天気のよい週末に故宮に行きました。
北京紫禁城の正門である午門から入場します。

午門は北京中軸線の重要な部分を占める建築物です。
南側に向かってコの字型をしています。

南側から門に近づくと、三方向から迫力のある高さ約38メートルの赤い壁が迫ってきます。
門は明の永楽帝時代の1420年に建てられ、清の順治帝時代の1647年に再建、さらに嘉慶帝時代の1801年に修復されたそうです。
その後も細かい修復を重ねてきました。
正面から見ると午門には3つの門がありますが、実は左右の見えない部分にも2つずつあるそうです。
清の時代、中央の門は皇帝だけが出入りを許されたのだとか。例外的に皇帝の婚礼時に皇后が1回だけここから入ることが、科挙の最終試験である殿試の上位3人(状元、榜眼、探花)は1度だけここから出ることが許されたそうです。
小説「蒼穹の昴」に登場する梁文秀は状元でしたので、ここを歩く資格を得たことになります。

左側の門は文官と武官が、右側は皇族が出入りしたそうです。
現在、我々のような一般客は中央門から入場することができます。


皇帝の気分になって分厚い門をずずいとくぐります。
視界が開けると、太和門と金水河に架かる内金水橋が目に入ってきます。
北京紫禁城の正門である午門から入場します。

午門は北京中軸線の重要な部分を占める建築物です。
南側に向かってコの字型をしています。

南側から門に近づくと、三方向から迫力のある高さ約38メートルの赤い壁が迫ってきます。
門は明の永楽帝時代の1420年に建てられ、清の順治帝時代の1647年に再建、さらに嘉慶帝時代の1801年に修復されたそうです。
その後も細かい修復を重ねてきました。
正面から見ると午門には3つの門がありますが、実は左右の見えない部分にも2つずつあるそうです。
清の時代、中央の門は皇帝だけが出入りを許されたのだとか。例外的に皇帝の婚礼時に皇后が1回だけここから入ることが、科挙の最終試験である殿試の上位3人(状元、榜眼、探花)は1度だけここから出ることが許されたそうです。
小説「蒼穹の昴」に登場する梁文秀は状元でしたので、ここを歩く資格を得たことになります。

左側の門は文官と武官が、右側は皇族が出入りしたそうです。
現在、我々のような一般客は中央門から入場することができます。


皇帝の気分になって分厚い門をずずいとくぐります。
視界が開けると、太和門と金水河に架かる内金水橋が目に入ってきます。

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