんでしょう。あの会社が成果主義を入れたから、うちも成果主義だ。こんな考え方はまさに「流行に従う」です。これが全く非合理的かといえばそうでもないところがミソ。皆がやっていることは比較的コストが低かったりします。右側通行の国で、1人だけ左側通行を貫くのが大変なように…。

個人の話にしましょう。「携帯電話は流行に従う」。どうでしょうね。皆がソフトバンクなら、あの料金体系は非常に有利なんですが、皆がドコモだとしたら…。こんなことも考えてみると面白いような気がします。