旅順旧市街にある旧朝鮮銀行旅順支店です。
1917年の建築とされています。


竣工から100年を超える老建築です。
正面の丸みと4本の四角いオーダーがいい感じで大正レトロの雰囲気を感じさせます。
この手の間口の幅が狭い建物は、坂道の多い大連や旅順ではよく見かけます。
見た目はスマートですが、勤務する行員とすれば、些か使い勝手が悪い建物だったかもしれません。
記録によると、朝鮮銀行旅順支店は、1919年、横浜正金銀行が満洲で発行した金券を引継ぐ形で出張所として設立されたようです。
すなわち、この建物は、当初は横浜正金銀行の旅順での拠点として建設されたと思われます。

こんな古写真があります。
改装を経て面構えが変わっていますが、同じ建物です。
この写真は、正金銀行時代です。
朝鮮銀行旅順出張所は、1929年に支店に昇格します。
朝鮮銀行は終戦後に解体されましたので、旅順で業務を行ったのは26年間というということになります。
そんな短期間でしたが、朝鮮銀行は日本が設立した中央銀行として軍事行動と結びつき、東アジアで円の通貨圏を構築し、財政力が乏しかった日本の戦費調達を行い、存在感を発揮しました。
終戦前には朝鮮で24店、旧満州に26店、シベリアに8店、中国関内に40店、本土に8店、ニューヨークとロンドンにもそれぞれ拠点を置き、東アジア一帯に営業網を整備しました。
この旧旅順支店は、戦後も銀行として利用され続けてきたようです。
現在は中国商工銀行旅順支行として活躍しています。

中国工商銀行が設置した歴史建築のプレートが掲げられています。
ところで、今回の写真は、僕の研究仲間である「東東京うさぎのモヒー」さんから提供して頂いたものです。
モヒーさんの取材時期は2018年11月です。
モヒーさんは東京在住ですが、若いながらも旧満州や旧租借地に対する探求意欲と獲物を探し当てる優れた嗅覚を持つ満洲ハンターです。
頻繁に旧満州に通って新しい発見をしてくれています。中国の駐在経験があるわけでもないのに、大したものです。
今後、モヒーさんの研究記録を拝借して、ときどきこの日記でご紹介します。
1917年の建築とされています。


竣工から100年を超える老建築です。
正面の丸みと4本の四角いオーダーがいい感じで大正レトロの雰囲気を感じさせます。
この手の間口の幅が狭い建物は、坂道の多い大連や旅順ではよく見かけます。
見た目はスマートですが、勤務する行員とすれば、些か使い勝手が悪い建物だったかもしれません。
記録によると、朝鮮銀行旅順支店は、1919年、横浜正金銀行が満洲で発行した金券を引継ぐ形で出張所として設立されたようです。
すなわち、この建物は、当初は横浜正金銀行の旅順での拠点として建設されたと思われます。

こんな古写真があります。
改装を経て面構えが変わっていますが、同じ建物です。
この写真は、正金銀行時代です。
朝鮮銀行旅順出張所は、1929年に支店に昇格します。
朝鮮銀行は終戦後に解体されましたので、旅順で業務を行ったのは26年間というということになります。
そんな短期間でしたが、朝鮮銀行は日本が設立した中央銀行として軍事行動と結びつき、東アジアで円の通貨圏を構築し、財政力が乏しかった日本の戦費調達を行い、存在感を発揮しました。
終戦前には朝鮮で24店、旧満州に26店、シベリアに8店、中国関内に40店、本土に8店、ニューヨークとロンドンにもそれぞれ拠点を置き、東アジア一帯に営業網を整備しました。
この旧旅順支店は、戦後も銀行として利用され続けてきたようです。
現在は中国商工銀行旅順支行として活躍しています。

中国工商銀行が設置した歴史建築のプレートが掲げられています。
ところで、今回の写真は、僕の研究仲間である「東東京うさぎのモヒー」さんから提供して頂いたものです。
モヒーさんの取材時期は2018年11月です。
モヒーさんは東京在住ですが、若いながらも旧満州や旧租借地に対する探求意欲と獲物を探し当てる優れた嗅覚を持つ満洲ハンターです。
頻繁に旧満州に通って新しい発見をしてくれています。中国の駐在経験があるわけでもないのに、大したものです。
今後、モヒーさんの研究記録を拝借して、ときどきこの日記でご紹介します。