大谷光瑞と聞いても、ピンと来る方はほとんどいないと思います。
明治から昭和初期にかけて活躍した日本の宗教家/冒険家で、大連・旅順との関わりが大変深い人物です。
大谷光瑞(1876-1946)は、西本願寺で知られる浄土真宗本願寺派の第22世法主でした。
大谷は探検家としても活躍した人物で、1902年から1914年にかけて、大谷探検隊なる学術調査団を組織し、インドや新疆ウイグル自治区などシルクロードで仏蹟の発掘調査を行いました。
この発掘調査の結果、膨大な収集品の獲得に成功します。
その後、紆余曲折を経て巨額の負債整理などのトラブルに見舞われ、法主を辞した大谷は、再び海を渡り、旅順に移り住みます。
旅順には、その大谷光瑞の旧居が残っています。

(高台に位置しており、旅順港が一望できる場所です)
大谷は、多くのコレクションを旅順にも残していきました。
これらのコレクションは、今も旅順博物館で保存され、その一部が展示されています。
大谷は、その来歴を聞くだけでも、相当破天荒な人物だったと想像されます。
なお、大谷が日本国内に持ち帰った貴重な仏蹟のコレクションは、上野にある東京国立博物館(東洋館)で鑑賞することができます。
僕も今年1月に一時帰国した際、行ってみました。
かなりの数の収蔵品が展示されていました。

(東京国立博物館の東洋館です)

(大谷探検隊が持ち帰った仏像)

(これも大谷コレクション)

(大谷探検隊を紹介するパネルも展示されていました)
よくぞ異国の地でこんなに多くの仏蹟を探し当てて持ち帰ったものだと思います。
大変な労力だったと思われます。
首都圏在住の方は、ぜひ一度行ってみることをお勧めします。
明治から昭和初期にかけて活躍した日本の宗教家/冒険家で、大連・旅順との関わりが大変深い人物です。
大谷光瑞(1876-1946)は、西本願寺で知られる浄土真宗本願寺派の第22世法主でした。
大谷は探検家としても活躍した人物で、1902年から1914年にかけて、大谷探検隊なる学術調査団を組織し、インドや新疆ウイグル自治区などシルクロードで仏蹟の発掘調査を行いました。
この発掘調査の結果、膨大な収集品の獲得に成功します。
その後、紆余曲折を経て巨額の負債整理などのトラブルに見舞われ、法主を辞した大谷は、再び海を渡り、旅順に移り住みます。
旅順には、その大谷光瑞の旧居が残っています。

(高台に位置しており、旅順港が一望できる場所です)
大谷は、多くのコレクションを旅順にも残していきました。
これらのコレクションは、今も旅順博物館で保存され、その一部が展示されています。
大谷は、その来歴を聞くだけでも、相当破天荒な人物だったと想像されます。
なお、大谷が日本国内に持ち帰った貴重な仏蹟のコレクションは、上野にある東京国立博物館(東洋館)で鑑賞することができます。
僕も今年1月に一時帰国した際、行ってみました。
かなりの数の収蔵品が展示されていました。

(東京国立博物館の東洋館です)

(大谷探検隊が持ち帰った仏像)

(これも大谷コレクション)

(大谷探検隊を紹介するパネルも展示されていました)
よくぞ異国の地でこんなに多くの仏蹟を探し当てて持ち帰ったものだと思います。
大変な労力だったと思われます。
首都圏在住の方は、ぜひ一度行ってみることをお勧めします。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます