goo blog サービス終了のお知らせ 

HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信しています

駒場 陸軍乗馬学校跡地 秋山好古が育てた騎兵の指導拠点

2019-11-25 | 東京を歩く
目黒区駒場にある陸軍乗馬学校の跡地を訪ねてみました。

玉川通りの北側の台地に広がるエリア、都立駒場高校の辺りです。

戦前の騎兵の養成施設としては習志野が有名ですが、その前はここだったそうです。

1891年に陸軍乗馬学校ができ、その後陸軍騎兵実施学校と名を変え、1916年までここにあったそうです。1896-1890年には、かの秋山好古が学校長を務めています。

都立駒場高校のグラウンドは、騎兵実施学校の馬場だったそうです。卒業馬術演舞が行われるときには、明治天皇が行幸し、閲兵したそうです。

高校の裏手、公務員宿舎の近くには、天覧台と書かれた大型の記念碑が立っていました。



この場所から、明治天皇が11回、大正天皇が4回、馬術の演舞を閲兵したそうです。

石碑の裏には、昭和3(1928)年11月14日陸軍輜重兵第一大隊によって建立されたと刻まれています。



眼下にはきれいに整備された駒場高等学校のテニスコートとグラウンドが広がっています。



当時はここが馬場だったそうです。

このグラウンドだけ窪地になっていますが、元々このような地形だったのでしょうか。

この地で秋山好古の指導を受けて訓練を積んだ多くの騎兵の中には、その後出征し、史上最強の騎兵といわれたロシアのコサック師団と交わった兵もいたでしょう。

「まことに小さな国が、開化期を迎えようとしている」

坂の上の雲の書き出しの一節を思い出します。

明治日本が目指した近代国家の建設に一役を買った精鋭部隊の指導拠点は、文字通り坂の上にあったわけです。

ところで、ここの地名である駒場は、馬の牧場を意味しているそうです。

「駒」とは馬を、「場」とは牧場を指します。古代・中世にかけて、ここで産出した良馬は、軍馬として重用されたそうです。

古くからそのような場所だったのですね。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。