HBD in Liaodong Peninsula

ぶらぶら街歩き日記です。北京編4年目です。

北溝沿胡同 梁啓超旧居

2024-03-19 | 北京を歩く
北新橋里エリアの北溝沿胡同にかつて梁啓超(1873-1929)が暮した家が残っているというので、出掛けてみました。

梁啓超は戊戌の変法(1898年)を主導した人物で、維新に失敗した後、日本に亡命しました。

ここは亡命生活を終えて1912年に帰国したときに暮した場所だそうです。

ネットで調べたところ、所在地は北溝沿胡同23号で、壁に「梁啓超旧居」という文物指定を示すパネルが嵌め込まれているようです。

そのパネルをよりどころにして探します。



北溝沿胡同は南北に300メートルほどあるようです。パネルがあるならすぐに見つかるでしょう。



ところが、一往復しても見当たりません。
僕の探し方が悪いのでしょうか。

おかしいな、と思ってスマホを取り出して地図アプリで23号を調べてみると、ここでした。



なんと、パネルが取り換えられていました。



僕が調べた情報が古かったようです。

たぶん、僕のように物見にきた観光客が住民が暮らす四合院の中に入ってきて迷惑になるから、という理由からだと思います。



さて、ともあれここが梁啓超が暮した場所です。





日本から帰国した梁は袁世凱から法部次官に任用され、新しい人生をスタートさせます。翌1913年には司法総長に任命されます。その後、14年に袁世凱と袂を分かつと天津に移ったとされます。

したがって、ここで暮したのはこの12年から14年にかけての2年間ほどだったのでしょうか。

解放後、ここは鉄道部の幼稚園となり、その後宿舎に改造され、鉄道部の職員家族が暮らしたようです。
梁啓超が暮したころは広い中庭があった四合院だったようですが、今は細かく仕切られており、70から80世帯の鉄道部関連の人たちが暮らしているそうです。

通りの向かい側(東側)には梁啓超書斎と記されたパネルがありました。





ということは、23号だけでなく向かい側も自宅にしていたのでしょうか。

そうだとすると相当広い敷地だったということになります。
まあ、当時梁は中華民国の閣僚だったわけですから、こういう待遇だったとしても不思議はありません。

梁啓超が天津で暮らした場所は、2024年2月24日の日記でご紹介しました。

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