HBD in Liaodong Peninsula

中国と日本のぶらぶら街歩き日記です。2024年5月からは東京から発信します

松戸飛行場の痕跡を探す

2024-07-07 | 東京を歩く

かつて、松戸市に陸軍の飛行場がありました。

場所は今の陸上自衛隊松戸駐屯地とその西側に広がる松飛台地区です。松飛台という地名は松戸に飛行場があったことを地名として残すために名付けられたそうです。

何か痕跡が残っていないか、歩いてみました。

松飛台は工場や住宅が集まる場所です。たくさんの一戸建て住宅が整然と並んでいます。



松戸飛行場が完成したのは戦時下の1940年です。

東西と南北にそれぞれ1.2キロメートルの滑走路があったのだとか。

建前としては民間パイロットの養成を目的としていたようですが、何しろこの時代です。実態は陸軍が主導して帝都の防空基地にすることを狙いとして造成されたのだと思います。

実際、設立当初は逓信省航空局が管理していますが、1944年には陸軍に移管されています。



この南北に続く直線道路は消失点が見えなくなるまでひたすらまっすぐです。地図で測ってみると、直線が1,400メートルほど続いています。ここが滑走路の一部だったようです。

東西にも同じく1,400メートルほどの直線道路があります。

これだけ長い直線道路は地図で見ても目を引きます。

松戸は下総台地のへりに当たるので比較的起伏が多いのですが、この辺りは平坦です。しかも台地にあるので飛行場としては好条件だったと思います。しかも当時陸軍の軍用鉄道だった新京成線もすぐ近くを通っています。

しかし、今の松飛台はすっかり宅地化が進んでいて、飛行場を忍ばせる痕跡はこの道路だけです。飛行場としての役割を終えて79年が経過します。無理もありません。

松戸駐屯地の中には飛行機の格納庫が残っているそうですが、一般人は立ち入ることができません。

ネットの情報によると、当時の掩体壕の基礎だったと思しきコンクリート塊が今でも残っているという場所があるので、そこに行ってみます。

この空き地です。






いかがでしょうか。

この小石が混ざったモルタルはいかにも1940年代前半のつくりです。

もはや掩体壕の形は残っていませんが、掩体壕の一部だったという説明を受ければ、頷けるような見た目です。




モルタルからアンカーがはみ出しています。これもそれっぽい感じがします。

しかし、雑草や枯れた木枝に覆われていて、たぶん誰も気が付かない、気に留めないと思います。

当時、東葛エリアは軍事施設が多かったの、こうした遺構がほかにもありそうです。いろいろ訪ねてみようと思います。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする