今年3月、大連の三十里堡駅に残る古い給水塔が大連市文物保護単位に指定されたというニュースがありました。
先日大連を訪問した際、三十里堡の知人を訪ねたついでに立ち寄ってみました。
三十里堡には、満鉄本線(連京線。大連から新京に至る総延長701kmの社線)の駅がありました。
大連から数えて8つ目、金州から2つ目の駅です。

これは1936年の満鉄路線図です。
ちなみに、地名である三十里堡とは、金州城から三十里の場所だったここに台を構え堡を設けたことが由来です。
鉄道の運行が始まったのは1903年で、鉄道施設は東清鉄道が敷設しました。日本が関東州の租借権を得た後は満鉄の経営に移管しました。

ありました。これがその給水塔です。
この給水塔は1900年にロシア人入植者によって建設され、鉄道の開業時から蒸気機関車に水を供給する役目を果たしました。
線路は写真の左側の平屋建てのすぐ左側を通っています。
僕は知らなかった、というか考えたこともなかったのですが、蒸気機関車を動かすためには石炭だけなく、大量の水が必要だったのですね。
動力源は蒸気ですから、水が必要であることは自明です。したがって、沿線にはこのように給水施設が必要であり、この三十里堡駅がその役割を担ったというわけです。
この円形の給水塔は100立方メートルの水を貯蔵することができて、地下から汲み上げた水をため、パイプを通じて機関車に注入したそうです。
この一帯の地下水はマグネシウムやカルシウムなどのミネラルを含まない優れた水質だったため、機関車のボイラーの加熱効率を上げ、鉄道設備の寿命を大幅に延ばしたそうです。


これは三十里堡駅です。
三十里堡駅は去年1月、貨客駅としての役目を終え、客車が停車することはなくなったそうです。
三十里堡には高速道路があってバス網が整備されていますし、地下鉄13号線の開通も間近ですので、鉄道のニーズは減ったのでしょう。

この場所を見学した後、三十里堡在住の知人から話を聞きました。
知人は現在60代で、ずっとここで暮らしてきた人です。
自分が若い頃は大連市内や金州に行く手段はもっぱら鉄道で、頻繁にこの駅を利用したものだと懐かしそうに話してくれました。


給水塔は役目を終えてから相当長い年月を経過しているはずですが、よく今まで残ってきたものです。
貴重な産業遺産を見学することができました。
先日大連を訪問した際、三十里堡の知人を訪ねたついでに立ち寄ってみました。
三十里堡には、満鉄本線(連京線。大連から新京に至る総延長701kmの社線)の駅がありました。
大連から数えて8つ目、金州から2つ目の駅です。

これは1936年の満鉄路線図です。
ちなみに、地名である三十里堡とは、金州城から三十里の場所だったここに台を構え堡を設けたことが由来です。
鉄道の運行が始まったのは1903年で、鉄道施設は東清鉄道が敷設しました。日本が関東州の租借権を得た後は満鉄の経営に移管しました。

ありました。これがその給水塔です。
この給水塔は1900年にロシア人入植者によって建設され、鉄道の開業時から蒸気機関車に水を供給する役目を果たしました。
線路は写真の左側の平屋建てのすぐ左側を通っています。
僕は知らなかった、というか考えたこともなかったのですが、蒸気機関車を動かすためには石炭だけなく、大量の水が必要だったのですね。
動力源は蒸気ですから、水が必要であることは自明です。したがって、沿線にはこのように給水施設が必要であり、この三十里堡駅がその役割を担ったというわけです。
この円形の給水塔は100立方メートルの水を貯蔵することができて、地下から汲み上げた水をため、パイプを通じて機関車に注入したそうです。
この一帯の地下水はマグネシウムやカルシウムなどのミネラルを含まない優れた水質だったため、機関車のボイラーの加熱効率を上げ、鉄道設備の寿命を大幅に延ばしたそうです。


これは三十里堡駅です。
三十里堡駅は去年1月、貨客駅としての役目を終え、客車が停車することはなくなったそうです。
三十里堡には高速道路があってバス網が整備されていますし、地下鉄13号線の開通も間近ですので、鉄道のニーズは減ったのでしょう。

この場所を見学した後、三十里堡在住の知人から話を聞きました。
知人は現在60代で、ずっとここで暮らしてきた人です。
自分が若い頃は大連市内や金州に行く手段はもっぱら鉄道で、頻繁にこの駅を利用したものだと懐かしそうに話してくれました。


給水塔は役目を終えてから相当長い年月を経過しているはずですが、よく今まで残ってきたものです。
貴重な産業遺産を見学することができました。
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