HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信します

承徳 双塔山

2021-05-24 | 東北を歩く
5年ぶりに承徳を訪ねてみました。

今年1月に開通したばかりの高速鉄道・京哈線を利用すると、北京からわずか1時間余りで到着します。

双塔山は市内から南西に約10キロ、自然が織りなす不思議な奇岩が広がる国家級自然公園です。



麓で入場券を買ってリフトに乗ると、忽然と2つの巨大な岩柱が肩に並べるように立っている姿が目に入ってきました。



ぐんぐん近づいてきます。



足元の方が細いので、非常に不安定に映ります。
高さは40メートルほどでしょうか。

この2つの岩山の頂にはそれぞれ仏塔のような、祠のような建造物がちょこんと鎮座しています。遠景では分かりませんが、レンガで出来ているようです。



この2つの建造物はいつ、誰が、何のために建てたのか分かっておらず、ずっと謎のままだそうです。

18世紀の乾隆年間の文献にはすでに西側の仏塔が存在していたことが記されているのでそれ以前ということになりますが、1300年以上前に北方の遊牧民族だったチダン族が建てたという説があるそうです。





頂上に至る通路はありません。いにしえの時代、チダン族は重い資材を抱えてどうやって頂に登ったのでしょうか。
この高さまで足場を組むのは容易ではありません。

この奇岩を拝んだ後、周辺をハイキングしながら地層を触ってみると、この一帯は脆い礫岩で構成されていることが分かりました。砂や小石の堆積層です。長年の隆起と浸食でこのような地形が形成されたのだと思いますが、強く掴むとその場所がボロボロと剥がれ落ちてきそうです。

数千年後なのか数万年後なのか分かりませんが、この2つの不思議な岩柱はやがて風化と浸食を受けて消失する運命なのでしょう。





夏を承徳の避暑山荘で過ごした乾隆帝、康煕帝、嘉慶帝、文武帝などの名臣は何度も双塔山に足を運んでその景観を愛でたそうです。

承徳が満洲国の一部となった1930年代には、おそらく日本人にも人気の観光地だったのではないでしょうか。





いずれも1930年代に撮影したと思われる写真です。







なかなかおもしろい場所を訪問することができました。

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